2014年3月7日金曜日

産まれたときのこと。

6日木曜日。

朝起きて、したくをして
息子の部屋に向かい
「今日、行けないけどがんばってね~。ストーブ消してってね~」
と声をかけるも返事がない。

丸まった掛け布団の下は
もぬけのからであった。

すでに一人で起きてでかけたのである。

東京ビッグサイトで行われる展示会の
講演ステージに出るのだ。

公式サイトを見ると、ちょっとハスに構えたモノクロ写真とともに
“氏略歴”などとある。

ここだけの話、あの写真は
わたしが、家のふすまの前で撮った写真だろう。

加工されてカッコヨクなっておる。

彼はまだまだ、いかようにも加工できる。
伸び盛りなのだ。

子どもなのだが、肩書きのある一個人である。



彼は大事な家族だし、私は
子どもとみれば、すぐちょっかいを出す方である。
3人きょうだいで育ったので
子どもは3人でも4人でもいたら楽しいとの思いもあった。

しかし、
最初から母性本能があったかといえば、これどうだっただろうか。



臨月になると、早く産み落としたいとの思いが強くなり
陣痛の間、キャブ・キャロウェイのライヴに行けないことを嘆き
そしておよそ2晩、40時間をかけて産んだのが彼であった。

産んだ、と書いたが
私には自分の意志で産まれてきたように思えた。

顔を見たら、ちょうど2週間ばかり前に観た
ボビー・ブランドに鼻の格好が似ているような気がした。

産まれた赤子はその後、別室につれていかれ
しばらく私は分娩台の上に天井を眺めながら
うすぼんやり考えていた。

あの子は、私と別の身体、一個人になったんだ。

私がもしここから逃げてしまったとしても
彼はもう一人の人間として生きていくんだ。

と同時に、彼が立つことどころか
酸素を吸って吐いて、乳を飲んで、おしっこをする以外に
まだ何もできないということに愕然とした。

どうやって、一個人は一人前になっていくのだろう。

そんなことは、どこにも書いてないし
だれかに教わるようなことでもなかった。

しかし、彼はつまづき、ひっくり返りそうになりながらも
ところどころで、産まれたときと同じように
一個人のパワーを発揮しながら
ここまできた。

すごいな。






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