2013年12月31日火曜日

ありがとう。大瀧詠一さん


ブログを書こうと準備していたら
大瀧詠一さんの訃報が友人から。

悪い冗談ではなかったようです。

悲しいというより、いまは悔しい。

そしてなぜだか、何に対してだか腹がたってきました。

「埼玉県のタナカミエくん」

GOGOナイアガラで、
ハガキを読んでくれたときの
声を思い出します。

ヴォーカリストとしてもですが
話しているときの声がすきだったなぁ。

音楽を聞く楽しみを教えてくれた方。
ニューオーリンズ音楽も
コーラスグループも
ロックンロールも
三橋美智也も
コミックソングも。

精神的支柱でした。

70歳、80歳の大瀧さんから
アメリカン・ミュージックや
戦前、戦後の歌謡曲に関する
豊かな知識を聞くのを楽しみにしていました。

ご冥福をお祈りしますと書くべきところですが
不謹慎だとはわかっていても、
冗談なんだよねと
と笑って皆の前に立ってほしい。

ONDOが哀しい。

3日前も、レッツ・オンド・アゲインを
息子と大音量で楽しんだばかりだ。

布谷さん、天国で驚いていますよ、大瀧さん。

2013年12月30日月曜日

お茶漬けの味


神妙にしていたわけではないが
一日、表に出なかった。

昨晩 1合炊いたご飯を
3食食べる。

朝、茶わん半分を納豆と梅干し。
ごぼうと人参のきんぴら、キュウリとタコの酢のもの
(いずれも出来合いの残り)

