2014年8月19日火曜日

捜し物はなんですか

盆休みらしい休みはないのだが
他から連絡が少ないので気持ちは楽だ。

今年後半のちょいと気の張ったプロジェクトに備え
デスク周りを清掃。

主にごみ捨て。

疲弊す。

やってもやってもごみの山だ。

小さいころから、落とし物のえんぴつがありました、
と言えば、私の名前が書いてあったものだ。

と某社からメール。

請求書を送ってほしいとのこと。

正確には請求書を受け付けるため
身分証のコピーと
登録用紙を送ってほしいというものだ。

ファクシミリか郵送で。

それが受領されてから、改めて請求書を発行する。

はっきり言って、かなりめんどくさい。

しかし私は昨年一度登録したはずだと思い
問い合わせたが、該当が見当たらないという。

どういうことだ腑に落ちぬまま
改めて用紙に記入し、証明書をコピーする。

と。

印鑑がない。あるべきところにない。

ない、ない、ない。

あるべきところどころは3度見た。
カバンも全部見た。
引き出しも全部ひっぱりだした。

でも、ない。ない、ないぞ。

疲弊す。

途中、Skypeで連絡があったものの、もはや上の空だ。

もういちど、積んである本をどけ
積んであるラックをおろし
せっかく整理したかに見えた床の上はぐちゃぐちゃだ。

泣きたい。

呆然。

印鑑、作り直すのだろうか。
あれは何か登録に使ったんではなかったっけ。

昔は、ないものは無いと
あきらめるのが早かったが
お金もなければ時間もない今は
「絶対、ある」「あったんだから、ある」
と言い聞かせるようにしている。

あきらめきれず
もう一度、ラックをどけて棚の下に手を伸ばしてみた。

あ!あった。

印鑑は床の上にごろんとしていた。

少し空いた大事なものバッグのチャックの間から
するりと落ちて転がっていたようだ。

茶色い印鑑袋をイメージしていたのに、袋は黒色だった。

いやになる。

自分が。

この年齢になったら少し治ることはあっても
大きく改善するということはないのだろう。

私がいつもそばにいてほしいのは
私の面倒を見てくれる人。




2014年8月17日日曜日

夏休みの思い出と虚と実と

今年のお盆は日程が合わず
墓参りに行けず。

母と弟だけ、信州へ行ってきた。
いつものとおり、上田のお墓に手を合わせた後
おみやげを手に
現在の千曲市にある親戚を3軒、回ったとのこと。

そして、たいしてうまくもない蕎麦と
夜はイトーヨーカドーで何だかを食べたらしい。

せっかくなのだから
たまには
母と一泊どこかに泊まればと思うのだが
毎年、毎年、同じ親戚めぐりである。
弟のFが好きなのである。

お墓参りの後も、時間が許す限り
お寺を訪ね、挨拶する。

親戚は、父のいとこの家、2軒と
私のいとこの家 1軒。

稲荷山という町に住む私のいとことは、
ずいぶん年齢が離れている。

小学校の3年生くらいまで
夏休みの半分は、この山のふもとの町で過ごした。




小学校にあがってからは
上野から一人で電車に乗せられ
先に来ている祖母と合流するのが常だった。

見送りに来た父は
サンドウィッチと、急須を模したポリ容器の熱いお茶、
そして冷凍みかんと、分厚い時刻表を渡し
隣にいるおじさんなどに、よろしくお願いしますと声をかけると
ホームで動き出す電車に手を振った。

父はにこにこしていたような気がする。

しかし、私には、にこにこと大きく手を振った覚えがない。

思い浮かぶのは、4人がけの堅い座席に
きちんと座り、時刻表を膝に置いて
頬をこわばらせた小さな女の子である。

もう忘れたが、碓氷峠には10いくつだかのトンネルがあるので
それを数えるように言われた。

時刻表で駅の名前を確かめ
だんだん山が近くなっていく、窓の外ばかり見ていた。

駅に着いて、迎えに来ていた先のいとこの顔を見て
思い出の中の私はようやく笑顔になる。

いとこの家は、今も電器屋だ。

店番をしながら電池を売ったり
ウインドウを磨いたり
あるいは軽トラに乗ってテレビの修理に行ったりするのが好きだった。

屋根裏のようないとこの部屋にある
ぎっしり本の並んだ本棚と、天体望遠鏡も
また私を夢中にさせた。

店の裏には、祖母のいとこだかが暮らしており
(皆、関係が近く複雑なのだ)
遊びに行くと、やはり可愛がってくれたが
お目当ては、コリントゲームだった。


点数を競うのはもちろんだが
球が重い音をたててごろごろと木の台を転がって行く
あの音を聞くのが好きだった。

持って帰りたいくらい好きだったなぁ。

自転車に乗ることを覚えたのも
この山のふもとの町の夏休みだ。

私の暮らすネオンの輝く街では
小学校低学年の自転車乗りは確か禁止だったはず。





祖母とは隣町にある温泉付きヘルスセンターに必ず行った。
プールで泳ぐのが楽しみで
一度水着を忘れたので、シュミーズ(シミーズと言っていた)で
ばしゃばしゃ遊んだことがある。

たいして泳げないので、だいたいプールサイドに近いところで
バタ足かせいぜい、泳ぐまねだ。

山の空は濃く、青く、そして日ざしはまっすぐと強い。

ひとりだが、行楽地特有の歓声がこだまする中
私は上機嫌だった。

すると
「なんで、そんな格好で泳いでるんだよ」
と、半ズボンの男の子に
水の上からゲタで頭を押さえつけられたことがある。

ぶくぶくと沈み、浅いプールではあったが底が見えた。

そんなことはされたことがなかった。

暗い顔をして私はそそくさと水からあがった。

たぶん、誰にも言わなかったと思う。

親戚、商店街の人たち、テレビの修理に行った家
どこに行っても可愛がられたが
このガキ大将のような男の子だけは、私を甘やかさなかった。




そういえば、中一のときだったかなあ。

人数が増えて中学が2つに分かれることになったのだが
先生が「こんなイイ子が行っちゃうなんて」
と、私を抱きしめてくれ、ふわふわしていたら
「イイ子じゃないやい」
とある男の子が言った。

見透かされた
コイツは、知っていると思った。

クラスでもダントツの秀才と呼ばれるYだった。
隣には今、医院を継いでいるKもいた。

実はこないだも、いい気になっている私は
手痛い一言を受けたのだ。

外向きの衣装を丸裸にするように
虚を生きる私を
ぐいと実に引き戻す一言。

いつか合体する虚と実もあれば
遊離したままの虚と実もある。

そして虚と実が
めでたくなのか、哀しくもか
一体になったものしか最後には残らない。
そんな気がしている。




























2014年8月14日木曜日

ありがとうと言ってほしいわけじゃないけれど

入稿の日。

午後六本木。

春から代わった担当者は
いわゆるデキル人ではない。

最近ずっと翻弄されている。

で、昨日気づいたのだが
この方は、ありがとう、とか、すみません、といった
言葉を発しないのね。

たとえば、ちょっと修正した誌面をお持ちして
「いかがですか」
と尋ねると「うん、いいと思う」
と答える。

えらそぶってるわけではないのだが、
あっちこっち、的がはずれている。

家でもそうなのかなあ。

別にお礼を言って欲しいわけじゃないけど
持ちつ持たれつ、という感覚が薄いのかね。

父は、人に会ったら
お礼を言うことはないか考えなさいと言ってたな。

うちの息子は、夜食を用意しておいた私に、ありがとう、と言うぞ。
それを聞くと、あれ、こいつはイイ奴だなぁと思うのだ。

大間違いな育て方はしてないな、と胸をなでおろすのだ。

そして私も、ゴミ捨てしてくれたりしたら
ありがとう、と彼に言うようにしている。

前にも書いたような気がするが
昔シカゴに行ったとき
お世話になった日系のおじいちゃんがいた。

バスに乗る私をいつまでも見送ってくれた人。

帰ってからお礼をしなきゃと思いながら
ずるずると過ごしているうちに
亡くなってしまった。

お礼に明日もあさってもない。
もしかすると、その時しかないのかもしれない。


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入稿原稿を届けた後
六本木ヒルズの夏祭りに寄り道。

友人は家でごはんが待っているので
屋台にも寄り道せず
66体並んだドラえもんと写真を撮っただけだが
束の間の都会の夏休み。

カップルにも邪魔されず眺めた東京タワーは涼しげだった。

バスで渋谷まで
蒸し暑かったが、HMVに寄り道する。

閉店間際だったとは言え、すいている。
そして、やはりここは男の世界。

せっかくなので
ボビーブランドの7inchを1枚買う。1000円。

1階でポータブルレコードプレーヤーの試聴など冷やかす。

のっかってたのは
George Bensonの7inch、曲はTurn Your Love Aroundだったっけ。
この曲を聞いた途端
思いがけず過去がよみがえり、いろんな思いが
絞り出されてきた。


一杯ひっかけた男女や
笑いがとまらないといったグループをすりぬけながらの
帰り道は
ちょっともの寂しい気分。

書類とiPad、シングル盤1枚入れたバッグで
肩からカーディガンがずり落ちる。

湿気で、あっち跳ね、こっち跳ねの
汗だく、くしゃくしゃヘアスタイルは
昔、雑誌で読んだデキル女の姿とはほど遠い。

でもこれが
独りで生きていく、わたしということだ。















2014年8月13日水曜日

殻を破ったその先は

久しぶりにテレビをみたら
ストレスに強くなる法をやっていた。

鎌田實先生が出ている。

うつ状態を和らげるには
セロトニンとオキシトシンという
ニューロモジュレーター(神経伝達調節因子)が
大きく作用するらしい。

テレビではわかりやすく
オキシトシンは「思いやりホルモン」「人を幸せにするホルモン」
セロトニンを「喜びホルモン」「感動ホルモン」
と解説していた。

親しい人とふれあえば
気持ちが休まる、これはよくわかる。

逆に誰かに料理を作ってあげるとか
プレゼントをするといったことも
オキシトシンを刺激するとのこと。

母親が赤ん坊に母乳を与えるときにも
お互いにオキシトシンが分泌されているらしい。

こういう話題になると
母乳VSミルク議論を熱く語る人が現れるのだが
だからって母乳でなければ、ぐれたり、病んだりするわけでもないだろう。

私は母乳で育ったが、ときどき心が病みます。
弟のときは母乳が足りませんでしたが
なんとか、いい奴に育ってます。

まぁそのほか、ネットを検索したり
本を読めば、いろいろ出てきます。

私が、あぁそうなのかと思ったのは
まず一つ。

冷や汗がでたり、心臓がどきどきするのは
ストレスに対処しようとしているからだとのくだり。

すぐ、どきどき、ばくばくして
具合が悪いったらありゃしないが
あれは全身で防御しようと頑張っているわけだな。

二つ目。

おいしい! とか、きれい!とか
感動を口に出すことで、セロトニンは分泌されやすくなる。

これは常日頃、課題としているところだ。

周囲にも、おいしい! きれい! すごい!と
お世辞ではなく口にできる人が
何人かいて、いつも、ああなりたいと思うのだ。

そういう人は、怒ることも、悲しむことも、仕事することにおいても
まっとうであり、誠実だ。

私は斜に構えて、言葉で論評しようとするくせがある。
あるいは、人がおいしい、きれいと喜ぶのを見て
それで、その場が良かったか悪かったか判断する傾向がある。

そこを改善していきたい。
極端にいえば、奔放でありたい。

しかし
もっと殻をやぶっていきたい! と知人に話したら
一般的にはだいぶ殻がとれているように見えると言われた。

私は、欲深いのか。

そして殻を破り破り、脱皮したなら
ゴスペルシンガーになるのでは、とも言われる。

ブルースを歌うことをやめて
説教師になると言い残し
踵を返して帰って言ったのはロンサム・サンダウンだったか。

チャーリー・パットンだって
自分の暮らしを顧みて
何度か説教師になろうとしたんだった。

行き着くところは、結局、神のもとで働くことなのか。

セロトニンとオキシトシンがたくさん分泌されそうではある。




















2014年8月11日月曜日

電車のセミ

電車の座席にぼんやり座っていたら
じりじりジリバリバリバタバタと突然の音。
セミだ、セミ。
セミが乗り込んできて
困惑のあまり
あちこちにぶつかりながら飛び回っている。

あからさまに顔をしかめる人。
見上げる人。
口元に笑いを浮かべる人。

と、セミも覚悟をきめたか
ドアの前に鎮座した。

うむ、これは捕まえにいくべきか。
いけるか。
もし逃がしたらどうするか。

迷っていると
目の前に座っていた肩幅の広い男性がすっと立ち上がる。

そして、素早くつかむと
次の駅でドアがあくなり、ホームに放り出した。

肩幅の広い男性のTシャツには
All JAPAN JYUJYUTSU なんちゃらと
書いてあるように見える。

呪術ではないぞ、柔術だ。

男性が席に戻ると隣に座っていた
メガネをかけた細いお兄さんが
笑みを浮かべ
ありがとうございますと、頭を下げている。

終点の駅に着いたので
さっそく束の間のヒーロー
JYUJYUTUの男性の後に続いて電車を降りる。

肩幅の広さとがっしりとした背中。
荷物はサンドバックみたいな楕円形の袋一つだ。

なにごともなかったように、というか
この方にとっては、なにごとでもないのだろうな。

なにごともなく、なにかをする、というのは
頭と体がぴたりと合っていないと、ままならない。

2014年8月10日日曜日

ブルース20代

昨夜は四谷ブルーヒートで
大久保初夏ブルースプロジェクトと
浜崎史菜のスペシャルバンドを観た。

2人とも弱冠23,24歳の
愚息よりもさらに若い、うら若きギタリストである。

ジョニー・ウィンターのナンバーから始めた
初夏ちゃんは、FUJIROCKなど大舞台も踏んで
自信をつけているのがわかる。
昨夜はオリジナルを立て続けに聴かせた。
少し気持ちがはやりすぎている感じもあるけれど
それもパワーでぶっ飛ばす勢いがある。

そして史菜ちゃんは、初めて見たけど
驚いた。
ザッツ・オールライトに始まり、
ジョニー・ギター・ワトスンの“Those Lonely Lonely Night”
Willie Williams、Johnny B.Moore(!)
さりげに「634-5789」なども。

でもこれ見よがしでなく
素朴なMCとのバランスがとても愛らしい。

なんだか、いろいろ、おもしろくなってるなぁ。

あちこちから集まってきた線が
一つの点に向かっているような予感。


昨日、NHK FM で勘太郎さんのギターを聞いて思った。
日本のブルースのギターもすごいところにいったなあ。
B.B.キングがあの年齢で
今まで満足した演奏はないと語るように
もちろん勘太郎さんはまだまだこれからと言うだろうが
一つの水準に達したことは間違いない。

次の世代に期待するのは
やっぱり発想力、オリジナリティということになるだろう。

カヴァーでもオリジナルでもいい。
英語でも日本語でもいい。

今を生きているその人からわき出る音。
その人の想像力で歌うブルース・ナンバー。

話にもでていたけど、ビヨンセが歌うエタ・ジェイムズなんかは
わかりやすい典型例だろう。
昨日のラジオでも後半に赤坂さんの視点からなのか
肌の色問わず
Imelda Mayとか
Big Bad Voodoo Daddyがかかったのはよかった。

