2015年1月17日土曜日

1月17日に。

20年前の朝、テレビをつけたときの衝撃は忘れることができません。
すぐに別の部屋にいた家人の元にすっとんでいきました。
当時、義父母は兵庫県内に住んでいたし、
音楽を通じて知り合った方も大勢いた神戸は身近な街だったことも衝撃を大きくしました。

家人はその日に大阪入りするはずでしたが
前の日にこたつに潜って寝たきり、いくらおこしても起きようとしませんでした。
それで私は機嫌をそこねていたのですが
何もかも吹っ飛びました。
あのころは携帯電話も、インターネットのような道具もなく
テレビを観て、おろおろするしかありませんでした。

家人も含め、友人のために、また見知らぬ人のために
奔走した人たちのことも含めて
いろいろなことを思い出します。

それから数年後、山陽電鉄沿いの駅を降りたときに見た
どことなくちぐはぐな光景も私には印象的でした。
テレビでは復興した神戸を紹介することも多くなったころです。
ところどころにぽっかりと生まれた空き地。
まっすぐな道路。建築中のマンション。
昔から地元の人が通っていたであろう商店の間に生まれた、
どこでも見かける真新しいチェーン店。
街が生まれ変わる途中だったのかもしれないし
現状はわかりません。
ただあのとき、復興とは元に戻ることではないんだな、と、
感じたあの感覚は、今もときどき思い出します。

ハバナムーンの夜

吉祥寺のバー「ハバナムーン」へ行く。

スーマーさん、桜井芳樹さんライヴ。

お2人の演奏を聴きたいというのももちろんあったが
ハバナムーンは今月末で閉店する。

マスターの木下さんにもう一度お会いしておきたいという
気持ちがあった。

木下さんは、今後、自分の食べるものは自分で作る暮らしを
してみたいようだ。


先日知ったのだが、マイブラザーと高校の同級生だった。
なんと奇遇な。
弟も覚えていた。
アホな弟は、当時から少し背伸びして
ハーモニカを吹きながら「ガット・マイ・モジョ・ワーキン」なんか
やったりしてたそうだ。
相当偉そうなことも言ったのではないか。