一人でも、小さい方のまないたを出し
ネギなど刻むと、あぁ今きちんと暮らしている
という気分になる。

あと半分は、大根の味噌漬けをのせ
お茶漬けにする。

日本茶が好き、お茶漬けが好き、である。
小津監督の映画でも
一番気になった題名は『お茶漬けの味』だった。

一番好きなのは、だいだい色した大根の味噌漬けに
かつおぶしをのせ、ちょっと味噌もいれて
かつぶしの踊っている間に
あっつい緑茶をかけたやつだ。

小さい頃から好きだった。

おそらくは信州出身である父親の影響だろう。

父は、おにぎりをこさえる時も
ぎゅっぎゅっと、丸い大きなにぎりめしの
両側に、指で、たっぷりと味噌をつけた。

ただ、それだけ。

友だちは、その大雑把さに面食らい
口にするのをためらっていたが
食べてみたら、案外いけたようだ。

そりゃ、そうだろう。
悪かろうハズもない。
味噌の味しかしないのだから。

私はその後も、味噌味を好んだが
ラーメン屋で味噌など頼もうものなら
「おねえさん、下品だねぇ、ミソだって」
と父は冗談めかして笑った。

入院したベッドの周りで
「みえねえさん、味噌が好きなんだよね」
と笑うと、
脳梗塞で話せなくなっていた父親は
にやりとした表情を浮かべた。



夜、納豆とネギのオムレツ
イシイのチキンハンバーグ

子どものころ、イシイのチキンハンバーグを食べたとき
熱湯であっためるだけで
こんな旨いものがあったのかと感動したものだ。

今は少し味が変わった気がする。

オムレツには、ケチャップとマリーシャープスを混ぜたのをかける。

バカ、と書いてみる。


息子の台湾実況ライヴを観る。
親ばかである。

スーツ着て、アイゲンハープかかえて、歌っておった。

もっと暴れろ、と心の中で思う。

台湾語のコメントでアイゲンハープを「新兵器」
と書いてあるものがあり笑う。




2013年12月29日日曜日

今日はひとり。

Yくん、台湾演奏旅行へ旅立つ。

今回は、2泊3日のあわただしさ。

アイゲンハープの入ったハードケースを左手に
右手でカラフルなカートを引っ張ってでかけてゆく。

希望にあふれた背中だ。

途中、地下鉄の車内から
すいてるよ、メールと共に

「物事は常に斜度45の線を描いて進むわけではなく、
ものすごくでこぼことしたものだということを
忘れないでね」

とのメッセージ。

今後が不安だという私のネガティヴな発言を
受けてのものだ。

つまり
「下がったら上がるだけ」

25歳に言われたくない気もするが
なかなか彼の冷静なアドバイスが
身に染みることは多い。

毎日、息子のことを書いているようですが
たった一人の家族なので
お許しください。

友だちは早く子離れしろ、と言うし
わたしも、そうしたほうがよいと思うのだが
結構しゃべる親子である。

最近のお母さんは
電車の中でもおおむねベビーカーに子どもを乗せたままである。
あるいは、隣り合っていても
スマホをいじっている人が多い。

私の頃はもちろんスマホなどなかったわけだが
ふりかえれば
とにかく子どもに見せたいものが多すぎて
できるだけ抱っこしては
車窓の風景やら、車内の中吊りやら、看板やらを指しては
しゃべりまくっていたような気がする。

私はいまも車の助手席に座ると
外の風景を見ては、ああだ、こうだ、しゃべり続ける傾向にある。

この世には面白いものがたくさんある。

教育的見地からとかそんなものではなく。

面白いもの、こころ動かされるものを
子どもにも見て欲らわずしてどうしようか。


今朝、熱があり、診療も今日までということで
久々に耳鼻科に行ったら
子どもたちもたくさん来ていた。

そこでは備え付けの絵本を読んでやる
お母さんの姿も。

母子なんて別段何も変わっていないのだろうなぁと思う一方で
やっぱり何か違ってきたのかなと思ったり。

診察のほうは、やはり副鼻腔炎をこじらせていた。

先生は、鼻の中を見ながら
あぁ~、どろどろだね、と、少し眉をひそめたように見えた。

先にクスリのついた長い金属の棒を
鼻に突っ込まれながら、スミマセンと、情けない気持ちになる。

ネブライザー(吸入)をやる。

壁に向かい、神妙な顔で
鼻に器具を突っ込んでいる様は
いつも想像すると珍妙である。

吸入器の上には、たくさんのぬいぐるみが並んでおり
なぜかクジラが多かった。

薬局で抗生物質など3種類を出してもらう。
初めて行く薬局だったのでカルテを書く。
あわせて
「チェーン店なのでよろしければ、会員証にもご登録ください」
と言われたが、保留にした。
薬剤師さんたちが、妙に丁寧で
いかにも会社員という感じがしたのだった。

家に帰り、ごろごろしながら
意外と日ごろじっくり読めない
レコードコレクターズ、ブルース&ソウル・レコーズなど読む。
杉浦日向子さんの「風流江戸雀」など
積んであった本も。