私も懐かしく、心地よい古巣に
甘えてちゃだめだな。

いいものをみつけ
シェフのように紹介していこう。

みんなみたいに歌えず演奏できないことを悔しく思うけど
その分、やれることをやっていこう。



2014年8月9日土曜日

中二病

佐世保で事件を起こした女子高生の卒業文集に
寄せた文章を読み、胸かつまった。

世をはかなみ、世に抵抗し
斜に構えながら、それでもできれば幸せになりたいと思う。

頭だけ発達しているのに無力な中学生。

この子はもっと別の部分で病んでいるのかもしれないし
擁護するつもりはまったくないが
どこか自分の中学時代を垣間見たような気がした。

ネット掲示板には
この作文に対し
「典型的な中二病だな」
との声が。

わたしも中二病だったのか。

どうして高校に行くんですか!と先生に食ってかかったり
タバコを吸うまねをしたり
今だから言うけれど
成績のことをうるさく言い
音楽に対して理解のない父親を殺したいと思ったこともある。

だんだん外の世界に向かって
家というバリアをびりびり破いて出ては行ったが
ふり返ると30歳くらいまで
ずっと中二病だったような気もする。

先日、仙台の健一さんに
「みえちゃん、大人びた子だったっけね」
と言われた。
二十歳ごろ、友だちと初めて仙台を訪ねた時のことだ。
健一さんは、そこまで感じなかったが
私たちが帰った後、友人の一人がそう言ったらしい。

あのころは、受け容れるより
いろんなものを突っぱねてばかりだったように思う。

実にもったいないことをした。

そしてもし私の中二病が終わったとすれば
久しぶりに会ったおねえさんに
「なんか変わったね。昔は“ブルースの人!”って感じだったのに」
と言われた三十歳すぎかもしれない。


★ ★ ★

ヤフーの知恵袋に
事件を起こした女の子の読んだ本を教えてほしい
という質問が載っていた。

夏休みを迎え、我が子が読書にはまっているが
同じ本を読むかも知れないと思い怖くなったという。

無理に自殺や殺人を勧めるような本を
推薦することはないが
何を読んでもいいだろう。

何を手に取るかはその子の癖による。

私は、中学生のころ
ドフトエフスキーの「罪と罰」や
坂口安吾「堕落論」
さらに学生運動のころ命を絶った
高野悦子の「二十歳の原点」に、はまっていた。

もうすっかり忘れたな。
でも、あのころはその世界に沈殿し、影響されてたはずだけど。

確かに親は自殺した高野悦子の本に心酔していることを
心配していたような気もするけどね。

そして、それ以上に音楽の影響は大きいかもしれない。
書を捨てよ、街に出ようとか
見る前に跳べとかね。

高飛車な態度だった小学生の私に
下から上を見上げて考えることを教えてくれたのは
フォークソングだったよ。
その次がブルース。

しかし、絵本にしろ、何にしろ
心配なら親が読んでみたらどうだろう。

親から伝えられるのは、極端に言えば文化だけだ。

親が読み、親が聴き、親が見て
いったい何に感動するのか。
と同時に、親が一人の人間として何を尊厳とするのか
許せないと伝えるのが教育だ。

そして、
死にあこがれ、死を思う時期もあったとしても
自分の意志ではなかったとしても
生まれてしまったからには
生きて、生きて、生き抜け。


2014年8月8日金曜日

ネットにないもの

六本木で打合せ。

見上げる空に吸い込まれる。

見上げたせいなのか
吸い込まれたせいなのか、めまいがした。

秋の雲じゃないか。

うろこの雲。
風に流され、流され、ちりぢりになる雲。
糸のように繊細な雲。
東京としては珍しく青々とした空を
いっぱいに使って遊んでいる。

いいなぁ。

2~3人やはり見上げるお仲間あり。

打合せの後ごはんでもという話だったが
車で送っていただく途中、停められる場所が
いつものファミレスしかなく、結局、家ゴハンになった。

コロッケ、レタス、大葉、キュウリのサラダ。
たまごかけごはん。

食べ終わったか食べ終わらないかのとき
いづみやのK一さんから電話。

昔はレコードの話ばかりしたこともあったが
最近は世間話が多い。
週末ズクナシが仙台に来るので観に行くそうだ。

場所がわからないので店を探し当て電話したら
「詳しいことはネットに載ってます」
と言われたとか。
健一さん、まったくインターネットはやっていないのである。

で、インターネット以外に載ってない人、もの、世界がたくさんあるよねとの話に。

あるおいしい宮城の酒を探す人がいたのだが
ネットを検索しても一件も引っかからない。
一件も。
そこで、蔵元を探し問い合わせたら
それなら仙台のいづみやにあるんじゃないかな、と言われたそうだ。

いづみやには、ネットに載っていない酒がある。

いや、それは言い方がおかしいな。

別にネットに載っているものが権威だったり
常識なわけじゃないのであって。

うちの父ちゃん、母ちゃん、いや妹の名前だって
検索しても出てこない。
でもGOOGLEさんがご存じなくても
ちゃんとこの世に生きてたり、生きてるんだ。

あと、疎遠になった、あるいは行方がわからない友だち
これはいくら工夫して探してみても見つからない。

これもバカの一つおぼえみたいに
よく言うことだけれど
音楽だって、古今東西、録音の機会に恵まれなかった人や
録音したけれどUNKNOWNになってしまった人への
想像力を忘れないでいたい。

個人的に記録することは好きだが
かといって記録されたものがすべてではないのだ。






2014年8月6日水曜日

暑さとの些細な闘い

山手線ホーム。

ごみ箱は、新聞・雑誌など、かん・びん、その他のごみの
3種類に分かれている。

アジア系の家族と思われる一団
Mシェイクのようなものを飲みながら歩いてくる。

と、お父さんらしき人が
ごみ箱の、「かん・びん」にシェイクの容器を投げ入れた。

あららーと思ったが、
かん・びん だけ丸い穴で、他は四角なのだ。

日本語は読めないであろうし
感覚的に、丸に入れたくなる気持ちはわかる。

ユニバーサルデザインって難しい。

それにしても酷暑である。

こんなに暑いのに、もう昔の日本ではないのに
日本人は、昔と同じように
いやそれ以上に働かねばならないのだ。

気分を変えようと、iPodでアラン・トゥーサンのピアノ・ソロ・アルバムを聞く。
実に、実によい。
声とピアノからあふれでる人柄が、うだる気持ちを涼しくしてくれる。

帰ってデザイナー打合せ、校正などしているうちに
どうにもこうにも眠くなる。

なんとか手配だけして、倒れ込むように床の上のクッションに。

そのまま爆睡。

起きたら喉が痛かった。
いやな頭痛もする。
あの3.11の前日、起き上がれないほどの頭痛であったことを思い出す。
あのときは、頭痛薬を飲んでも治らず、真剣にCTスキャンを受けようと考えていたのだ。
あとで聞いたら友人も、ものすごい頭痛で起き上がれなかったそうだ。

しかし、今日の頭痛はたぶん
先日、耳をいじっていて血が出た影響だろう。
それで喉が痛くなり、風邪のような症状になる。

私は、特に忙しいと耳をいじったり、爪を爪切りを使わず剥がしたり
かさぶたやささくれをひっぱがしたりするクセがある。

気を入れようと
あり合わせのナス、わかめ、ミョウガで、濃いめのおみおつけ
キュウリ、レタス、シソをイタリアンドレッシングであえる。
ごはんに梅干し。
あとYくんの好きな麻婆豆腐。


ごはんを食べたらだいぶよくった。
もしかしたら熱中症気味だったのかもしれない。

なにしろ今日も醜い暑さであった。
あまりに暑いとわかっていたのに
スカートがはきたくてストッキングを履いた。
その上、最近運動不足だからと隣の駅まで歩いて行ったら
汗が吹き出して止まらない。

だが、服だけはタンクトップにカーデガンだ。

しかし打合せの途中気づいたら
カーデガンの前ボタンがはずれていた。
ちょいと淫らであったかもしれぬ。
そんなつもりは微塵もないのだが気をつけよう。






2014年8月4日月曜日

8月雑記その2

駅へ着く間に汗だくとなる。

最寄り駅は地下2階なので
風も通らない。

試しにホームの太いコンクリの柱に
身体を寄せてみる。

ぬるい。

コンクリまであったまっていた。

がっかりして
各駅停車に乗る。

原宿駅で乗り換え。

夏休みか。

色とりどりの服装の女の子たちのかたまりと
西洋から来たらしい外国人のグループが目立つ。

あの中学生、高校生くらいの女の子の
独特の垢抜けなさはなんだろう。
桃のようにぽってりとした感じ。
じゃがいものようにごろりとした感じ。
あるいは棒きれのようにたよりない感じ。

細くても太くても
どんなに格好のいい服を着ても
何かちぐはぐな感じ。
自分の手を手として認識できず
足もまた足としてとらえきれていないのだろう。

今日は入稿で
とても緊張した。
とにかく自分が信用できないので
絶対間違えていると思ってしまう。

恥をしのんで、確認のために何度も電話をかける。

高層階で景色はいいのだが
トイレに行くにも、編集部の人のIDカードを借りなければいけない。

打合せスペースは広いのに
編集部員の机はぎっしり並び、パソコンのほか
紙を広げるスペースもないようだ。

大きい会社にいたことないから
どうも落ち着かないなぁ。

すみっこのテーブルを借りたら
冷房が行き届かないようで暑かった。

ひととおり終わり
フロアを後に。

午前中に約束した青森のマタギツアーの事務所に電話をする。
「すみません。まとめてるもんが、明日もあさってもいねえんですよ」
「あ、それでは木曜日にお電話しましょうか」
「いやー、でも、またその日に山に入っちゃうんで、来週13日過ぎに
 連絡もらえますか」

山に入っちゃっておりてこないのか。

そうだな。私はマタギツアーの事務所に連絡をしているんだ。
納得した。

8月雑記

どうにもこうにも暑い。そして眠い。

マディに関する原稿を書き上げたら
さらに1日ずっと眠い。

昨夜もライヴに行ったが
終わってからあまりうだうだせずに帰宅した。

途中で、外国人の女性に
「エイゴ、ワカリマスカ」
と住所を見せられた。
目的地はまだ20分ばかり歩かねば着かない。

友だち2人は大きなスーツケースにもたれて
道端で座り込んでいる。

電車に乗ったらと言っても
どうしても歩くという。

都内といっても夜10時過ぎだ。

結局もう一人通りかかった男性が
近くまで連れていってくれることになった。
親切な人。

ごめんね、テイクケアー。

昼過ぎにパスタを食べただけだったので
帰ってきてワッフルと
買い置きのカップ饂飩を食べたら
テキメンにもたれ、そのまま寝た。

そしてけさ、変な時間に目が覚めた。

とりあえず、やるべきことを考える。

まだやらなければならないことはあるのだが
ぱんぱんに詰まっていた大樽に
少し空きができてきた。

ただ、やらなきゃいけないことと
しょうがないからやることは別だけどね。

だいたいにおいて
燃料は気力なんだとわかる。
体力はない。

昔っから、持久走が大キライだっただけでなく
とてつもなく遅かった。
人生と同様、短距離走向きなのである。

そうも言ってられませんよ、と
これは占いのアドバイス。
ごもっともで。

ガザの問題もあるのだが、
周りを見回しても
最近、死を考えざるを得ない時が多い。

午後、ふと目をつぶって
ぼんやり考えていたら
私は、今、生きているのか。
と愕然とした。

夜は、この熱いのにうどん。
なす、小松菜、あげ、揚げ玉、半熟卵
ついでにミョウガも入れた。

ごはんはもたれるが
カップ麺ではないうどんなら、調子がよい。

2014年6月13日金曜日

ブルース水

朝起きて、カーテンをあけたら
久しぶりに青空の気配がする。

ベランダに出たら
空気がそわそわしていた。

光が跳ねていた。

ジャズのお店 を まわる。

本日 5か所。

いわゆるモダン・ジャズの類は
ブルースに比べたら、そんなに聞いていない。

なぜ、わたしが、と思わないでもないが
同じように音楽
そしてブラック・ミュージックが好きな一人として
お話を伺うこととする。

大学生のときだったか
いや、あれはまさか高校生だったのか。
ジャズ喫茶に突撃して
おしゃべりし、イヤな顔されたことを思い出す。

傍若無人。

あなたに足りないのは謙虚さ、と、友は言った。

すみません。

吉祥寺に着くと
ほどなく晴れた夏空にわかにかき曇り
大粒の雨が降ってきた。

街は不安に襲われたが
また何もなかったように
陽が照りつけ、
道行く人もまた何もなかったように
夏をむさぼる。

私もいい気分で
駅に向かって歩いていたら
素朴な若い女の子に声をかけられた。

「この中でよく使う言葉はなんですか」

きれい、かわいい、ありがとう、ごめんなさい

裏返せばいとも簡単に
般若となる言葉が目につく。

水にこれらの言葉を貼ると浄化されるのです、と
メガネの素朴ガールは言った。

あぁ、ありがとう水と、ばかやろう水とかいうやつか。

そして、とても良い気がでています。
いま転機にあります、
素直な方ですね
と路上勧誘お決まりのトーク。

しかし、なんと雲ひとつない無垢な笑顔なのだ。

あぁ、むしろ私はこの素朴ガールを救ってさしあげたい。

水にブルースという紙を貼って
飲ませてさしあげたい。

ありゃ、まさにMuddy Waters.
あるいはVoodoo Waterか。

そんなことを素朴ガールの問いかけも上の空で考えていたら
「こんにちは」
と、もう一人素朴ガールがやってきた。

おっと、あぶない。

「お名前だけでもお聞かせください」
と、素朴ガールその2は言ったが
いやいや名乗るような者ではございませんと
私は信号が変わるや横断歩道を渡った。


2014年6月11日水曜日

がびがび。

身体で覚えた経験が少なすぎるのかなと思う。

そう思ったのは
豚肉とピーマンと、あと何か野菜を炒めていたときだ。

まな板を出して
水道で流して
包丁で野菜を切って
相変わらず、ちょっとヘタのあたりが
つながって、ばらばらにならなかったりして。

それから換気扇を回し
ガス台のレバーをひねり
下味をつけた豚肉と炒め始めたのだった。

もう片方の手で、おみおつけにも火をいれる。

手を動かしながら考えていた。

こんなこと・・・と思うようなことでも
一所懸命やったことは
ムダにはならない。

しかし、血肉になるのか、と言われたら
そこは自信がない。

この手でやれた!と思うこと
この足でできた!と思う体験が
圧倒的に少ないのだろう。


まっすぐ線が引けない、と、
ある人に、ぽろりとこぼされた。

いやいや、私も、引けない。
子どものときから。

折り紙を半分に折っても
三角の山がぴたりとは合わさらない。

紙にのりつけをすれば
5本の指がすべて、がびがびになる。

絵を描くのは嫌いではなかったが
パレットはいつも、固まった絵の具で、がびがびだった。

父親はそういう私を見て
「みえは、いくじがないから」
と言った。

今も朝、でかける前に
キウイを刻んで入れたヨーグルトを食べながら
ふと太もものあたりを見ると
ヨーグルトがこぼれている。

せっかく履いていこうと思ったスカートも、がびがびだ。

線が引けない人は、
ぬりえをしても、いつもクレヨンがハミ出してしまったそうだ。

「でも、きちんと線の中に収めなさいと言われるのもイヤでしょう?」
と少しいたずらっぽく言うと
それはそうだと、その人は笑った。

それでも、
がびがび、でなければ、さぞ心地よいだろう
胸を張って生きられるだろうとも思うのだ。

豚肉とピーマンの炒めも
おみおつけも、味はまあまあだ。
特に、おみおつけは、最近われながら
おいしくできることが多い。

でも、でも。

もっとおいしそうにお皿に盛れたらいいのにと思うのだ。

そして終わった後の台所がもっと片付いたらいいのにと思うのだ。








2014年6月6日金曜日

買い物と見張り

久しぶりに大きなスーパーに行ったら
支払いが4,000円にもなった。

驚いたが、現金で支払った。

ナス、新じゃが、ネギ、などなど野菜
朝食べるグリーンキウイ
(ゴールデンキウイではなく少し青臭いグリーンがよい)
Yくんが食べたいといったので、サカナを探すと
これは、天然ブリが3尾で294円であった。