「RCサクセションでもやっていればよかったのに」
と木下さん。

ただ、一つ共通点があるとすれば
2人ともザ・バンドが好きである。
片田舎の高校から
2人もザ・バンド好きが生まれたのだな。

おつまみ、おいしい。

ごぼうと豚肉のみそ煮。
大根の柚子しょうゆ漬け。

焼酎お湯割り2杯。

「お湯を多めにしてください」
って頼んだら
もう割ってあるんだって。
前割ってそういうことか。

というわけで、濃いママ2杯。

じっとライブに聞き入る木下さんの横顔を
ちらりと見る。

弟と同じだけ人生を生きてきたのだなぁ。

しかし同じ高校生だったはずなのに
この横顔になるまでは
どんなことがあったのだろう。

などと、ちょっと酔っているのだろうか。

カウンターで一人、焼酎のお湯割りなぞ
飲むのもよいものだと
生まれて初めて思ったりもした。






2015年1月15日木曜日

ニコジョッキー

恵須川ヒロシさんの、ニコジョッキーに呼んでいただいた。

ニコニコ動画の中にある有料番組枠だ。

「Get's Funky 2525」は隔週水曜日19時~。

他は芸人さんの番組ばかりで
シンガー、エスさんの枠は異質とも言える。

昨年末はもう辞めようと思われたこともあったそうだが
励まされ、音楽を紹介するというモチベーションと共に
継続を決めたとのこと。

社長さんも、音楽、中でも70年代ごろの邦楽がお好きで
ソー・バッド・レビューや泉谷しげる、大上留利子さんらの話で
しばし花が咲く。

スタジオは京王線の笹塚駅から甲州街道を渡って
静かな住宅街を抜けたところにあった。

食品会社のビルの中二階だ。
あとできいたら、ここはスルメの会社だといわれ驚く。
大阪に本社のある、いわゆるおつまみを作っている会社だった。

あ、製作会社はまったく別の会社。
誤解のなきよう。

8畳くらいの楽屋。

ソファ、鏡、誰かの私物を入れた衣装ケースなど。
なぜだかエアロバイクというんだっけ。
自転車を漕ぐ、あの機械が置いてある。

スタジオはその部屋に隣り合う。
入口こそアコーディオンカーテンだが
カメラも2台、あれ、3台かあり、そこここにノートパソコン。

オープニングにbsrの付録CDからデニス・ラ・サールをかけてくれた。

軽口を叩きながらの進行だが
そこが気楽に音楽を楽しめる感じでまた楽しい。

レコード・コンサートのような番組もあっていいが
親しみを持てるようなプログラムもまた必要だろう。

くらしの中に音楽を。

私は図々しくいろいろおしゃべりしてきたが
肝心の「ジロキチ・オン・マイ・マインド」の宣伝部分は
話したいことの半分も話せなかった気がする。

それにしても
こういうメディア、表に開いた空間を持っていることが
うらやましい。

共演のドラゴン藤原くんが
ブルース・マーケットで勉強させてもらいました
と言ってくださったのはうれしかった。

発信する場を持たなきゃだな。





2015年1月13日火曜日

Worry Worry

仕事でトラブルゥ。

言い訳じみたことを口にしてしまい反省。

自分の非を非として素直に認めたい。

いや、それは納得した場合だな。

この場合はスマートなクレーム対応ってやつか。

そのうえ、間に入っている担当者の
脳天気ぶりにいらだつ。

大丈夫だよ の一言が、不安に輪をかける
口先だけの人っているんだよ。

林明子さんの『こんとあき』では
きつねのこんが、幼いあきちゃんに
だいじょうぶ、だいじょうぶ
と声をかける。
それだけで胸が熱くなったものだが。

Yくんは、39度の熱を出す。

インフルエンザではないようだ。

トラブルが解決しないまま
スーパーへと、修理したての自転車を走らす。

夜9時過ぎの、人もまばらなスーパー。
Yくんが食べたいという、豆腐と、野菜、うどん。
寝転がっていても食べられる、いなりずし。
自分にはタイカレー。

ATMに寄って残高を確認したら
予想以上に少なくて、たじろいだ。

また夜道を自転車。

てぶくろをするほどではない。

気分をかえて次回のbsrのお題について考える。

面白いお題をいただいたのだ。

結構自由な裁量があるので
何をどう書こうか、いろいろ思いめぐらせる。



2015年1月11日日曜日

チェーンが切れた

連休は、3つ隣の駅まで
Yくんと、靴のかかとを修理しにいく。


Yくんのは輸入モノの、先の尖った革靴。
修理代 2000円。
私のは4900円のブーツ。
修理代 1200円。

不安そうなおじさんが窓口だったので
なんだか私も不安になった。

その前の日は
自転車のチェーン修理。

ふんふんふふーんと自転車を漕いでいたら
がっがががと音がして
一つもペダルが踏めなくなったのだ。

チェーンが切れてぶら下がっていた。

いつもの自転車屋さんに行く。

年末に荷物ひもがチェーンにからまって
泥よけを修理してもらったので
これで2度目だ。

「こないだ直していただいてばかりで」
と言うと、おじさんは「そうだねえ」と覚えていた。

こちらはのおじさんからは
絶対に信頼が持てるという
プロのオーラがただよってくる。

「強くぶつけたりしないと、チェーンが切れるなんて
めったにないんですよ」

しかし、ふふふ~んと乗っていただけなのだ。
すみません、とあやまる。

修理費は1500円だった。
預けておくといつも空気もぱんぱんに入れてくれる。
先日の修理費が2000円だから
そのうち新しい自転車が買えるのではないか。




靴の修理の方は翌日受取になったため
2日連続で3つ隣の駅へ。

そして2日連続でケバブを食べた。
近所にあったケバブ屋さんがひっこしたのだ。
トルコから来た若いAくんと
「ゲンキだった?」
と世間話。

いつものケバブサンド500円、とケバブ弁当600円。
ソースは辛口+ヨーグルト。

しかしゆっくり話したくても次々とお客さん。
こちらは商店街に面しているため
忙しくて痩せたそうだ。
朝10時から夜10時まで働きっぱなしである。

トルコに帰ると
兵役にとられてしまうらしい。
徴兵制のある国では
義務なので1年我慢して行ってくればと考える人もいるようだが
現在、トルコの周辺はかなり厳しい状況にある。

徴兵制は通過儀礼ではないのだと
恥ずかしながら、彼と話していて初めて気づいた。