「風流江戸雀」。こんな色っぽい話だったっけか。

夕飯は「深夜食堂」を見ながら
豚汁を食べる。

クスリのせいか眠くなって、素直に寝る。
今日は一人で人けがないので、iPadのラジオアプリでブルース。

私は一人暮らしをしたことがない。

布団に入っていても、いつもどこからか
人の体温と暮らしの擦れ合う音がする中で育った。
大人になってからも、だいたいわさわさしていた。

寂しい、というのともまた違う。

それでも、いつのまにか寝入って
目覚めたら11時頃だった。

あぁ、わたしは、寝たかったのだな。

夜中に起き出し、
年明けに出す原稿など整理して
髪の毛を洗いたくて、お風呂に入ったりしていたら
夜中3時半になってしまった。

2013年12月28日土曜日

頼まれもしない仕事

世の仕事納めの日だが
なんだか今年はきぜわしい。

午前は文字校正を受け取り
午後は色校を受け取っての修正がある。


通りすがりのみせ。
外の黒板にメッセージを書いてある。
最近、Caféなどに多い道端ブログ的なスタイル。

「みなさんクリスマスはどのようにお過ごしでしたか。
わたしは体調を崩してしまい
チキンもケーキも食べられませんでした」

あれれ。

私も体調が悪いので過剰に心が動く。

こういう黒板って
通る人に少しでも
幸せな気分になってもらうためにあるのではないのかな。

マイナスの報告は、道端にマイナスのバイブレーションを流してしまう。


午前中、いつもより1時間早く校正を受け取る。

和やかな雰囲気。
うちは“業者さん”と呼ばれる出入りの立場なのだが
仕事の内容を信頼してくださっているのを感じる。

最初は電話で「いま“業者さん”が来ていて・・・」
と誰かに説明しているのを聞いて
距離を感じ、少々寂しかったが
今はそんなこともなくなった。

★ ★ ★

さて、体調がすぐれないので
次のところで色校を受け取り
帰ろうと思っていたら、
色校の到着が2時間ばかり遅れるという。

しかたないので
電気店でスマホの充電器を買ったり
書店で立ち読みしたり。

いつもスマホを充電しながら寝るのだが
どうもコードがちゃんと刺さっていなかったようで
朝、気づけば、バッテリーの残り、14%であった。

今日は電話の多い日なので
さすがに14%では不安だったのである。

iPodもそうだ。
よし!今日はあの曲を聞くぞ!
と意気込んだ日に限って
充電がゼロだったり
イヤフォンのイヤーマフがとれていたりする。
しかもイヤフォンをSONYのノイズキャンセリングタイプにしたものだから
イヤーマフ一つとっても汎用ではないのである。

芋洗坂を下り、親会社へ色校を受け取りに行く。
小雨が降ってきた。
六本木はビル風が冷たい。

なんのかんのとややこしい事があり
帰ったら10時だった。

明日から台湾演奏旅行というYくんは
すでに夕飯をすませていたので
蕎麦で済ます。

少し寝てまた起きだすと
デザイン修正ができましたとのメールがきていた。
午前零時である。

皆、どこまで仕事をするのだろう。

<頼まれた仕事はさっさと仕上げて、頼まれもしない仕事に着手しろ>

と言ったのは橘川幸夫さんだ。

そうだ、頼まれもしない仕事をしなくちゃな。

2013年12月27日金曜日

レコード棚の一枚

Yくんに
「ものを作る人に対して
あなたの作品は人気がないとか、
売れていないとか言うべきではないと思う」
と言われた。

ものを作る人はみんな、
自分の作品がどう受け入れられるかわからない中で
頑張っているのだから、だそうである。

私はときどき、言葉が過ぎることがある。

それは自分でも思う。

私は、普段、人様が精魂こめて作ったCDを聴き
紹介する仕事をしている。

もっと若い頃は
厳しいことを言うのが批評だなどと
それこそ、カッコつけていたこともあった。
言葉が足りなくて
人を傷つけたところもあったとは思う。

だが、アーティストをこきおろしたいなどと
意地悪な気持ちを持ったことはない。
基本、応援である。

カッコイイ!と素直に思える音楽、
カッコイイ!とあこがれてしまえるアーティストに
出会いたい。

そしてそれを皆に聞いて!聞いて!と紹介したい。

そこが基本だ。

だからなのだろうか。
同じアラン・トゥーサン・インタビューでも
S氏のはジャーナリズムだが
私のはファンのインタビューだとYくんは言った。

そうか、そうなのかもな。

それなら個人のブログと変わらないと言う人もあるだろうが
私は発した言葉によって
音楽が誰かの生活に根をおろし
やがて結びあい
大きなうねりとなり
次の次代に受け継がれてほしいと願っている。

そのために、文章をおろそかにしたくない。
言葉そのものにも力を持てるようになりたい。

また、私は一番のお客さんでいたいとも思う。

たとえばCDであれば
記事を観てお客さんは2000円なりを支払うのだ。
稚内の人もいれば、多良間島の人もいる。
ときに全国から問い合わせてでも手に入れようとするわけだ。