他に合挽き肉、豚のもも、
コーヒーフィルター、紅茶パック、カップ麺
ドレッシング、調味料、6個入りアイス。
ミョウガは139円もしたが、どうしても食べたかった。

ナスとミョウガのおみおつけ。

300円、300円、300円が10個で3,000円だものなぁ。

袋につめ、ひとつを自転車の前カゴに
エコバッグに入れた分を
緑と白色がシマシマになった自転車用バンドで
荷台にくくりつけた。

先日、100円ショップでヒモを買ったのだ。
ティッシュやトイレットペーパーを買って
前カゴに入れたのでは、他に何も入らず具合が悪い。

でも今どき、荷台に四角いカゴを載せている人はあっても
荷台にくくりつけている人は
あまり見かけない。

確かに格好はあまりよくないが、らくちんだ。

雑種のイヌを見かけなくなったのと同じころから
見かけなくなったのかもなぁ。

ドラッグストアにも立ち寄ったが
欲しかった洗剤も、重層も売り切れていた。

100円コンビニにも寄る。

私は買い物が好きだが
売り場ではいつも緊張する。

万引きしていると思われないかと
心配だからだ。

店に入ってきて、
ドリンクをぱっとつかみ
すぐレジに行くような、あれができない。

手に持たないようにするが
それでも、あれを買おうかこれを買おうか
いや、やっぱりやめようと、
狭い売り場を
あっちに行ったりこっちに行ったり。

つい、ぶつぶつつぶやいてしまう。

どんな業種の店でも同じ。

スグ近くに店員さんが来ると
あぁ怪しまれているのかな
と、ますます緊張してしまう。

カメラで監視する人がいて
店長か誰かが見張るよう指示を出しているのではないのか。

オーウェルの「1984」から
もう30年もたったのか。

Big Brother is watching you

2014年6月3日火曜日

花瓶のバラ

午前中から外だったので
昼は渋谷市場でお弁当を買う。

駅前、東急プラザの地階は
肉も魚も野菜もパンも、箸も茶わんも
お茶もお菓子も、近所のおつかい感覚で買える渋谷のオアシスである。

なんなら近所で買うより安い。

弁当380円~500円。
種類も多いし
それなりの副菜もついている。

選んだ弁当にその場でジャーから
温かいごはんをよそってくれる上に
缶のお茶が一本つく。
これも緑茶、烏龍茶、サイダー、水などから選べる。

今日はじめて
お店の名前が、尚太郎ということを知った。

ジャーからごはんをよそってくれる
おじさんの名前なのだろうか。

でも名前はどちらでもいい。

昔、タウン誌でまちあるきの連載をしているころ
散歩の途中で見かけた食べ物屋さんを
紹介するのが苦痛なときがあった。

いや、見つけるのはうれしいし
食べるのはいいのだ。

それをありきたりな写真に落とし込み
住所や電話番号を載せなければいけないとなると
腰がひけた。

私はいつも通りすがりの人でいたかった。

川本三郎さんの一部の本や
武田百合子さんの本を読んでいると
店名は書かれていないが
引き寄せられる文章がある。

鮮やかに情景が浮かび上がってきて
確かにそこに店があり、匂いがあり
人のざわめきがある。

またいっとき、散歩の途中で見かけた
花の名前を書きたくて
植物の名前を覚えるのに凝った。

母と妹への引け目もあったかもしれない。
2人とも華道の師範を持っているが
私だけ無縁だ。

無粋な自分への挑戦でもあり
図鑑を見ながら
すっとこどっこいなガーデニングもやってみた。

おかげで今でもいくらか花の名前は言えるようになった。

だが、視覚と固有名詞が結びついき
それを言葉に落とし込んだ途端
文章が精彩を失っていく瞬間を感じることがあった。

そういえば、どこかの学校だったか
物事の本質を教えてくれるようなエピソードを思い出す。

確か、教材は、花瓶に挿したバラか何かの花だった。

親に対し、子どもにそれを伝えてくださいと促すと
「これはバラですよ」
と教える人が大半。
誰もまず、「きれいね」とは言わなかったという。

名前はただの記号だ。

見たまま、感じたままに受け止め
表現し、伝える。
それについて、もっと苦悶しなくちゃいけない。









2014年6月2日月曜日

電車の中。バスの中。

山手線のドアが開いたら
お尻の見せそうな派手なワンピースが
後ろ向きに立っていた。

ちょっと邪魔っけだなと思って乗り込むと
バギーも一緒だ。

母ちゃんなのか。

ショッキングピンクのこれまた派手な服を着せられた
2歳くらいの女の子は、少し暑いのかお尻をむずむずさせている。

ロングヘアをブリーチした
派手な母ちゃんは、カバンからiPadを取り出した。

たいそうなカバーがついている。

地図でも見ているのだろうか。

と思ったら、バギーの手すりにはめこむように
子どもの前に画面を置いた。
子どもは黙っていじり出す。

母ちゃん、何も言わない。
娘も、何も言わない。
お互い、顔も見ない。
娘、さほど楽しそうでもない。

あろうことか、2人の立っている側のドアばかり開く。

乗り込んでくる人の中には
バギーの車輪をまたいでいる人もいる。

おおむね子どもは好きだが
母ちゃん、父ちゃんが好きになれないと
子どもまでいやになってしまう。

電車の奥から別の子どもの声がした。

こちらの母ちゃんは抱っこして
上下に揺すりながら、なんのかんのあやしている。

一方がまともで
もう一方が、まともには見えない、
というのは自由をうたう社会でもよくあることだ。


帰りのバスは、運転席がよく見える
ちょっと高台になったシート。
少しぼんやりしていると
初老の女性が運転手さんに話しかけた。
「すみません、おろしてください」

「なんですか?」
運転手さんも、少し驚いたようだ。

「あそこの店に行きたいんです」
初老の女性は窓の外を指さした。
指さす方向には小さなケーキ屋がある。

「次の停留所でおりてください」

200メートルばかり先の停留所に着くと
先ほどの女性は「ありがとうございました」と
またわざわざ運転席までやってきて
頭を下げておりていった。

とまどい。

私は、なんだか粗相があってはならぬような気がして
自分が降りるバス停の少し前から
足もとに置いてあった荷物をまとめ
バッグを肩にかけた。

私もこれからどんどん年をとっていくのだ。

2014年6月1日日曜日

真夏日の野音で

6月。日比谷野外音楽堂。憂歌団
本日は立ち見は禁止、日傘禁止。

野音もせちがらくなってきたなぁ。
この年齢層で何が起こるっつーねん。

昔もモノ投げる奴(これはアブナイ)、押し合いへしあいはあったが

私は、紙テープ投げたことがある。

でも自浄作用が働いていた。
アブナイ奴には注意したし
危なくなったら、回りの人が声をかけてくれた。

いまは、それがないから、ダメなのか。

まぁ。缶チューハイが300円と安いのは良しとする。

ずっとブルースばかり流れている。

あたりまえのようだけど、意外だった。



西日をまっすぐに浴びて座っていると、あれっ。

左隣は、下北沢のバーのマスターであった。

一度しかお会いしていないが
SNSつながりで顔をお見掛けしてすぐとわかる。

一人置いて右隣は、
関西弁の男性コンビ。
手慣れた合いの手が、憂歌団ファンらしい。

私のすぐ右となりの女性は
連れかと思えば、おひとりらしい。

帽子を目深にかぶり、黒い日よけの手袋をしている。

拍手も小さいし、声なんか出さない。

ときどき、カバンを探って関係者用に配られたセットリストをのぞいている。

どうも、いかん。

あったまってしまった缶チューハイを飲み干し
好き勝手にイエーと叫び、笑い、ときに一緒に歌う。

アンコールになると、
マスターは知り合いのところに移動してしまった。

自然に皆、立ち上がる。
私も立つ。
隣の女性はもちろん立たない。

ふと左隣を見ると、座ったままのカップル。
男性が女性の手を握っていた。
女性は泣いている。

曲は「キスに願いを」。
康珍化さんの詞で、曲は花岡さんだ!

とまどう。

メンバー紹介で思いっきり、ハナオカサ~ンと叫んでみた。

見上げれば、ステージの上に細い三日月。

日比谷の野音に初めて来てから何年になるんだろうと
数えて、さらにとまどった。

もう40年近くになる。

やってること、なんにも変わらない。

憂歌団は、ドラムスの問題を除いても
変わらないようでいて変わった。
勘太郎さんのリーダーシップが強く出ている。

予定外の2度目のアンコールで
「アイスクリンマン」「君といつまでも」「カンサスシティ」
で場内を大合唱させてしまうあたりは
これはもうさすがに
バンドの底力としか言いようがない。

その一方で
不動のナンバーがいくらでもある
素晴らしさはそのままに
これから新しいメンバーで
また20年も愛される歌が生まれてほしい。

それでこそ再始動だろう。

一緒に歌っているうれしそうなお客さんの顔を見ながら
一人ひとりが憂歌団なんだなぁと思った。

それでも、メンバーが
そんな思い出や思い入れを、ある意味ものともせず
新生憂歌団として活動していってくれたら。

そしてそんな彼らと一緒に生きていけたらうれしい。




2014年5月1日木曜日

実家に帰る

タジ・マハールの『An Evening of Acoustic Music』
を聞きながら、実家に帰る。電車でおよそ1時間半。

アルバムは「スタッガ・リー」で始まる。
93年10月、ドイツはブレーメンでのライヴ。ほとんど弾き語り。
で、ほとんどでない部分に入っているピアノやチューバ、バンジョーが
これまたよい。

ジャケットも凝っている。
彼の中ではあまり話題にならないアルバムだけど
電車に揺られながら、うつらうつらする身体にも
しっかりと入ってくる歌、そしてギター。




私はタジ・マハールが大好きだ。
余談だが、インドの白いあれは、カタカナでタージ・マハルと書くらしい。

家に帰っても何をするわけではない。
ほぼ1日じゅう、大きな音でテレビがなっている。

80いくつになる母が元気そうでほっとする。

母にはあと何回会えるのだろう。
私はいつまで、娘としてふるまえるのだろう。
帰るとき、これが最後にならなければいいなあといつも思う。

あとは弟のF彦くんと、工場のネコたちと。
F彦くんとは、音楽談義、および工場の仕事談義。

車の中で、バーバラ・リンのジャパン・ライヴを聞いて
あの頃の話に花を咲かせる。

週一回、母を病院に送るため嫁いでいる妹のRちゃんも来る。
Rちゃん、ケーキを買ってくる。
Rちゃんとは化粧談義。インテリアの仕事談義。
実家にはなぜ食べ物がいっぱいあるのだろう。

私は箱入り娘だと誰かが言った。

家にいつも引っ張られてこの年齢になってしまった気はする。

映画でも家族ものにはからきし弱い。

オズの魔法使いの映画の最後で
「やっぱりお家が一番だわ」
というセリフを聞いたとたん、涙があふれて往生したことがある。

そんな家をつくれなかったわたし。

基本的に実家には過去しかない。
あのころのままだけれど
あのころのままではないと思いながら
帰りの電車ではまたタジ・マハールを聞いた。




2014年4月27日日曜日

マッスル・ショールズの映画 7月公開

『黄金のメロディ~マッスル・ショールズ』の試写が始まっています。

今回は試写会ではなく、
ライター陣で集まり、ブルーレイを観ました。

アレサ・フランクリン、クラレンス・カーター、キャンディ・ステイトン、
ジミー・クリフ、エタ・ジェイムズ、ウィルスン・ピケット、
ダン・ペン、スプーナー・オールダム、
さらにミック・ジャガー、キース・リチャーズ、
スティーヴ・ウィンウッド(トラフィック)
レーナード・スキナード、デュエイン・オールマン
といったミュージシャンに加え、モータウンのジェリー・ウェクスラーなども次々に。
サザン・ロックだ、ブリティッシュ・ロックだ、サザン・ソウルだ、モータウンだ
・・・といったジャンルを超えて、
世界のミュージシャンを引き寄せたスタジオ、マッスル・ショールズ。
テネシー川のほとりにある
アラバマの大自然に囲まれたスタジオの風景を通じて、
駆け足ながら、60~70年代の音楽シーンの横串を
可視化することができました。


■マッスル・ショールズとは

マッスル・ショールズは、アラバマ州の北部にある町の名前。
1950年代の終わりごろ、リック・ホールは
友人と共同でフェイム・スタジオを興しました。

その後、彼はプロデューサーとして製作に携わり
フェイム・レーベルなどから作品を世に送り出しました。
その後、アトランティックのジェリー・ウェクスラーや
チェス、キャピトルとも手を組み、たくさんの作品を送り出しています。

後に、マッスル・ショールズ・リズム・セクション(スワンパーズ)は
ウェクスラーに引き抜かれる形で独立。
マッスル・ショールズ・スタジオで
ロック系のアーティストの作品も多く手掛けました。

またこのスワンパーズと入れ替わる形で
サザン・ソウル・ファンに人気のフェイム・ギャングが
サポートを務めるようになっていきます。

しかし、作品の中心はあくまでホールやスワンパーズであり
フェイム・ギャングのシーンは少し。

そういう意味では、どっぷりソウルを聴かれている方には
食い足りないところがあるかもしれません。

実際、ストーンズやオールマンといった
ロック・ミュージシャンの口からでなく
ブラック・ミュージックを語るような映画はできないのかという意見もあります。

でも、私にとっては、
ジャンルという境界線など
見えないラインだったと
改めて気づかさせてくれる映画でした。

「ダンス天国」なら知ってる!
といったロックファンにもぜひお勧めしたい作品です。

乱暴な言い方になりますが、

白人のにいちゃんたち=スワンパーズが、
あんなファンキーな演奏をしていたことに
改めて驚く人もいるでしょう。

映像を観ながら、おや、これは私が70年代に体験した“あの音”だと
ふと感じる場面がいくつか。

そう、キャラメル・ママ(ティンパンアレイ)は
マッスル・ショールズ・リズム・セクションを意識していたと
以前、ドラマーの林立夫さんが語っていた。

音そのものが直結していたわけではないが
私に直感的にファンキーを教えてくれた
彼らの音には、マッスル・ショールズも溶け込んでいたにちがいない。


林立夫さんインタビュー(キリンラガー音楽酒場)
http://e-days.cc/musicbar/musicman/hayashi.html


■リック・ホールという男が人生を賭けたもの

しかし、全体を貫くのは、
マッスル・ショールズの地に
スタジオを興した
リック・ホールその人の思い、生き方です。

一緒に鑑賞していた人の中から、
「頑固一徹、中小企業を興したオヤジの一代記だな」
といった感想もありましたが、まさにそんな風情も。


ネタバレしない程度に書きますが、
ウィルスン・ピケットのワルそうな感じが際立っていました(笑)。
あと、男性陣からは、アリシア・キーズがキレイだとしきりに。

キレイなだけじゃなく
クワイヤをバックにしたアリシアの「プレッシング・オン」は
予想以上によかった。

キャンディ・ステイトンのレコーディング・シーンは
今度出る新作ですね。

昔の栄光ではなく、ちゃんと今に続いている。
そこがまたこの映画の素晴らしいところです。

■南部アラバマ

そしてなんといっても、「スウィートホームアラバマ」。

スワンプ・ロックの地でもありますから
ある程度想像はしていましたが、アラバマのど田舎っぷりには驚かされました。

翻訳家のアライさんによれば
この曲「スウィートホームアラバマ」と、レーナード・スキナード「フリーバード」の
人気には凄まじいものがあるそうです。

そしてマッスル・ショールズのマッスルは、筋肉のマッスル。
洪水や水害に負けないぞという意味があるんだとか。

またアラバマといえば、公民権運動の時代に
激しい人種差別で知られた町でした。
このあたりも事前に知っていると
なおのこと映画の世界に深く触れることができるでしょう。

ということで、7月公開をお楽しみに!



黄金のメロディ~マッスル・ショールズ~

7月より新宿シネマカリテほか全国順次上映予定
http://www.magpictures.com/muscleshoals/


オフィシャルトレイラー
http://youtu.be/FNGtfpim0OM

2014年4月22日火曜日

銭湯に行っていた。

朝、カーテンを開けたら思いがけず晴れていたので
帰ってきたらセンタクモノが仕上がっているよう
洗濯機のタイマーをかけていった。

そしたら、見事に昼から雨じゃあござんせんか。

春の雨だと、レイニン・イン・マイ・ハートは浮かばない。
あの雨は、いつの季節を歌っているのだろう。

しかたないので
ベランダの内側に控えめに干す。

2人しかいないのに、まあなんでこんなにタオルがあるんだろう。

バスタオルは1枚。

珍しく、Yくんのアクリルセーターも。

今では皮膚科の先生に勧められたこともあるのか
1日に1度、多いときは2度シャワーを浴びる彼だが
不登校だったころ、彼はこまめに着替えたり
入浴するほうではなかった。

そしたらある日、不登校クラスの先生に言われたのだ。
「お風呂に入っていないのでしょうか。
クラスの女の子が臭いというのですが」

これには、たまげた。

ちゃんと彼に話した。

それからは少し気にするようになったらしい。

名誉のために言っておこう。
今の彼は、きちんとシャワーを浴びてます。

いずれにしても年ごろの男の子は臭う。

10代の頃は先に風呂に入られた日など
換気扇から台風でも吹き込んだかと思えるほど
残留物が浮いていたこともあり
風呂ふたをあけて、立ち尽くしたこともある。

実家にいたときは、どうだったんだっけ。

6人家族、一つの風呂桶に順に入っていたはずだが。

いや、そもそも私は10歳まで銭湯であった。

よく行く銭湯はちょっと離れていたので
父が車を運転し、家族みなででかけた。

妹、弟は年子であったから
母は自分の身体を洗うひまもなかっただろう。
2人を両脇に抱えて洗い場に入ってくる姿をおぼろげながら目に浮かぶ。

そんなわけで
私は、お風呂のおばちゃんという人に
面倒を見てもらうことが多かった。

一足先にあがるとバスタオルで身体をふいてくれたり
服を着せてくれたり、
目をかけ、手をかけてくれた。

今もなんとなーく、背中もよくふかずに
せわしくあがってしまうのは
そのなごりかな。

昔の銭湯には、深い湯船と、少し浅い湯船しかなく
大人が目を離したすきに、深い方に入って溺れたこともある。

髪の毛がふわーっと浮いて、お湯の湯面が
遠くにみえた。
あぁ、死ぬのかなあと思ったとき
ざんぶりと引き上げられた。

縁に出て涼んでたら
塀の向こうのおじさんと目があったこともあったなあ。
つまり、のぞきだったわけですが。

シャワーもない木桶みたいな風呂ではあったが
引っ越して内風呂になったときは、小躍りして喜んだ。

だが、それは年ごろとも重なって
一人で過ごす風呂ライフの始まりだった。

父や母が一緒に入ることもなければ、
もう、世話をやいてくれるおばちゃんもいなかった。

私は、声を出して、数字を数えることもなく
じいっと木の風呂桶に肩まで沈んで
たゆたうお湯のように、少しずつ大人になっていった。











2014年4月21日月曜日

ノーアウトドアな子ども時代つれづれ。

少し肌寒いが、近所の路上で
ちょっとロックな感じの若いお父さんが
半袖半ズボンで、子ども相手にボールを蹴っていた。

それを見て、Yくんと、うちはアウトドアのない家だったねえと
しみじみ語り合ったのだった。

「アウトドアの文字はなかったですねえ。パソコンは教わりましたけどねえ」
と笑うYくん。

確かに野球、サッカーどころか、父親が率先し積極的に公園に行くなどということも
なかったのではないだろうか。
音楽がらみでキャンプのイベントに行ったこともあったが、
彼はただ、気持ちよさそうに、セーラムを吸うばかりであった。

アウトドアのアの字もない家庭であった。

そういう私も、ネオンの見える家で育った。

まもなく東京オリンピックで湧く頃に
父親が選んだ家は
京成千葉駅からほど近い雑居ビルの4階だった。

団地でもなければ
当時はとてもモダンな話だったらしい。

内廊下をはさみ、6畳だか8畳だかの
陶器製の小さな流しのついた
今で言うワンルームを2部屋。
一つの部屋には、子どもが遊ぶには十分なベランダがついていた。
トイレは共同。風呂はなかった。
だから自動車でいつも銭湯にでかけた。

内装も当時としては精一杯モダンだったのだろう。

白い布のかかった応接イス、小さいながらもダイニングテーブル。
父親が仕事をする大きな木の机のほかに
事務用の金属製のライティングデスクもあった。
黒電話もあった。

壁には実篤の書いた絵がかかっていた。

レコードプレーヤーもあった。
白黒テレビもあった。
同じ部屋に
父親が趣味だった海釣りの竿まであった。
両ざら天秤もあった。

あった、あった、あった。
父は、洋風に、なんでもそろえたかったのだろう。

ある意味で新しモノ好きであった。

私が小学校3年生の時にはフタのついた重くて四角いカセットデッキが
やってきて、英会話のテープをかけたり
友だちを呼んでは歌を吹き込んで遊んだりしたのだ。

遊ぶといえば、遊ぶ場所は
専ら、屋上か、ベランダ
雨の日は共用廊下と決まっていた。

そうか、私こそアウトドアではなかったのだな。

ただ古い物干し台のある屋上の空は十分に大きかった。
さんさんと陽が降り注いでいた。

少し冒険して給水塔のある所まで上ると
当時はまだ千葉の港とぽんぽん船がみえた。

その向こうには、火力発電所の煙突群。

海はすぐそこにあった。

共用廊下で遊ぶのも好きだった。
きょうだい3人でボーリングをして
隅にあった消火器を倒し
母親が後始末に追われたこともある。

そんな共用廊下の奥の一部屋からは
いつも大音量で音楽が聞こえていた。

流行歌、ジャズ、なんでもござれだったが
特に私たち3きょうだいのお気に入りは
ウー!の
マンボNo.5が。
そして今思えば、何度も何度も繰り返し聞こえていたのが「テイク・ファイヴ」。

あのリズムにのって、私たちはタマを投げたり
ままごとをしたり、バカみたいにわるふざけしたりしていた。

「あの人、5という数字が好きだったのかねえ」と
これはずいぶん最近になって、弟Fくんと話したこと。

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ところで家には、畳などもちろんない。
座布団ではなく椅子の生活。

ただし祖母は、ソファベッドの上に正座してテレビを観ていた。
一日中。
夜になると、それを倒して
私は祖母と並んで寝るのが常だった。

スプリングをぎしぎしいわせながら目をつぶると、街の音が聞こえた。

ビルの一階には小さなバーが並んでいて
ママが、お客さんを送る声が響いて聞こえることがあった。
女の人の大きな声、お酒の入った男の人の声、
閉まるタクシーのドア。ばたん。

ベランダ側は錆び付いた枠の窓になっていたが
カーテンがあったのかどうか覚えていない。

ただ私がものごころつく頃にちょうどその窓の正面に
そごうデパートが建ち
夜になると屋上では、誇らしげにネオンサインが輝いていた。
ロゴマークの“ちきり”が伸びたり縮んだりと、単純な動きながら
夜に輝くきらめきは
子どもの私にとって、希望の象徴にみえたものだ。

松戸市の博物館には、昭和30年代の団地文化の象徴
常盤平団地の一室を再現したコーナーがあるのだが
あそこに行くといつも、いつも、ああ、私の家に似ていると
時間を重ねてしまう。

余談だが、ウシャコダの藤井康一さんはこの常盤平で育ったそうです。
藤井さんは今も、市の環境大使=減CO2~ゲンコツ~大使を務め
テーマソングを歌っていますよ。

と、たまにはこんな風に昔のことを思い出して書き留めておこう。


2014年4月18日金曜日

上野の山

そういえば先日上野公園に行ったのだ。

人でいっぱい。

人だ、人。

千葉に生まれ、埼玉で育った私にとって
東京で親しみのある街といえば
これ上野、あるいは神田である。

東京に行くと言えば
上野、浅草、神田だった。

上野は動物園か博物館、それと聚楽というレストラン。
正月の準備でなくとも
アメ横にも必ず寄ったかもしれない。

浅草は仲見世か花やしき、それに天ぷらの葵丸新。
神田は古書店街。そして三省堂、東京堂の2つは必ずである。

おそらくは、父親の趣味である。

博物館の石造りの壁や階段のひんやりとした冷たさ。
茶色っぽい古書店の匂い。

子ども心にも喜んで騙されてうれしい花やしきの原色の世界。
聖と俗がまぜこぜになった浅草のにぎわい。

聚楽というレストランでは
ガラス張りになった足もとで
コイが悠々と泳いでいた。

あの世と浮き世を行き来できるようなまち。
表と裏があることを心おきなく見せてくれるまち。
いろいろな匂いのするまち。

齢重ねるにつけ
あの頃吸い込んだものが
私の土台を作ったと強く感じるようになっている。

ところで上野のお山だ。上野公園。

上野の山は標高が20メートルあるという。
もともとは上野の台地だ。
天海僧正は不忍池を琵琶湖に見立てたんだったっけ。

パンダ焼きだの、なんだかよくわからないパンダ撮影会だの
吹き上がる噴水だの
走り回って転んで泣く子どもだの
どこから来たのか素性の怪しいおじさんだの
桃色の提灯の下で花もないのにシート引いてお酒飲む人だの。

だけどロダンの考える人がいたり
アカデミックな展覧会やってたりもして。

あぁ上野だねえ。

楽しいけど、なんだか泣きたくもなるねえ。

あとで一緒に行った人のブログを見たら
幸福めいたあの頃を思い出す云々とあり
やっぱりここにはそういう作用があるのかなと思ったりした。

私のすきな武田百合子さんには
「上野東照宮」「上野不忍池」という傑作がある。
(いずれも『遊覧日記』収録)

その中で百合子さんの娘Hさんは言うのだ。
「わたし、なんだかどんどん楽しくなってきた。昨日は×××を観に行って
今日はここにいてビールを飲んでる。あまり楽しくて不安になってきた」

あぁ、楽しさとはグラスから溢れると不安に変わるのかな。
不安の泡。





2014年4月14日月曜日

青山Tin Menの夜に。

月曜。青山に再びニューオーリンズから来たTin Men を観に行った。

日本のバンドも頑張っていたけど
Tin Menは、さすが太いというか深かった。

音楽が湧いてくる。

もとの音楽がザ・フーだろうとツェッペリンだろうと
カントリー・ミュージックだろうと、ジャズだろうと。

彼らの中に広がる音楽の世界は深く、広い。

それでもって
それが彼らのテクニックと発想力で
がしがし拡張されていく。

聞いてきた量も半端ないのだろう。

先日私はアラン・トゥーサンに、最近音楽はやりつくしたとも言われますが
と、とんでもないことを尋ねた。

すると、トゥーサンは穏やかな笑みを浮かべながら
そういうのもわかりますが
音楽は終わりのない旅ですとおっしゃられたのだ。

Tin Menを観て、私は、その意味するところを
身体で感じたような気がした。

音楽は限りない。

限りをつけているのはミュージシャン、そしてリスナーその人自身だろう。


ところでゲストの中では
アンディことアンドウケンジロウ(exカセットコンロス)のクラリネットが抜群にスウィング、
とてつもなくファンキーだった。

バンバンバザール時代から、好きなプレイヤーでしたが
久しぶりに観て、驚愕しました。

楽しみだなぁ。

一期一会だから
一度のステージで評価が分かれてしまうのも
これ仕方ないけれど
反面、一度で評価を定めてしまうのもやはりよくない。

ミュージシャンとは長いおつきあいをしていきたいものです。




2014年4月13日日曜日

3年後にいいことが?!

12日土曜日。

横浜ジャグバンドフェスティヴァル。

近いようで遠いヨコハマ。
なかなか来ない湘南新宿ライン。
渋谷で乗り換えると、深さ遠さにほとほとあきれる東横線。
というわけでもないが
今回は京急線に乗っていった。

無料会場のビブレ前広場で
ニューオーリンズから来たTin Menを観るという贅沢なり。

地べたに座って観るのは
膝が痛いけど楽しい。

とにかく地べたがすき。

あわただしかったけど
ムーニーさんにもあえてよかった。

婦人部幹部も期せずして集結。

居酒屋けいこ、では三番のひーちゃん。
早い時間なので
まだ酔いつぶれている人はいなかった。

今年の新会場、平沼橋下特設ステージには
タイカレーなど、おいしそうな屋台も。

ほか、とにかくいろいろな人に会う。
去年は、ジャグバンド講座に出演はしたものの
概ね一人でうろうろして
結局、モスバーガーで何か食べたりしたんだったが
今年は話す人、挨拶する人も多く楽しい。

サムズアップの前で、おねえさんが100円で手相を観てくれた。

過去はいろいろ迷いが多かったが
今は迷わず自分で決めて進んでいると。

ほぉ。そうかねえ。
ところで、あの~わたし、バツイチなんですが結婚線が1本しかないんですよ。

「どれ、離婚したの何年前ですか。その人のことが今もすきですか」

いやいや、もはや好きとか嫌いとかではなく、
強烈な影響力をお持ちの方なんです。

「3年くらいすると、いい人が現れるかも」

ほぉ。何か変化するかねえ。
あれ、3年したらいくつよ、私。

このおねえさん、整体もしてくれるのだが
あとでFacebookに
今年のジャグフェスで一番ヒットしたのは
整体と占いと書いていた人があった。

そんなこんなで
音楽以上に楽しみ多き
一年に一度のお祭りだ。

ただバンドが集まるんじゃなくて
こうして人と人とが交わるポイントが多いから
これだけ盛り上がっているのでしょうね。







2014年4月10日木曜日

胃弱のブルース

胃が弱い。

とずっと思っている。

胃弱の方に、なんていうクスリを見つけると
つい手が出る。
信州からしょこたんも飲んでいるとかいう
真っ黒いつぶつぶの漢方薬を取り寄せ
毎日20粒ずつ飲んだこともある。

絶対に胃潰瘍だと思って胃カメラを撮ったことも
3度はある。

「きれいな胃ですねえ」
「確かに・・・それじゃ、なぜすぐお腹いっぱいになるし、痛むんですか」
「おそらく機能性ディスペプシアでしょう。胃が動いていないんです」
と、おおような病名を指定され
やはり漢方を処方されたこともあった。
稼働していなとなれば、これ、どうにもならない。