だからこそ、
日々の暮らしで何度でも聞けるアルバムかどうかは
判断の尺度になる。

リスニングの環境も若干は左右するのは確かだ。
アメリカで録音されたアルバムの中には
あの広大な土地で車に乗って聞けば最高だろうなぁと
思うものがよくある。

日本で満員電車に揺られながら
ヘッドフォンステレオで聞くのとは
やはり感じ方も変わってくるだろう。

でもそうしたことを差し引いても
やはり音盤をはみ出るだけの
エナジーを感じさせる音楽があるのは確かだ。

先日、憂歌団再始動を観に行ったとき
CD販売のコーナーで
ある女性ファンが感極まったように言った。

「わたし、すり切れるまで聞く!」

CDがすり切れるかどうかはわからない。

ただ、大事に、大事に、繰り返し聞くことのできる
アルバムに出会えた幸福。
そうしたアルバムを創れたアーティストの幸福。
それぞれを想った。

私は、産業としての音楽シーンにも関わっているので
1枚でも2枚でも多くのCDを買ってもらおうとすることが多い。

売らんかな、でなくとも
たくさんのアルバムを聞いてほしいと
ガイドブックを作ったりもする。

でも、この女性のうれしそうな表情を見ながら
たった一枚でいい。
日々の暮らしの中で
一生大切にしたいアルバムに出会えること。

それがどれだけ素晴らしいことかを
忘れてはいなかっただろうか。


そのアーティストにとって
歌うことが、あるいは演奏することが必然であったと思わせる
演奏に出会うと
アルバムであろうと、ライヴであろうと
震えるほどうれしい。


そういうアーティストを
あるいはアルバムに出会うチャンスを
一人でも多くの人に作れるよう
これから一所懸命やっていきたい。




2013年12月25日水曜日

イブに風邪

3連休明け。電車はすいている。

丸めたカレンダーの詰まった紙袋を提げた
背広姿の人、ちらほら。

学生はそろそろ休みなのだろう。

子どもたちも今日までか。

駅ビルの階段を下りたたところで甘い匂い。
ケーキを売っている。
あれ、そういえばイブじゃないですか。

最初の打合せ。
昔、お世話になった、しかしとても厳しかった
上司が戻ってくるときいて
「戻ってきちゃったんですか」
と、つい言ってしまう。

いくつになったら、口の利き方を覚えるのだろう。

資料を取り寄せたり、掲載や取材のお願いで
会社に電話したときに
広報担当者の応対が、
へりくだるでもなく、圧するでもなく、
無理するでなく、言葉もよどみないとき
実にクレバーであると
このうえなく感動する。

母や、OLをしている妹にも
「おねえさん、挨拶をするときアタマだけちょこんと下げるんじゃないのよ」
「早口でしゃべらないのよ」
「靴はそろえてあがるんだよ」
「お菓子を出されたらすぐ食べない!!」

などと小言を言われる。

この2人は、お華とお茶の免状も持っている。
私は何も持っていない。

やはり社会人一年生として
会社に入り
誰かに教えてもらうということは決してムダではないと思う。

電車に一時間ばかり揺られ、次の打合せへ。

少し間があったので
駅前のスーパーを大きくしたような
モールを二回り小さくしたような百貨店をのぞく。

クリスマスイブか。

これは誰にあげよう。
こっちは誰々かな。
もうこの世にいない人の顔まで浮かぶ。

想像しながら、見てまわるのは意外と楽しい。
誰かのために贈り物を選ぶという幸福。

さて打合せだ。
皆、風邪をひいていた。

風邪の人を目の前にすると
その瞬間からうつったような気がしてくる。

帰りに薬局に寄って、風邪クスリを買った。
店の人はたぶん高いほうを売りつけてきたように思う。

地下鉄でさっそく飲むが、うとうとするくらいで
寝てしまうまでいかない。

白いコートでおめかしし、スマホでLINEをチェックするおねえさん、
たぶん手持ちで一番良いバッグを持ちブーツを履いて
子どもたちにもきれいな格好をさせた母親のグループ、
プレゼントらしき小さな紙袋を下げたカップル、
ほとんどが表参道駅でおりた。

クリスマスイブなんだ。

帰ってデザイナーさん5人に校正原稿を配ると
ようやく、というか、そんな時に眠くなってきた。

Yくんが買ってきたパーティ仕様のチキンをむりやり食べて
ごろりと横になると気がつけば2時間も寝ていた。

それからボビー・ブランド、ボビー・ウォマックらが歌う
クリスマスソングの流れるラジオを聞きながら
週末〆切の原稿を少し書く。

やはり風邪のような気がする。


カスレと生誕祭

23日は、Yくんの誕生日。

25年間おつきあい、ありがとう。

発達心理学では、25が青年から成人前期になる年齢らしい。

小学校にも中学校にもほとんど行かず
よくぞここまできたものである。

Faccebookに写真を撮って載せる。

私は彼が成長する途中から
彼のような自分の中に身に余るエナジーを抱える子どもは
いろいろな大人に触れ、育ててもらうことが
必要だと思うようになっていた。

たくさんのコメントに
私の先輩、友人たち皆にお世話になったことを
今さらながらに思う。
ありがとうございました。

昼、2人して自転車でスーパーへ。
カスレという南仏の豆料理
平打ちのパスタ、サラダ。
シャンパンではなくクラシックコーラとCCレモン。

カスレは、煮込んだ白インゲンの上に
鳥肉やソーセージをのせた、汁なしシチューのような料理。

期せずして全体に茶色い食卓に。

豆ばかり多く、なんだかもそもそする。

2人それぞれブラックペッパーや、
マリーシャープスなどで
味を調える。

夜は近くのケバブ屋に行く予定だったが
私は仕事のち、机の上でクッション弾いて、突っ伏し寝。
Yくんも作業しているうちに、やはり寝。

ということで、夜ご飯はうやむやに。

起き出してハーゲンダッツ食べる。

ハーゲンダッツは、今までドイツあたりの会社だろうと思っていたのだが
アメリカのメーカーであった。

名前も
アイスといえば酪農の匡デンマークっぽいからと
コペンハーゲンのハーゲンに
それっぽい語感でダッツをくっつけただけと知り
2人であぜんとする。




2013年12月22日日曜日

ガツぽん・シフォンケーキ

ブルース婦人部忘年会。

恵比寿と代官山の間にある
えびす海岸という店。

8人集まる。

急な階段を上がったところにある
畳の部屋にあげてもらった。

古い家を使っているのか
少しすきまの空いた木枠の窓。
駒沢通りを大型が通るたび揺れる。

6時から、よく食べ、よく飲んだ。
ボビー・ブランドを偲ぶ会の後に入ったお店だったが
お通しの段階から、すこぶる美味しい。


私は最初にビール。
そのあと日本酒にする。

宮城の地酒ありますか。
いづみや思いのメンバー。

熱燗くださいと頼むと
いま冷やばかりなのでと、結局、白鹿になる。

ハクシカ。
なんだか、なつかしく、そして庶民の宴というムードが。

よいよい。
雑誌で仕入れただけの知識をひけらかし
注文する輩にはなりたくない。

最近、みえさん、“おっとな~”的なことを言われる場合もあるのだが
いや、どうも冷たいモノ、炭酸のモノを飲みすぎるのが
ダメだと気づいたのだ。
ときに低血糖になり、世の中がぐるんぐるん回り出す。
その点、熱いお酒は自分のペースを保ち、少しずつ飲める。