だが、最近気づいた。

腸のほうが、もっと弱い。

昨日、午後バス3駅分歩いたらノドが乾き
暑かったので
ネクターなんか飲んだら、もうてきめんだ。

ぐるぐる、ぐるぐる。

その前の晩は、確かYくんと分け合い
コーラを分けて飲んだ。

自業自得である。

最近、たまに飲みに行くと
ビールを一杯。そのあと
焼酎のお湯割りなどを頼む。

みえさん、いけるねーなどとからかわれるが
皆と楽しく飲もうと思ったら
炭酸類の多量摂取はいけない。

お湯で割った温い焼酎や、燗を付けた日本酒
あるいは、ゆっくり飲めるカクテルなどしか選択肢がないのである。


胃腸の強い人がうらやましい。

胃腸の強い人にはパワーが漲っている。

やはり食べたり飲んだりしないと、人は弱いのだ。
なんとしてでも食べてやるという人には、勝てないのだ。

私など食べたもの、飲んだものが
胃腸にたまるほど
弱っていくのを感じることもあるぞ。

でも草をはむように生きることだって、できるだろう。
できないか。どうなのよ。

コレステロールの話をMy Brotherマウントくんにしたら
「家系、体質。なら美食を楽しみましょう」
だと。

実家で美食なんてした覚えはないが、とりあえず
あんたの脳天気には救われる。

そういえばMy Sister Rちゃんは
「うちはお父さんもだったけど、腸が弱いよね、家系だよね」
と言ってたな。

誰もお酒をほぼたしなまないのは
これ防衛反応か。

下の話題に偏ったところで
久しぶりに

Screamin Jay Hawkins「 Constipation Blues」 (1969) 


でも聞きますか。


2014年4月9日水曜日

客あしらい

昼前の打合せを終えると
久方ぶりに午後、時間ができた。

最近は約束の花見には参加できず
飲み会があれば遅れ
友だちには不義理ばかりで
時に恋バナもいいけど、私たちとも遊んでねと
言われる始末だが
いやいや、浮いた話ならともかく
3月末から4月は
本当に気の休まることがなく。

クライアントの担当者が変わったというのも
心配ごとの一つであった。

学生のころ、4月は憂鬱な季節であった。

クラスガエになるたび
私は教室の隅っこで暗い顔をしていた。

何がいやだった。

友だちと違うクラスになるのが。
新しい友だちに囲まれるのが。
教室が変わるのが。
先生が替わるのが。

いや、そんなことが、いやだった。

あれはなんだったのか。

引っ越しのたび
新しい家、新しい街に慣れるまでにも
いくらか具合が悪くなったものだ。


でも今日はそのうち合わせも少しうまくゆき
だからこそ、うれしい午後の自由時間。

しかも、コートを脱ぎ捨てて申し分ない陽気ときている。

とりあえずコンタクトレンズの交換だ。

定額システムにしているから1年に1回無料で交換できる。

雑居ビルの4階にあるメガネ屋さんには
店のおやじさんしかいなかった。

遠近両用も良くなっているのでしょう、と尋ねたら
「今度新しいシリーズが出たんですよ・・・・・・」
「皆さん、新しいのにされますよね・・・・・」
と、メガネ屋のおやじさんは、引き出しをいじりながら言う。

ああ、いいですねと乗り気になったら
「あの、遠近じゃないですよ・・・」

な~んだ。

じゃ、同じ度数でそれにしてください。

今度のは、驚くなかれ、30日間連続装用も可能だそうだ。


「1か月間、寝てるときも、ずっと、つけていいということですか」
「そういうことになりますが、まぁあまりお勧めはしませんけど・・・・・・」

他にどこが変わったんですか、と尋ねると
テーブルの上にパンフレットを開き、愛想笑いを浮かべながら
カーブがなんとか・・・と言った。

まぁ、それにしましょう、いいですよ。と決め、用紙を書いていると
「あの、(毎月)300円あがるけどいいですか・・・」

え、そういうのって先に言うんじゃないの。

このメガネ屋さんに10年ほど通っているのだが
行くたびに湿気った雰囲気がかさんでいく。

おやじさんは見るたび身体から自信というものが
抜け出ていくようにも見える。

あとからペットボトルを下げた店員らしい男性が入ってきたが
私を一瞥しただけだ。

新しいレンズをつけていると
「装着液、これ、皆さん、いいっておっしゃるんですよ・・・」
と、また何かつぶやいている。

やはり、愛想笑いを浮かべている。

帰り際にも「装着液、いいんですけど、どうですか・・・」
と言うので、丁重にお断りした。800円の品であった。

売れると、インセンティブでもあるのだろう。

メガネ屋さんを出たら、ストールがないことに気づいた。

おそらくランチを食べた、地階にあるタイ料理店だろう。

すみません、緑いろのストールの忘れ物はないでしょうか。

扉を開けてそう声をかけると、先ほど接客してくれた男性が
私の顔を見ただけで、座っていた奥の席を調べてくれた。

戻ってきた手には確かに、グリーンのストールが。

「申し訳ありません。気づきませんで」

いえいえ、こちらこそ。

あぁ、この人はプロだと思った。











2014年4月7日月曜日

マンモグラフィー

これは日々の記録なのか
あるいは思いつくままの雑文なのか。

そのあたりがもう一つはっきりとはしないが
書かないでいると
心に積もるものを感じるようになった。

3月末から4月アタマにかけて
〆切が重なり、落ち着かなかったが
ようやく一段落した。

収入は減るが肩の荷がおりた。

その間、
表も大雪などなかったかのように
春が押し寄せてきた。

サクラも咲き、散りかけた。

以前は、春の漲る感じを好きな一方だったが
このごろ、あつかましさを感じることもある。

なにがあったっけ。

婦人科検診にも行ったな。

単純に婦人科だと思っていたら、そこは
放射線科を併設した乳がん、子宮がん検診専門クリニックだった。

女医さんです。

大きなソファがコの字型にならぶ
やわらかなムードの待合室。

母娘で来ている人。大柄なチュニックの人。
近所なのか、構わないなりの人。
仕事会社帰りらしい大きなバッグを抱えた人。
品のいい高齢と呼んで差し支えない人。
みな、女性である。

なのに、一人いらいらをふりまく女性あり。
隣に誰か座ると、あからさまに席を替わる。

投げ出すように大きく組んだ脚。
ストッキングには脛に沿って、網目模様が入っている。
せっかちな調子でスマホをいじっている。
膝には人が出る。

あとから一人男性。

いっても二十歳そこそこのカップル(だろう)。
産婦人科ではたまに見る光景だが
検診についてきたということだろうか。

男の子はばつの悪さを隠すためか
それともそう気にしていないのか
半笑いである。

そして「ちょっとバイト先に電話してくるね」と
そんな彼をのこし、表に出てしまう彼女。

しかたなくスマホの画面をいじる彼。

さて私だ。

3年ぶりのマンモグラフィーである。
つまり、冷たい機械の上に
おっぱいを乗せて、アクリルの?板ではさむのだ。

大きなおっぱいでなくても、ひっぱれば不思議と、はさめます。

前回は要検査と言われ、大きな病院に行かされたわけだが
あのときは痛かったな。

ドアの上で撮影中と書かれた電気が光ってる
なんだか仰々しい部屋だった。

「けっこう、痛いですね」
とそれこそ半笑いで、技師の女性に話しかけたが
彼女は表情一つ変えず何も返してくれなかったのだった。

「今のマンモは痛くないので受けましょうね」という記事を
2~3度書いていたので
ちょいとショックであった。

しかし、今回はスムーズだった。

先生が慣れているのと
機械が新しいというのもあるだろう。

これなら年に一度は受けてもよい。

女性のみなさん、受けましょう。

数日後、送られてきた検査の結果には
両側良性石灰化と。

以前は片側だけであったと思う。

石灰化とは細胞が壊死してカルシウムが沈着したものらしい。

年齢とともに順調に細胞が失われているということか。











2014年3月14日金曜日

Love don't Love・・・

あまりにめまぐるしかった。

何をしたんだっけ。

あ、そうか。

午前中は、大女優と呼んで差し支えないであろう方の取材。
共演者の男性も一緒に。

何人もの方を同時にインタビューするのは難しい。

さらに、さすがWさん、
共演者さん、そして周囲に
気を遣われているのがわかる。

尊敬を集めるほど
人は孤独さを噛みしめるのだろうか。

言葉足らずな質問で申し訳ないような気持ちになった。
底の浅さが露呈したのは自分でもよくわかる。
自分の事ばかり考えているようだ。
こんなことを書くのは相手に失礼かもしれない。

期待にそえるような原稿にいたします。

話し方ももっと学びたい。

真剣に話し方や発声を学びたいと
学校を探したこともある。

しかし今やっていないと言う事は切実さが足らないのだろう。

でも、本当だ。

撮影に立ち合い、スタッフにお礼をして取り急ぎ移動。
カメラマンのNさんは機材準備も万端、絵作りの指示も的確で
いつも本当に助かるし、勉強になる。

JR線は混んでいた。

隣県で、打合せ。
4月から引き継ぐ次の担当者も一緒なので
合計7名でテーブルを囲み、みっちり2時間。

さすがに疲れをおぼえ
戻る電車でスピナーズを聞きまどろむ。

Love don't love nobody

イントロの清廉なピアノの響きに、心は揺らぐ。
そしてこの静かなる歌い出し!
ここでいつも、私は心の中で崩れ落ちる。
フィリップ・ウィン!あなたは素晴らしい。

この歌い出しにふれたら
私はおそらく立ち上がって拍手しちゃうだろうね。


愛はいつも誰にもやさしいというわけじゃない。

http://youtu.be/Em_6THb7OdE (頭にCMあり)




戻って、原稿整理、デザイナーさんたちに依頼。
だいたいにおいて気が散るタイプだが
余計なことをしているヒマはない。

デザイナーである友人は
これから集中するというとき
「鼻を閉じます」
と言った。

酸素といっしょに
人間は余計なものを吸い込んでいるのかもしれない。




2014年3月12日水曜日

2シート電車から2Bへ

いつもは横浜あたりから東京方面へ移動するとき
JRを使うところ、本日は、京急で。

川崎で乗り換えて、地下鉄線直通電車を待っていると
旅に行くような2ドアの車輌がきた。

通路をはさんで、2シートずつ。

みんな進行方向を向いている。

町田康による中原中也本を読む。
言葉が鮮烈だ。
鮮烈、つまり、飾り立てたところがない。
数秒を見逃さず、肌で見ている。

わたしは、偽ってばかりいる。
神経を研ぎに出していない。

春は金の風が吹くのだよ。

月夜の晩に、釦を拾って懐に入れるのだよ。


ふと顔をあげると、窓の外、飛んで行く景色。

これもまた皆が前を向いたシートの良さだ。

旅に出たい。

温泉とかそんなのはどうでもよい。

ただ、前を向いて乗り物のシートに座り
どこかへ移動したい。

電車は泉岳寺止まりで
今度は向かいの電車に乗り換えた。

乗換は面倒だが、居場所が変わるから、決して嫌いではない。

次の駅で
元気のいいおじいさんたちが、ざわざわと乗り込んできたら
シルバーシートにいたガタイのいい背広姿が皆立ったので
車内は、少し窮屈になった。

目の前にいた工務店風の濃紺の制服を着たおじさんの
胸ポケットにペン2本、
そしてあの深緑色した鉛筆。2Bという文字が金色に光っている。

久しぶりにみた。鉛筆。そして2B。

私は文字を四角く書くのに凝っていたので
高校時代はもっぱらFを愛用していた。

2Bの柔らかさが苦手であった。

胸ポケットに入れているということは
しょっちゅう使うのだろうか。
線を引くのか、文字をしるすのか。

おじさんは、2Bで何をするのだろう。





バルテュス

今回、美容院では若いお嬢さんが「エル・ジャポン」と「VOGUE」
を持ってきてくれた。

お店の人が勝手に2冊持ってきてくれるので
あたり、はずれは賭けである。

以前、女性週刊誌だったときは
意を決して開いてみたものの
どうにも気持ちがびちびちと裂けてささくれ立つような書き口が目立ち
これなら、モノマガジンや、男性誌の方がいいのになぁと思ったものだ。

「クロワッサン」のときは、あたりでもはずれでもない、気がする。

今回はポップなファッションも好みで、当たりの予感。

で、髪を切ってもらっているときは
ペイジをめくれないたちなので
クロスをかけてもらい待っている間、
美容師さんが他の人のところに行ってる間に
面白い記事はないかと
後ろのコラムのところから素早く目を動かす。

「エル・ジャポン」4月号。
ウォーホルのマリリンモンローが、どーんと1ページに。

「アーティストとミューズの知られざる物語」

先日、六本木通りでウォーホル展のラッピングバスを見かけて
気になっていたところだ。

文章は会田誠さん。ぴったりの人選だろう。

しかし、私をくぎ付けにしたのは
合わせて特集されているバルテュスのほうだった。

椅子らしきものに身体を預けて、けだるさそうに目をつむる少女。
片膝を立てているものだから、赤いスカートがめくれ
下着が丸見えだ。

その足もとでは、含み顔の猫が白い皿で白いミルクを舐めている。

「夢見るテレーズ」という作品だ。

当時は当然、扇情的なポーズと批判されたようだが
少女とは、これ、自然な格好だ。
これが少女だ。

すきだらけ、が少女の証。

少女は天使などではなく、善も悪も、ありのままである。


解説は、「爪と目」で芥川賞を受賞した作家、藤野可織さん。

内容も、少女にスポットをあてたものであった。

フランス人のバルテュス。
奥様は日本人である。

節子・クロソフスカ・ド・ローラさん。

30いくつも年齢の違う節子さんは、来日時に知り合ったバルテュスと
25歳のときに結婚し、彼の影響で絵を描くようになった。

「朱色の机の日本の女」には、しどけない姿だが
救いを求めるような憂いのある表情の色白の女性。
モデルは節子さんのようだ。

しかし、写真で紹介されている節子さんは
和服を着た凛とした方であり
その人がこんな表情、姿を露わにすることもあるのかと
少し驚く。

その表情には
夫であり芸術家であるバルテュスへの揺るぎない信頼が
あらわれており、圧倒された。

まだ私にとっては、美容院の待ち時間で出会ったばかりのバルテュス。
少し調べてみよう。


ピカソをして「20世紀最後の巨匠」と言わしめた画家バルティス。
4月から節子夫人全面協力のもと東京都美術館で大回顧展。
「朱色の机の日本の女」も
日本で初公開となる。

http://balthus2014.jp/

2014年3月11日火曜日

通行証

医者で読んだ「家庭画報」
美容院で読んだ「ELLE」

いずれもコラムになかなか読み応えがあった。

「家庭画報」は
こころとからだといのちの科学。
加々美幸子さんと専門家との対談。
お相手は、“生命誌研究者”との肩書きをお持ちの中村桂子さんである。

史ではなく、誌。

なんだろう雑誌の代表という意味かなと思ったら
<人間も含めてのさまざまな生きものたちの
「生きている」様子を見つめ、
そこから「どう生きるか」を探す新しい知>

とのこと。

中村さんは大阪にあるJT生命誌研究館の館長をしておられる。

http://www.brh.co.jp/

今回のテーマは出生前診断であった。

この世に産まれるとは
「あなたは生まれることができますよ」
と通行証をくださったことだと中村さんは言う。

遺伝子が完璧な人など一人もいない。

そして生き物には正常も異常もない。

「生きるものは、わからないことだらけ。
考えながら生きるのが人間らしさ」

診察室に呼ばれるまで
目を上下にフルスピードで動かし何度も
そのくだりを呼んだ。

また我が子のことで恐縮だが
以前にも書いたように
私は、息をすることと、寝ることと、泣くことと
お乳を飲むことしかできない赤子を前に
少し途方にくれていた。

どんなお子さんに育てたいですか、と
テレビでどこぞの芸能人に尋ねる人がいる。

どんな子って。

そのとき思い浮かんだのはただひとつ。
人がどうであれ
自分で考えられる人になればいい、ということであった。

考えることこそ、人として生まれてきた証である。
通行証をもらってここに来たのである。

そして私は、彼に教えられる生きる技など
何もないと暗鬱たる想いがしたものだ。

ただひとつ、彼に伝えられるとしたら
それは文化、しかないと思った。

それもまた
能足らずの親としての逃げだったのかもしれないが。




そして私もまた、通行証をもらってここにいる。

石垣りんさんの「悲しみ」という詩があって
手首を骨折した六十五才のその人は
すでにこの世にいない両親に
もらった身体をこんなにしてしまって
ごめんなさいと泣くのだ。

「今も私は子どもです。
おばあさんではありません」

この下りで、私は立ち読みして少し泣いた。







2014年3月9日日曜日

ひとりの散歩

単調な仕事に飽き
普段ならだらだらと過ごすところ
お医者さんに、運動するように言われたこともあり
近くの公園へ。

梅まつりは終わったが
日曜の午後、大勢の人が出ていた。

カップル、小さい子を連れた家族、一人でカメラをむけるおじさん。

この寒さで、例年より遅く
紅梅も白梅も、ころあいはほどよい。

もうすぐサクラ咲くしねー。

若いカップルが顔を見合わせて笑う。

咲くではなく、咲くしって、なんだ。
あくまでメインはサクラなのか。

他にも「サクラよりウメのほうが・・・」
と比べる声が聞こえる。

私の中では、サクラが咲いたら春はたけなわを迎え
そして終わる。

サクラが花開くまでの時期が一番好きだ。

ウメの写真を撮ってみた。

愛らしい花のアップもいいが、
まだ丸坊主の冬木立と共にある様子も撮りたい。

今の季節と次の季節とは、互いに呼応しあい、せめぎあい
そしてゆっくりと移っていく。

ひとりであれば、
その輪の中にひととき身を置くのも
いくらか容易である。

昔、タウン誌で散歩の連載を持っていたときは
こうしてよく、たたずんだ。

たたずむ散歩だった。
私は、いつも、風景の中に、ひとりを確かめた。

帰りに図書館に寄って
石垣りんさんと、町田康が中原中也の詩を
解説する本

石垣りんという名前は
高校のとき
「 私の前にある鍋とお釜と燃える火と」
を読んでからずっと心に残っていた。

尾崎放哉の「せきをしてもひとり」と同じくらい。

ブルースに心奪われ
ブルースしか見えなかった高校時代に
こころ動かされた詩、そして俳句だった。








コレステロール過

土曜日に健診の結果を聞きに行く。

コレステロール値だけが問題であった。
次の検査で減らないと、投薬だそうである。

善玉も多いが、悪玉も多い。

善と悪でせめぎあうコレステロール。

血管が詰まって死ぬのだろうか。

先生は言う。

「以前、私が登山をしてアタック直前に
遭難したときは、21日間で10キロ痩せました。
人間は口から入れたものだけで太ります」

「どちらに行かれたんですか」

「カラコルム。ヒマラヤです」

へぇ~、先生は登山家だったのか。
アンデスのどこぞの山にも登り
雪を食べてしのいだという。

「二十歳のとき、せめて二十代の体重に戻してください。
私は、いま62歳ですが、●●キロ。
当時より2キロ少ないです。
体重を落とすと調子はいいです」

20代半ば、私の体重は40キロ以下であった。

今のやせ細った若い女性たちも
将来そう言われるのであろうか。
決して健康に見えない痩せ方をした人もいるが。

「私が子どものころ、めざしがよく食卓にあがりましたね。
鮭があるとごちそうでした。
肉が出てきたのは高校生くらいですね」

若い人に心筋梗塞が多いのは食生活によるものだろう。

子どものころを思い出す。
めざしをよく食べたおぼえはない。
思い出すのは、おかずではなく
ごはんにかける、どぎつい桃色のでんぷや
味噌ピーのことばかりだ。
パンにソントンのピーナツバターを塗るのも好きだった。

「狩猟民族は、いつ次が食べられるかわからないので
その場でおなかいっぱい食べてしまう。
しかし、農耕民族であるアジア人は、収穫した米を貯蔵しておいて
少しずつ食べます」

淡々と、しかし途切れなく
体験を交えたアドバイスは続く。
食用油をナントカに変えようが、素材をナントカにしようが
口から入れれば、所詮蓄えられるのは同じである。

「おなかがすいた、という感覚を大事にしてください」

思い当たるところはある。

まず、口に入れるものを減らそう。
そして少し意識して歩こう。

シモキタまで髪を切りにいった帰りに
スーパーMによる。
夕食は、刺身、トリ肉入り味噌汁。

野菜は余りもんの野菜だが。

クズ野菜。くずな野菜。野菜のクズ、くず。

料理している間
頭の中をぐるぐるまわって離れなかった。


2014年3月8日土曜日

校了の日、ブルースビフォアサンライズ

金曜日。

午前中、クライアントに出力を届ける。

その足で六本木事務所にて校了待機。

時間が読めなかったので
近くのコンビニでお弁当。
最近は、コンビニでも
ごはんだけは、炊きたてをもってくれるサービスがある。

おかずは、ササミしそ巻カツだった。
これ、好き。

春休みということか
ビル風の冷たい六本木にも
じゃっかん、浮かれた感じの若い人たちの姿が。

クライアントのやりとりの合間に
テープおこしをするも
ノートパソコンの小さな画面と
ICレコーダーにイヤホンでは、目にも耳にも厳しい。

ブルース&ソウル・レコーズの付録CDを
Nさんに渡して、かけてもらう。

あぁ、エルモアだ、ウォルター・デイヴィスだ。
ブルース・ビフォア・サンライズだ。

ストーンズにもクラプトンにも行かないわたし。

なるほど、言われてみれば
私の場合
そのどちらからもブルースへの道つけは
なされていないのだ。

日本のバンドからブルース一直線です。

そんなことをしているうちに校了。

他の人も色校データを入稿す。

帰りは車で家の近くまで送っていただき
Yくんも合流してファミレスで食事した。


2014年3月7日金曜日

産まれたときのこと。

6日木曜日。

朝起きて、したくをして
息子の部屋に向かい
「今日、行けないけどがんばってね~。ストーブ消してってね~」
と声をかけるも返事がない。

丸まった掛け布団の下は
もぬけのからであった。

すでに一人で起きてでかけたのである。

東京ビッグサイトで行われる展示会の
講演ステージに出るのだ。

公式サイトを見ると、ちょっとハスに構えたモノクロ写真とともに
“氏略歴”などとある。

ここだけの話、あの写真は
わたしが、家のふすまの前で撮った写真だろう。

加工されてカッコヨクなっておる。

彼はまだまだ、いかようにも加工できる。
伸び盛りなのだ。

子どもなのだが、肩書きのある一個人である。



彼は大事な家族だし、私は
子どもとみれば、すぐちょっかいを出す方である。
3人きょうだいで育ったので
子どもは3人でも4人でもいたら楽しいとの思いもあった。

しかし、
最初から母性本能があったかといえば、これどうだっただろうか。



臨月になると、早く産み落としたいとの思いが強くなり
陣痛の間、キャブ・キャロウェイのライヴに行けないことを嘆き
そしておよそ2晩、40時間をかけて産んだのが彼であった。

産んだ、と書いたが
私には自分の意志で産まれてきたように思えた。

顔を見たら、ちょうど2週間ばかり前に観た
ボビー・ブランドに鼻の格好が似ているような気がした。

産まれた赤子はその後、別室につれていかれ
しばらく私は分娩台の上に天井を眺めながら
うすぼんやり考えていた。

あの子は、私と別の身体、一個人になったんだ。

私がもしここから逃げてしまったとしても
彼はもう一人の人間として生きていくんだ。

と同時に、彼が立つことどころか
酸素を吸って吐いて、乳を飲んで、おしっこをする以外に
まだ何もできないということに愕然とした。

どうやって、一個人は一人前になっていくのだろう。

そんなことは、どこにも書いてないし
だれかに教わるようなことでもなかった。

しかし、彼はつまづき、ひっくり返りそうになりながらも
ところどころで、産まれたときと同じように
一個人のパワーを発揮しながら
ここまできた。

すごいな。






2014年3月5日水曜日

なんとかならない星回り

毎月、この週は校了、校正が2つ重なり何かと慌ただしい。

ただし来月まで。

片方の仕事はチームごと、おりることになった。

収入は少なくなるが時間はできる。

なんてのんきに構えてるけど、今日通帳記入したらあわてました。

辞めると決めた仕事、何かと納得のいかない時間を
費やすことが多く、チームワークも乱れた。
何より断ざるを得ないイベント、作業等が目白押しになってきたことで
じくじくと心に膿がたまっていくのを感じていたのだ。

しかし請け負っている限り、まだ真摯に仕事。
そしてトラブルもあり。

とりあえず夜11時には終わることにする。

ある占いで
つい数年前、これからはあなたの星は生きづらい時代と言われた。
2010年から36年間。

死ぬまでか!

わたしの星、それはつまり、
今が楽しけりゃいいじゃない、明日はなんとかなるさと
好奇心のおもむくまま
口八丁、手八丁で乗りきる、虚業の星である。

これからはそれは通用しない。
こつこつと積み重ねる、実業が強くなる。
だから、明日は明日の風が吹くという姿勢、
後先を考えずお金を使うクセを改め
地道に生きる道を考えよ、というのだ。


言われてみれば、占いはともかく
あのころのやり方が
忘れられないばかりに、往年の輝きを失うことは確かにある。

バブルの頃に隆盛を極めた某キー・テレビ局は
“あのころ”に、しがみついていたら
あれよ、あれよと後退してしまった。

世の中、まだまだ虚飾に満ちたものは多いと感じるが
ますます、実をとる時代になっていくのであろう。

裏を返せば、実を求めすぎ
想像力に負う、のりしろの部分が少なくなっていくのかもしれない。


こないだ、お風呂で髪を洗いながら
わたしもいつかは死ぬのだな、と思い手をとめた。

年齢をとる、老人になっていくということも
まだ実のところは、半信半疑だったりする。











2014年3月3日月曜日

リカちゃんひなまつり。


クライアントの元に校正を受け取りに行く。

いつもよりページ数が多い。

修正はスムースとは言い難く、
デザイナーさんたちの不満な声、顔が思い浮かぶ。

ディレクター、使えない、と言われているのだろうなぁ。

春先にしては風が冷たかったが
帰りの電車では、窓から射し込む日ざしに
エナジーを感じる。

3月3日、ひなまつりか。

雑居ビルの一室で育った私の家には
立派なおひな様などなく
いつもリカちゃん人形を飾っていた。

一軒家(借家だが)に越してからも
それは変わらなかった。

一度、そのリカちゃん雛飾りの台の前で
妹がひっくり返っていたことがあり、
騒ぎになった。

供えてあった甘酒を飲み干してしまったのだ。

まぁ、そんなことも含め
楽しい思い出。

Yくんには先日、ひなまつりわたがし、を買ってやった。

考えてみれば、もう20代も半ばなのだが。

クリスマスブーツでも、ひなあられ、でも、子どもの日の
お菓子のついたコイノボリでも
私が、ただ買ってやりたいだけである。

だから孫をかまいたい気持ちはすごくよくわかる。

誰かに何かをしてあげることでしか
自分の存在を確かめられないのは
危ういことかもしれない。

でも、それが歓びであることは確かだ。

2014年3月2日日曜日

健診、そして一番街でコージーのライヴ

健康診断に行く。

近くの医院。

いつも比較的空いているが、設備はよい。
決して愛想がいいわけではないが
先生の一言を聞きたくて受診する場合もある。

血圧をはかっていると
「今日は救急車が多いですね」
と先生。
寒暖差が激しいからですか、と聞くと
医者としては、気になるのですという。

私の問かけに対する明確な答えではないが
お医者さんは救急車のサイレンに敏感であり
耳をそばだてているのだということだけで
私は感心するのである。

レントゲン。ブラウスのボタンに金属がついていたので
脱がなくてはいけなくなった。
ブラジャーをしていますか?取って下さいと言われ
ヒート下着一枚となる。

いつからか、X線撮影は
金属でもつけていない限り
服を着たままでも咎められなくなった。

以前、赤ん坊と一緒での産後の集団健診だったか、
レントゲンを撮るというので
よっしゃ、わかった!と
カーテンのヨコで迷わず上半身を脱ぎ捨て
両手で胸を隠して列に並んだら
皆Tシャツを着ており、恥ずかしい思いをしたことがある。

心電図。腹囲測定。採血。

やはり、左の腕からはとれない。

「医者は、採れないとあわてるものなので
これから、こういう機会があれば
できれば、採れる方の腕を告げるようにしてください」

お医者さんも、あわてるのかぁ。

その後、採尿、身長、体重検査。

「更年期を過ぎて2センチ(だったかな)以上低くなっていたら要注意です」

低くはなっていなかった。

ただでさえ、小さいのだ。

私と同じくらいの背丈の母は
年をとり、今は私の目線より小さくなった。

もし長生きすることがあれば
私もあのくらいコンパクトになってしまうのでろう。

大腸癌検診も予約する。
昨年、お世話になった方がこのがんで亡くなった。
伯父もまた大腸がんである。

「今は昔と違いキットがとてもよくなっています」

先生、懇切丁寧に説明してくれる。

健診もそうだったが、こうした癌検診も
昔と比べ、とてもスムーズにできるようになっている。
公的健診であれば、数百円だ。皆さん受けないのは損ですよ。

夜、焼きそばを食べてから
シモキタに行く。

バックペイジという昨年末できたお店で
コージー大内ライヴだ。

住所を見たときから、前のアパートの近くだと気づいてはいたが
本当に2軒隣であった。なつかしや、一番街。

ライヴは満員。
コージーもいい調子で歌い、しゃべる。

始まるまで、独り、所在なくカウンターの隅っこに座っていたが
コージーを見つけ、途端におしゃべりとなる私。

教師だったというマスターはコージーと同郷で
60~70年代の国内外ロック、スワンプ系がお好きとのこと。
相当量のアナログ盤。

力の入りようが伝わる。
ずっと夢見てきたお店なのだろうなぁ。

焼酎、また珈琲もたくさんの種類がある。
店の半分は、奥様担当のアンティーク雑貨。
奥様のお店は福岡にもあるようだ。

最近の日本のミュージシャンはあまりご存じないようだったが
これからアコースティックなライヴが
ブッキングされる機会も増えるかもしれない。










2014年2月27日木曜日

車内点検

朝から取材。インタビュー3名。

ハラジュクから山手線に乗り込むと
中央のつり革あたり、ぽっかり席が空いているのが見える。

スマホをいじるおねえさんの肩越しに、ちょっとのぞきこむと
若い男性が、右90度に身体を折り曲げ
座席にアタマを埋めて寝ていた。

醜態を敬遠してか、彼の左側にも誰も座らない。
都合、3席分、彼の物となっている。

醜態と書いたが、本人はとても気持ちよさそうである。

どっと乗客が入れ替わった駅があり、
男性の前に仕方なく立っていたおねえさんたちも皆降りたので
私は、彼の左隣に座ることとする。

座ってみると、くだんの男性は酒臭かった。

男性は片方の手を膝の上に置いたリュックに突っ込んでいる。

始発では見ない光景でもないが
ひょっとしたら山手線を何周りかしたのだろうか。

うむ。酒臭い。

こちらに寄りかかられるよりは良いが
確かに心地よいものではない。



壊れているとわかって橋を渡るクセ。

危ないかもと知っていながら近寄ってしまうクセ。


五反田に着くと
ホームにいた駅員さんが直角寝の彼に気づき
「車内点検」
とアナウンスして、飛び乗ってきた。

「起きて!起きて!」
とむりやり上体を起こす。
唇に半笑いを浮かべ、薄めを開ける男性。
よく見ると、なかなか爽やかそうなお兄さんである。
「寝ちゃダメだよ」
駅員は両肩を揺すった。