とは言え、序盤から調子にのって飲み始めたため
今回は途中から、ピッチャーから水ばかり飲んでいた。

とにかくよく食べ、よく飲み、よく笑った。

ソウル餅つき、ソウル豆まきって、なにさ。

実は私はメニューを見ながら
その店のスイーツとやらが
いつも気になっていた。

しかし、ぐいぐい飲みが入っている段階で
そんなものをオーダーするのは
場に水をさすようで気が引けていたのである。

が、昨夜は、壁の貼り紙からどうしても目を離すことができず
「シフォンケーキ食べたい!」
とリクエストを出してしまった。

これがまた美味しかった。ケーキも傍らのバニラアイスも。

皆も分けて食べる。

シフォンケーキ食べ、アイス食べ
がつポン酢も食べ、ちょっと日本酒も口にする。

好きなモノ食べて、好きなモノ飲んで、気の置けない友だちと、好きな音楽の話をする。

忘年会シーズンなので場合によっては2時間半で・・・と言われていたが
結局6時から5時間。

お支払いが1人7000円だったのには
ちょっと驚いたが
いい夜でした。



2013年12月21日土曜日

肉豆腐

12月の雨なぞ、すぐ上がると思いきや
本日も雨。ばらばら、がらがらと音がするので
表を見たら、ひょうが降っていた。
大手町では初雪だそうである。

氷河期に向かっているというのは、本当なのではないだろうか。
いや日本、世界そのものが
いろいろな意味で、どんどんよくない方に向かっているのは
間違いないのだろう。