酒臭さが私の方に近づいた。

「車内点検終了~」

車内点検って、忘れ物の捜索とかじゃなくて
こういうとき使うのね。

男性は半目のまま、現と夢を彷徨っているようだった。

うむむ、酒臭い。

しかし、少しばかり現に引っ張られたか
次の駅で、ふらふらと立ち上がると
ふらふらと降りていった。

酒臭さが遠ざかっていく。

そして何も知らない女性が、彼のいた席に座った。

山手線。ぐるぐる、回ってるだけなんだなぁ、と思う。



しかし。

彼が去ったことで、私は自分の問題を思い出した。

どうも足もとに違和感があるなと思ったら
右の靴底がぺらりと剥がれかかっているのであった。

靴を脱いであがる取材もあり。

それでは失礼しますと会釈して
靴底のみを置いていくような醜態はさらしてはならない。

どこぞで接着剤でも買ってと思ったが
結局、広報の担当者と昼ごはんもあわててとったほどで
コンビニに寄る間もなかった。

なんとかごまかし、ごまかし、一日を過ごす。

壊れかかった靴を履くのはやめよう。


2014年2月26日水曜日

株主。

地下鉄。

服装は垢抜けないが
心配ごとなんて一つもない、といった調子のよく笑う中年男女。
たぶん夫婦。
ぱんぱんに膨らんだかばんを抱えている。

ずっとしゃべっている。

もう一人、息子なのか
隣り合わせて座った30代の男性は
しゃべらず時々うなずくのみ。

女性、ごそごそとリュックの中から
ハガキを取り出す。
何枚も。


間に合うかねえ、と言っている。

知り合いの個展か演奏会か
なにかの招待券か。

しかし、そのうち合点がいった。

そうか株主総会だ。
あちこちをはしごするのだろう。

「あそこの株を500株持っていると
○○に招待してくれるんだ」

おじさんが笑う。
雲リひとつなくうれしそうだ。

お金に心配のない人たちなのだろう。




JRに乗り換え、2時間打合せ。
寄り道することもなく、また電車に乗る。
地下鉄の連絡が悪かったので、JRで。

川を渡る鉄橋に注ぐ日ざしが力強くなってきた。

小さいころから、電車が鉄橋を渡るときが好きだった。
今も必ず顔を上げ、窓の外を見る。

そこには必ず川が流れている。
そして渡ればその向こうは違うまち。

2度電車を乗り継いで戻り、校正を配ると
ひといきつきたくなり
夕飯は、Yくんと近所でラーメン。
初めて汁なしラーメンを頼んでいた。

ラーメン屋に行くと、いつも以上にしゃべるYくん。
ヨーロッパの言語の話など。
英語の読み書きはもう十分だが
会話を磨きたいそうだ。


2014年2月24日月曜日

権利と自由とはじらいと

午前中、原稿の受け渡し。
午後、六本木事務所にて原稿整理、発注。
意外と冷え込んでおり、手指が冷たい。

担当のTさんとの雑談で
トンカツやで、ごはんのおかわりを3杯した
老婦人の話。

そのひと、2杯目と3杯目はテーブルの下にある
タッパーだか袋にごはんを入れたそう。

ちょっとショック受ける。

トンカツ屋さんには、
ごはん、キャベツ、味噌汁のおかわり自由ですと
うたっているところもあるが
これは、権利を主張されたらそれまでなのだろうか。

権利と自由と、はじらいと。

流れで。

ホテルのシャンプーやリンスを
小瓶に詰め替えて持って帰る人の話。

若い女性が
ドラッグストアの化粧品コーナーで
思いっきり化粧しているのも
あまり気持ちのいいものではない。

そういう女性、偏見かもしれないが
だいたい意固地な表情をしている気がする。

何かをまとっている。武装している。

電車の中で化粧している女性の表情も哀れだ。
私は、私のことしか考えていないという空気が
周りを陰鬱なものにする。

若い女性なら百歩も譲るが
親の年齢であってもおかしくない女性が
同じようにコンパクトを広げ、顔作りに余年がないのは
情けない。

自由と、はじらいと。

実家に帰ったとき驚いたのは
Kルディの無料コーヒーサービスに
列を成していたことだ。

ただのコーヒー飲んでくかと老夫婦が言いながら
列に並び、店に入るでもない。

やっちゃいけないことなんて
そう多くない。
私自身そうとうすっとこどっこいだ。

ただ、小さな手鏡でひと目をしのんで
ちょっと化粧の崩れを気にするような
奥ゆかしさにあこがれる。










2014年2月23日日曜日

日曜の夜とライヴ

夕方から三鷹のバイユーゲイトへ
ゴトウゆうぞうさんのライヴ。
今日はバンドではなくトランペットの寺内さんとのソロ。

今週は何かと忙しいので
以前であれば大事をとって
休養していたところ
今日は今日、明日は明日というモードであり
でかける。

確かに数年前はこーねんきゆえか
月に数度、どうにも起き上がれない日があったものだが
今はただ体力が衰えているだけ。

左肩、あいかわらず痛い。

バイユーではMチケンさん、Sモリさんと同じテーブル。
盛況だ。食べたかった高知のおでんを注文する。
まずはこの冬の小さな目標を達成。
こうした外からはなんでもないような
やりたかったことのクリアが
大事なのだよ。

わたしは不自由であり、自由だ。


ゆうぞうさんといえば
ブルース&ソウル・カーニバルの司会者として有名だが
ミュージシャンとしても実に繊細で魅力的な人。
ギター、親指ピアノ、パーカッション、ハーモニカと
多彩に操る。

アルバム『がんばれよ』は、今でもよく聞く。

オリジナル以外に、カヴァー曲も多いのだが
フォークからブルースからロックからその選曲がいい。

もちろん河内音頭、沖縄の歌まで。
日本のルーツ・ミュージックの継承者だと思う。
この日も渡さんの「夜汽車のブルース」から。

ゲストで参加した元ローザ・ルクセンブルク、今マチルダ・ロドリゲス玉城宏志さんの
ギター、艶っぽくて、まったく気負ったところがなくて
よかったなぁ。

ゆうぞうさんとは同郷、同じ大学なんだそうだ。

ちょっとお話させていただいたけど
とても気さくな方で驚いた。

ライヴ終わり、
CDを作っても売上げが芳しくない話。
ブルースカーニバルの話。
いのうえさんというお客さん
ブルースを盛り上げたいと笑顔で語ってくださる。
こういう方がいるとうれしい。

T井さん、来る。
結局、ほかのお客さんが帰ってからもしばらくうだうだ。
ともすれば、終電なんかいいか?てな気持ちになるところ
しっかと帰る。

駅に着いてYくんに電話。コンビニとスーパーに寄る。
やっぱり不自由なのか。




2014年2月22日土曜日

皿のナンバー

急ぎの用もなくゆるゆる。

請求書出して、駅前のパン屋さん、薬屋さんなどへ。
ずっと週末の天気が悪かったこともあるのだろう。
梅祭りが行われている近くの公園の方に
大勢の人、歩いて行く。

駅の改札前の陶器市、いつも同じ顔ぶれ。
去年と同じものではないかと思うものを
同じように並べて売っている。

以前 Yくんが、
直径20センチもある備前風の重くて黒っぽい皿を
買ってきた。

千四百何年の皿だという。
2000円足らずの皿でそんなはず、あるわけがない。
裏返すと、何かの整理番号なのであろう
1402とかいう小さなシールが貼ってあった。

世間知らずというか、可愛いというか
その素直さには驚いたものである。

夕方からブルース渋谷にて婦人部幹部会。

Mちゃんに新潟取材みやげの笹餅とゴマ入りの「はしもち」もらう。

九州居酒屋の後、ミリバールへ。

よく呑んで、よく食べた。

選挙結果から自分たちがマイノリティである旨を意識した話。
クラプトンの話。
オーシャンブルバードをリクエストし、いいねぇと言う。
そして小学生からおばちゃんまで変わらず好きな恋愛話など。


2014年2月21日金曜日

やるだけ。

デザインがあがってくるのを待つ合間にパソコン作業、申告準備など。

来週はきつきつだが、今週はやや時間がある。

思いがけず作業進む。

この調子で、懸案のマガジンの方も進められればよいのだが。


わたしが、やりたいことは、ひとつ、なのだ。


やれば、よい。

やるだけだ。


作業はルイジアナのクッキー&カップケイクス聞きながら。
いいねぇ、マチルダ。

マチルダって言っても踊ろう、じゃないよ。

この曲ばっかり聞いてたことあったなぁ。

その反面、最近、こころの貯金が枯渇してきたのではないかと
思うところがある。

年齢を経ると新しいものを吸収する力が落ちていくようだが
意識して、音楽を聴き、本を読み、映画やアートに触れ
人の話に耳を傾けたい。

氷見うどんに、きつねあげ、ねぎ、とろろ昆布。
Yくんだけ卵割る。

Yくんの夜食と、私の明日のブランチ用に
豚肉を焼いておく。

Yくん、どこぞの社長にならないかと声をかけられたらしい。
壊れた橋でも渡ろうとする私はおもしろがるが
彼は渋い顔をしている。

2014年2月20日木曜日

タッチパネル


確定申告の季節だ。

住基カードに読み込まれた
電子証明書が切れていたので
自転車を飛ばし
区役所へ。

飛ばし、と書いたが、ウソです。

えっちら、おっちら。でした。

久しぶりに立ちこぎしたよ。坂道。

裏通りにはまだかちんこちんの雪もある。

ショートカットで、えいやっと自転車を押して急坂も上がり
公園を突っ切る。

自転車に乗って、ベルを鳴らし♪

私の自転車のベルはフタが黄色い。
最初についていたベルのフタが弛んで
外れてしまったので
100円ショップで買って付け替えたのだ。

「こんにちは~。今日はどんなご用でしょう」

受付のおねえさんは、明るく声もやさしい。

こんにちは、と言われたら、こんにちは。

次の窓口のミドルエイジの女性(しかしおそらくは年下)も
物腰が柔らかかった。

「16ケタの暗証番号をご存じでしょうか」
「え? いや~、わからないとダメなんですか」
「そうですねえ。とりあえず何か心あたりの番号はないでしょうか。
ダメだったらロックされますので、もう一度お手続きください」

はぁ、面倒なことにならなきゃいいけど。

心あたりの番号ねぇ。あれかねぇ。

もう一度番号を呼ばれ、パソコンのある窓口に案内される。
今度は初老の男性だ。

「どうぞ、おかけください」

ハイ!

・・・と、勢いよく椅子をひいたら、折りたたみだったもんだから
あっと声を上げる間もなく、べったーんと大きな音をたてて、ぺたんこに。

あ、すみません!すみません!

マフラーを踏んづけながら、床にしゃがみこみ椅子を救出。
あぁ、今日もまぬけだ。

手続きは、まず住基カードの認証をするために
4ケタの暗証番号をテンキーで入れるところから。

これは、あの心当たりの番号でオッケーだった。

次にディスプレイのある席に移動。
今度は椅子を確かめ慎重に座る。

画面をタッチしながら、電子証明書の更新をする。

数字をタッチしながら入れるのはやりづらい。

“心あたりの番号”を思いつくままタッチし
「確認」を押す。違いますの表示。

タッチしては確認! タッチしては確認!

とにかく<確認>や <次へ>を一刻も早く押したいのだ。

「えーと、最初の画面に戻って
もう一度押されてはいかがでしょう」
と窓口のおじさんは、こりゃだめかもなぁという顔で言う。

結局、やはりというか、カードはロックされた。

再び先のべったーん椅子のデスクにて書類を書き
再度、タッチスクリーンへ。
今度は、数字を間違えるわけないので、良い調子だ。

確認! 次へ! 確認!次へ!