少なくとも、ウィアザワールドじゃないよなぁ。

先日も先輩に
「放っておいたらギターなんかじゃらじゃら弾いていられなくなる」
「次の選挙なんて言ってられない」
と言われた。そう思う。

というより先に、仕事が知事選の影響を受けている。

それはそうと。
ぼちぼち仕事。
すでに休みムードの人もあり。

たまには夕飯をしっかりとろうと
夜8時前、スーパーまで自転車を飛ばしてみた。

豆腐、白菜、納豆売り場は、こんな時間に、ほとんどカラである。

そうか、連休だ。鍋をするんだ。

私は、すき焼きが食べたくなったが
Yくんは、ぐーすか寝ているようだし
独りでやってもつまらないので
肉豆腐とすることにした。

ほかに、Yくんのリクエストで、魚も。
ぶりの照り焼きにしたかったが
高いので、メカジキ。ガーリック焼き。

セロリも買う。

肉豆腐は、昔、実家にいるころに作って
母に褒められた覚えがある。
私は、結婚するまで、ほとんど家事らしい家事をしていなかったのだ。

結婚当初は、はりきって
中華鍋で、かれいをあげてあんかけにしたり
一日かけて塊肉を紅茶煮にしたり
母に分けてもらったぬか床で、ぬか漬けもやっていた。

仕事柄、いろんな人が家にやってきたので
台所、つまりは裏をどろどろ、がちゃがちゃにしながらも
もてなしたりした。

今もおつきあいのある方、
あるいは亡くなったあの方、
私の料理を召し上がっていただき、ありがとうございました。

その後、紆余曲折あり
家に人が来ることもなくなり
あまり料理をしなくなったが
自分の好きなものだけは食べていたいと思う。

ずいぶん勝手をしたが
息子も餓死することなく
ここまで生きてきた。

ある意味、どんなに勝手をしてもいいが
子どもを飢えさせてはならない。
他にもいろいろあるにはあるが、
親としてそれだけは守らなければなるまい。

そんなことを考えつつ、台所に立ち
さま○○ずLIVEのDVDを観ながら、ごはんを食べた。

私はコントや落語、演芸が好きで
知っている人は知っているが
さま○○ずLIVEにも足を運んできた。
友だちも何人もできたのだった。

ここ数年は、あれほど楽しみにしていたLIVEも
もう一つで今年は行かなかったのだが
これを見る限り、コントに往年のハリが戻ってきた感じがする。

私は、人を喜ばせたり
笑わせたり
踊らせたり
そういうことに一所懸命な人たちが
とにかく大好きだ。

















2013年12月20日金曜日

12月の雨の日

小雨の中、取材へ。
あがるかと思えば、
夕方になっても、しょぼしょぼと降り続く塩梅。

12月の雨の日、はっぴいえんど。
半音で移動していくコード進行が好きで
あればっかり弾いてたことがある。


今日は工場の取材。

クライアントさんが、車を出してくれたので助かる。

売上げはほしいし
時間もほしい。
でも、ものをつくるのがすき。
ものを創るために考えるのがすき。

ものづくりはアナログだ。

それは、稼業をついでる実弟をみていてもわかる。

今日は撮影係兼任。
社長さんが
「私もカメラをやりたかったんだよ」
と、おっしゃり
あらら、と少々緊張。

D門拳さんのところで
暗室作業からみっちり勉強されたらしい。

帰りに下北沢へ。

商店街にも、毒々しい看板を掲げるチェーン店ばかりが増えてしまい
“あのころ”のシモキタは、もうない。

もうシモキタなんて・・・と思うところがないではなかった。

でも、やっぱりここはホームタウンだなぁ。
通りをゆく歩幅でまちのスケールをとらえられる感覚。
本能で角を曲がって、目的地へゆける感覚。

なんたって生まれたまちより、育ったまちより
長く暮らした所である。

事件の報道を観たこともあり
久々にO将のギョウザを買って帰る。




2013年12月19日木曜日

ごみ置き場の隣

昨日から小雨模様。

今にもどどどっと機嫌の悪さをぶちまけたいような空。

雪に変わるとの予想もあったが
どうやら雨雲として踏ん張ったようだ。

仕事をしていても指先が冷たくなる。

これはかなり気温の下がっている証だ。

ネットラジオ からバリー・ホワイトの低音が聞こえる。

借りているマンションの部屋は温かい。
たぶん、サッシが片側にしかなく、風とおりが悪いからなのだろう。
ぬくぬくとしながら、部屋の外へ出て
寒さに愕然とすることもある。