私はボタンを押すのが好きである。

確か吾妻さんも機材の話のとき、そんなことを書いていたと思うが
ボタンやツマミが好きだ。

イコライザーのついたデッキ。
博物館の模型。
ゲームのコントローラー。

なんでも押したり、ひねったり、つまんだりしてみたい。

さて、またえっちらおっちらママチャリを漕いで帰る。

パソコンにカードリーダーのソフトをインストールしたり
国税庁のページで手順を読んだり
意外に時間がかかり、結局肝心の申告書作成は
あまり進まなかった。

住基カードには反対していたはずだが
こうして便利な方に流れ、いつのまにか
国にとりこまれていくのだな。



2014年2月17日月曜日

友人がご主人を亡くして。

高校時代の友人から携帯にメール。

同級生Yさんのご主人が亡くなったという。

にわかに信じられず。

彼女は2~3年前に再婚したばかり。
前のご主人とは、くも膜下だったか
突然の別れを強いられている。

よくわからない。わからないが行かねばなるまい。

色校の準備をしつつ
黒のワンピース、バッグなど引っ張り出す。

新宿駅から通夜の会場であるお寺まではタクシーだ。

パートナーを突然亡くして呆然とした日々を送っていたYさんと
ご主人は、その寺で出会った。

ご主人は住職ではなかったが、永年寺の仕事をしていたのである。

西新宿で高校の同級生が集まり
ごはんを食べていたとき
再婚が決まったYさんが
わざわざお寺まで皆を案内してくれたことを思い出す。

そのときも車でこの道を通った。

寺の前には「●●●●儀 葬儀式場」 とあった。

やはり、Yさんのご主人である。

案内されてお経の聞こえる本堂への階段を上がる。

お寺さん縁の人ということもあってか
10名以上のお坊さんによる読経だ。

禅宗ということもあるのか
口語調のお経はとてもわかりやすい。

遺族席のYさん、時折ハンカチで涙をぬぐう。
時折、遺影に目をやる。
大泣きしているわけではないが、やつれていると思う。

遺影は、結婚式のときのものだ。

互いにひと目惚れだと、前のご主人のことを理解してもらった上での
再婚だったと幸せそうだった顔を思う。

何かと愚痴の多い私にも
「いつか一緒にビルボードに行ってくれる人が現れるわよ」
と肩を叩いてくれた彼女。

お釈迦様だか、神様は無情ではないか。

震災で突然家族と引き裂かれた人のことも思う。

一番中心にいらした格の高いであろう住職が
「釈迦の言ったことは、言葉にすると、ある意味残酷です。
生まれた者は死ぬ、ということです」
という話をされた。

人生に救いはねぇ。

あの歌そのまんまだ。

死ぬだけだが、死ぬまでそれでも生きていく。

だが、言葉は虚しい。


友人たちと通夜ぶるまいの料理をいただいていると
Yさんが、ご主人の顔を見ていってほしいという。

笑みを浮かべているような顔であった。

Yさんは饒舌であった。

それがまた哀しかった。

昨年夏余命宣告されてから
亡くなるまでのことを
祭壇の前で話してくれる。

ごはん、食べてるわよ。泣くとおなかがすくの。

抱きしめたかったが
何かそれを無意識のうちに受け容れようとしていない空気を感じ
むりやり手をとり握手してきた。

人生に救いはねぇ。

ねぇのか。

また新宿駅までタクシー。

行くときからワンピースの裾のおりてきたのが気になって
ピンで止めていたのだが、
式場に着くと明らかにまずい状況だと気づいた。

お焼香のときも、無様であったろうが
帰りの電車で、裾はもっと無様になっていた。

まぬけである。

まぬけでも生きていく。








2014年2月14日金曜日

雪はきらい

早く書かなきゃと思ったら
また雪だ。
いまサッシをあけたら、10センチは積もっているだろう。

8日が大雪だったのだ。

ぼやぼやしていると
すぐ1週間や2週間たってしまう。

先週はライブであった。

これじゃ無理かもなぁと思いつつ
カレーを食べる支度などしていたら
近くを通るので車で拾っていただけるとのこと。

カレーにラップをかけ冷蔵庫に放り込み
取り急ぎ身支度を調え、リュックを背負う。

ご厚意だというのに
雪景色にテンションがあがり
フィンランドみたいだ、NYみたいだと
騒いでしまった。

しかし現地に着いてみれば
肝心のバイユーの店主、有さんが店にたどり着かない事態に。

最終的に機転によって
オープンできたものの開催まで危機一髪であった。


私は待機場所から目的地までの
ほんの100メートルくらい歩くのに
横殴りの雪に右往左往した。

帽子にグルグル巻のマフラーに
足もとはなんちゃってブーツに
容赦なく吹き付ける雪。

前を行くカップルはよろけ
脇を行く車がバウンドする。

“遭難”という言葉が頭に浮かんだ。

何しろ夏のスキー場に行ったことはあっても
スキーに触ったことさえないのだ。

天気予報で
暴風雪にお気をつけください、と言われても
その程度がわからなかったが
これか、と思った。

店に着くと、意外や意外、お客さんが次々に。

中止になったライヴも多かったが
あきらめず開催されたライヴだって、いくつもあった。

雪もいいよね、と、うそぶいてきたけど
はっきり言う。

雪はキライだ。








2014年2月11日火曜日

中華三番


10日月曜日。

校了のため、ばたつく。

早く終われば、中華三番に行きたいと思っているので
なおさら、ばたつく。

予想外に早く済みそうで、おっ!と顔がほころんだが
追加修正があり
結局いつもの時間になってしまった。

小田急線下りに乗る。

ラッシュ時であり、帰宅する人たちと一緒に。

けだるさと、労働や学校から解き放たれた空気とが入り交じる。
皆、遠くまで帰るのだ。

脇の女子高生が無邪気に話している。
「お父さん、一流企業なの?」
「ううん、普通の会社」
「社長さん?取締役?」
「ううん、普通の部長」
「部長でもすごいよ」
「今度お父さんとテニス習うの。お父さん、おなかが出てきちゃったから」

世の中の穢れ、諍いとはおよそ無縁なのであろう。
私はあのくらいのとき
暖かい家庭ではあったが
すでにブルースと格闘していた。

湘南台までは1時間ちょっとかかった。
以前、慶應大学でなぜか
ゼミでブルースの話を頼まれて以来だ。

駅前はだいぶ変わっていた。

ストリートヴューで確認した景色を便りに
三番にたどりつく。

本当に町のラーメン屋さんである。
カウンターの椅子が、カホンであること
カウンターの上にいろんな人のCDやレコードが並び
壁に春一番やベルウッドのポスターなどが
貼ってあることを除けば。

こんばんは~。
やっと来ました~~。



一人できりもりするおかみさん、ひーちゃんにご挨拶。

コテツさん、カラスさん、所沢の樽谷さん、ツアーを企画したアドさんはじめ
お客さんすでに何人か。
味噌ラーメンを食べる。

お客さん続々やってくる。
ミュージシャンも。

座るところがないので、ピアノのLeeちゃん夫妻と厨房に入る。

なぜかオーダー係になっているアドさんとの連携で
ホッピーのナカください~
あい、ギョウザですね~
と、お店やさんごっこ状態を楽しむ。

忙しいのに、ごっこ、なんて言って、ひーちゃん、ごめんなさい。

ライヴは非常に盛り上がった。

新しいグルーヴが生まれたと感じた。

コテツ&カラスの力もあるが、店という場の力も大きい。

炒め物の油の音。
実においしいラーメンにギョーザにお酒。
お客さんのフリーダムなパワー。

そして時にお玉を叩いて、自らも心から楽しむひーちゃん。

終わってからも
Leeちゃんのキーボードをセットして
アフター・セッション第2ラウンド!

2つのライヴを楽しんじゃったよ。贅沢な時間。

いまミュージシャンが一番演奏したい場所、三番。

歌いたくなったけど、
やっぱりいざとなると引っ込み思案になってしまう。

本当は11時過ぎにおいとましようと思っていたのだが
結局、ご厚意で泊めていただくことに。

なんともはや。

2014年2月9日日曜日

シモキタの夜


9日 下北沢ラグーナ。

W.C.カラス有頂天ツアーの3日目であり
前からぜひ見たかったコテツ&カラスの
ファースト・コンタクト。
こんなに早く実現するとは。

ご近所ながら初めての店だ。
今日は、Yくんも一緒。

Yくんを可愛がってくれるKotezちゃん。
それに彼の曲をラジオでかけてくれた
岡地さんも出演する。

Chihana。

内省的なムードと
押し殺していた感情が沸き立つようなパッション。
スライド・ギターの音にも
どっしりとした存在感が出てきた。

彼女の歌う恋の歌がすきだ。

Yくんは、英語の発音がいいとしきりに感心している。

次にコテツ&カラス。

この2人、相性がよいのではないか。

もちろん、明らかに歩幅が合わないところもあるが
まず絵柄がしっくりくる。

勝手に振る舞うカラスと
母性のコテツ。夫婦のようだ

ブラインド・レモン・ジェファースンの
「One Kind Favor」では
カラス流の死生観に
コテツの生命力が注がれて
深みのある色に染まった。

カラスが新しいグルーヴを紡ぎだしていると同時に
何度も聞いているはずのハーモニカも
また新しい声で歌っているように聞こえた。

本人たちの感想は知らないよ。

明日の三番も楽しみだ。

そして長見順グループ。
ドラムはもちろん岡地さん。
ベースは群馬県桐生市に住む東郷ケイジさんだ。
東郷さんはこれで何回目かだそう。
昼間、ランチをご一緒する機会を持てたが
とても穏やかな方。
ジャンプやジャイヴがお好きで
なんでも社交ダンスのバックバンド経験も長いとか。

譜面は立ててあったが
岡地さんとのイキもあっており
数回の顔合わせを感じさせなかった。

そしてなんといってもマダム!
赤い口紅のマダム!

いきなり「雨上がりの夜空に」だったのだが
それはもうマダムでしかない。

ディープだ。

エロティックであり、愛しており
怒っており、当惑しており。

自分の感情をぐいと深いところから
引き抜いて、歌っている、弾いている。

そのうえ、ちゃんとカラスなぜ鳴くの~のメロディを
最初と最後に折り込む懐の深さよ。

「地域マンボ」を歌える人は、マダムしかいない。

ヨーコオノのようにクリエイティヴで
アグレッシヴなパートナーを求めているYくんは
すっかりファンになってしまった。

終わってから軽く打ち上げ。

ツアーの主催者であるアドさんに
地元だから一番詳しいでしょうと言われたが
私にとって確かに地元と言えるまちであっても
飲みに行く習慣がないため
音楽バー以外、ほとんど知らないことに気づく。

とりあえず、沖縄料理屋さんへ。
好きだったお好み焼き屋さんの後にできた店だ。

シモキタの夜は長い。



2014年2月6日木曜日

木の芽どき前夜

蒲田から表参道、
代々木上原で途中下車して買い物。

どこにいてもさぶい。
さぶい。

さぶいが、陽の光にに、精気を感じるようになった。

むかし、あれは3月のあたまだったか。
取材で、多摩川に行き
よっこらしょと土手を上り
上に立ったら、座り込んでしまったことがあった。

春のエナジーにやられたのだ。

河川敷には、めりめりと音をたてて殻を破ったように
春があふれていた。

そして、あれは昨年だったか。
春先は、どうも具合が今ひとつ、というYくんに
「木の芽どき」
という言葉を教えた。

彼はとても納得しているようだった。


ところで知人の娘さんが、交通事故を起こしトラブったという。

私は車を運転しないので、保険の仕組みなどには疎いが
ちょっとネットで調べたら
被害者の立場から
いかにお金を取るか、いわゆるごね得のような話に
多くあたり、すっきりしない気持ちになる。


そんなことに加え
仕事で少し息苦しさを感じたこともあって
積極的に音楽を聞く。

グラディス・ナイト&ピップスのアルバム
『If I Were Your Woman』
を聞いていたら、右拳を握りしめること数回。
座りながら、拳を軽くあげて、身体を揺する。

リフトアップさせる歌声である。

グラディスは、モータウン。だと私は思っているのだが。







2014年2月5日水曜日

自転車みつかった


ポストをあけたら
カード会社の案内や
源泉徴収票の入ったレコード会社の封筒などに混じり
一枚のハガキが。

自転車保管所?

お、なんと、あなたの自転車を撤去して
預かっていますだと。

しか~し。

盗難届けを出した場合も
届け日より、撤去日が前の場合は
撤去および保管料3000円がかかるという。

なんで、なくなった私が払わんといけないの?

区のコールセンターへ電話する。

これは決まりなので・・・。
とりあえず最寄りの交番で
受理日と受理番号を聞いてくださいという。

納得いきません、と、毒づく私。

役所の仕事でいかに自転車撤去料に税金を使っているかは
聞いている。しかし、私は好んで放置したわけではないのである。

しかし、一晩たったら
買うより安いか、と闘う気持ちも薄れ、素直に取りに行く。

その前に電話した警察署では
撤去の状況等を聞いて、被害届を出した交番に話すよう言われたが
保管所の人はまったくそんなことご存じなかった。

一人のおじさんは、私の錆び付いたママチャリを
軽く磨いていくれたりしたが
プレハブにいたもう一人のおじさんは、無表情で
私からはがきと、3000円を受け取ると、小さなレシートをくれた。

ただ、それだけだった。

一日、高架下の誰がいつ来るともわからないプレハブにいたら
あんな表情になってしまうのだろうか。

まぁ、いいや。

やっぱり、いいね~自転車は、とのんきなことをいいながら
途中、中華屋でチャーハンを食べ
Yくんとジョン・ランディスの映画について語り
私だけ、近くの交番に行くことにする。

被害届の取り下げと
見つかりましたよ、とお礼も言おうと思ったのであった。

だが、これが。

被害届を取り下げるだけなのに、1時間近くもかかってしまった。

用紙の書き損じ計3回。

途中、書き方を所管に電話で確認しながら。


なにしろ
住所だって、ちゃんと東京都から書かねばならぬのだ。
そしてなぜだか所管の警視のお名前も書かねばならぬのだ。

ハンコは、カンタン印鑑ではダメだということなので
おまわりさんが用意してくれた朱肉に
左人差し指をつけ、力をこめて押す。

あぁ~~。

落胆するおまわりさん。

朱肉ではなく、黒インクでなければダメなのだそうだ。

ファンの回っている音で、眠みがこみあげてくる。
人が、ときどき交番をちらと見て通る。

何をしてここにいるんだろうと思うだろうな。

命に関わる被害、こすいことを考える人もいるようなので
書類一つとっても念には念をということなのだろう。

それにしてもこの事務処理は、である。


2014年2月4日火曜日

目に見えない未来

いかん、いかん。

1日、イベントに参加しただけなのに
なんだかだるい。

Mちゃんたちは3日間頑張っているのだ。

いかん、いかん。

日曜日、Facebookでイベントの様子を気にしつつ
原稿書きに励む。

どうにかこうにか、形になった。

DJセット欲しいなぁ。
アコギも。

月曜日、記事のためのネタ集めに励む。

サクラのころを思わせるほど暖かいので
散歩がてら、Yくんとシモキタまで所要およびランチ。

いつもふと気づくのだが
Yくんは、シモキタ育ちである。

彼にとっては下北沢が生まれ育った街、懐かしい街なのだ。

自慢してよいぞ、シモキタ育ち。

そして彼にとっては第2の故郷ともなり得る
覚醒したまちアリゾナを思い
メキシコ料理屋に入る。

Yくん、サーモンのブリート、
私、チキン、豚肉、エビとアボカドのタコス。

いわゆるメキシカンよりだいぶんオシャレな味付けだ。
テーブルの上においてあったマリーシャープスと、
香辛料をばさばさかける。

小松菜とレモンと何かをブレンドした
緑色した野菜ジュースがついてきて
お姉さんは「冷えにいいんですよ」と言った。

なかなか気の利いたことをと思ったが
誰にでも同じように声をかけているようだ。

男性はおおむね、苦笑いしている。

壁のスクリーンは、ファニア・オールスターズだ。
が、店内のBGMは、ファニアではない。

隣のカップル、男性のほうが
どこのラーメンが好きかと、女性に聞いている。
しつこめに。
次にカラオケで歌う歌を女性に聞いている。
一方的に。

Yくんから、アメリカ的発音、イギリス的発音のウンチクを聞く。

彼は先日Twitterで、目の覚めるような事を言っていた。

「どうせ突撃するなら目に見えない未来に向かっていきたいな。
もう見えてる何かを追いかけるのではなくて」

目に見えない未来。

私にもあるだろうか。
あるよな。


また歩いて帰る。

一仕事して夕方、近所の神社の豆まきを見学に行った。

神社に向かって、紙袋を持った親子が走って行く。
続いて、子どもシートに乗った子がやはり紙袋を持った自転車が
神社に向かって疾走していく。

そうか。
豆を袋で受けようというのだ。

いつからそれが習慣として伝播したのだろうか。

アナウンスされた時刻どおり神社に行ったが
最初は社殿での祭祀であった。

小さい神社なので、賽銭箱越しに見学する。

年男、年女が二手に分かれて座り
お祓いを受けたり、玉串を奉納したりしている。

と、枡を渡された男性が3人、賽銭箱の向こうから
外に向かって、「福は~うち、福は~うち」
とつぶやきながら、豆をまいた。

豆があたる。

意表をつかれた。

これは福豆であるから、吉としようか。

豆ふんづける。粉々になる。

よちよち歩きの子が拾って口に入れようし、たしなめられる。


さぁ、いよいよ豆まきだ。

肩車してもらい、待ち構えている男の子もいる。

こっち、こっちー。くださぁーい。

あちこちから伸びる手、伸びる紙袋。

福は~うち。

一点に群がる手、袋。

未来ではなく、今だけを見る手。

私とYくんは後方で見ていたが
その足もとにも、何かが転がってきた。

ボール状に包まれたチョコレートや、キャンディであった。

宙に舞うオレンジ色は、ミカンである。

大きな紙袋を差し出すほどの量はなかった。

福豆もなかった。

鬼もいなかった。

あっという間のできごとだった。