加えて、私の部屋の北側は、ごみ置き場である。
それで北からの冷気を遮っているということもあるのだろう。

借りてしばらくしてから、そうか。と気づいた。

つまり本棚と壁一枚隔てて向こうは、ごみ置き場である。

気づいたとき、あぁいやだ、いやだ、と逃げ出したくなる人もいるかもしれない。
あぁ、いやぁ~、そうなのかと考えたこともあったが
ごみが山積みというわけでもない。

夜、ごみを置きにいくと、電灯もないコンクリートの空間には
格子のはまった小さな窓から
夜の光がさしこんでいる。

青いポリバケツが黙って並ぶ、ごみ置き場は孤独だ。

風通しのいい部屋に住みたいけれど
ごみ置き場に守られていると思えばよい。

昼ごろまでは、
冷蔵庫のくず野菜を炒めてのせた
味噌ラーメンを作ったりもして、ゆるゆる仕事。


午後から加速度的に忙しさは増し
最後のデザイナーさんからデータをもらったときは
零時を回っていた。

こんな日は、ぜ~~ったいライヴになど行けぬ。

たまに一緒に仕事している人にも
愚痴めいたことを言い
同時にデザイナーとしてのプライドを傷つけるようなことを
口にしてしまうことがある。
気をつけよう。

データを待っている間
憂歌団をYou Tubeで観た。
「胸が痛い」を聞きたかったのだが
いろいろ。
熱くなると、4人のリズム感が、はずんでいる。






2013年12月18日水曜日

憂歌団からの便り。~島田和夫祭り~

16日月曜日。

憂歌団からの便り。~島田和夫祭り~ を観るため赤坂Britzへ。

大阪公演が決まったとき、行く!と勇んだが
結局チケットがとれずに涙をのんでいたのだ。

なのに、ずいぶん前に買っただけで安心し、あやうく失念するところであった。

TBSのところに着くと、
ユウカダンのチケットをお持ちの方、こちらからご入場できます~
と呼び込んでいる。

やっぱり、今日は憂歌団なんだ。

複雑なような、うれしいような。

メンバーの顔、Hまろさんの顔、T井さん・・・
彼らに関わってきたいろいろな方の
顔が浮かぶ。

4人のイラストパネルがどーんと飾られている。
イラストは、もちろん4人いる。

CDや、さまざまなグッズも売っている。
Tシャツの色が白、黒のベタなタイプばかりでないのが、しゃれた憂歌団らしいなぁ。
憂の字がデザインされた赤いトートバッグと
パンフレットを求める。
パンフはLPサイズ。原点に戻ろうとの思いだろうか。

いつもなら始まるまで
パンフでも読んで・・・となるところだが
表紙の4人そろった写真をちらっとみたら
開くのがもったいなくて、バッグにしまってしまった。

T子さんが、Britzでのライヴは
アイズレー(ブラザーズ)立ち見以来だと言ってたが
今日は、簡易な椅子だが、ちゃんと席がある。
隣に座った大柄な男性、ちょっと窮屈そうだ。

見回すと、特に憂歌団と同世代が多いというわけでもない。
女性グループも何組かいて、彼らの幅広いファン層を感じる。

年齢の世代というより
同じ時代を生きてきた人たち、ということだろう。


最初に新井田耕造さん中心のドラマーズ。
ブルーハーツの梶原徹也さん、三宅伸治バンドの杉山章二丸さん
ジュンスカイウォーカーズの小林雅之さん、プリプリの高田京子さん
ドラム5人がステージに並ぶ。みんなグレッジ。

乱れ打ちというのではないな。
ユニゾンのようにたたき出されるビート。
島田さんへの鎮魂だ。

リズムをとりながら少し熱いものがこみあげる。


島田さんに最後にお会いしたのは一昨年夏の大阪だった。
会釈された、はにかんだようなやわらかな笑顔を思い出す。
リハのためセッティング中の島田さんは、年齢をとったようにもみえず
飄々としていらした。
その日は、勘太郎さんにもお会いしたし
次の日にはHまろさんにもお会いしてお話をうかがった。
今思えば、少し特別な大阪だった。

クリーム“I'm So Glad”が流れる中、舞台転換。

憂の字を大きく○で囲った
ボードがするするとおりてくる。

こんな大きな「憂い」って文字、みたことない。

3人が、いつもの感じで出てくる。

大歓声。

待ってました!とばかりに客席から、チャチャが入る。

勘太郎さんが、音合わせにギターをじゃらんと。
空気が変わる。
すごいなぁ。

確かfine and mellow からスタート。
憂歌団の英語詞といえば・・・と、
今度はちょっと拾得のテリーさんの
ことを思い出す。

ミッドナイトドリンカーで手拍子。
日本一の宴会バンド、憂歌団! だ。

でも、やっぱりドラムスがないと
曲によって違和感を覚える。

私じゃとんでもなく役不足と思いながらも
いっぱい聞いてきた憂歌団だからと
頭の中でブラシを加えて。

1曲ごとに
「タバコ吸ってもええか」
と花岡さん。
じゃ、オレもと木村さん。お酒?もぐいぐい飲む。

それに対しニュートラルな勘太郎さん。

あの寡黙で壊そうな内田勘太郎ではなく
よくしゃべる、勘太郎さん。
ソロ・ライヴを観ていればなんとなく知っている人は多いはずだけど。

曲間にぱらぱらと弾くフレーズに
ソロになってからのフレーズを思い出すものあり。

体調を崩されていた花岡さんは
決して本調子ではなさそうだ。
その分ということか、木村さんと勘太郎さんが引っ張る。


この会場に来ているお客さん。
何を待っているんだろうか。
往年の憂歌団?
それとも新しい憂歌団?

私は、これは新たなスタートなんだと感じた。

君といつまでも のセリフ
「ぼかぁ、死ぬまで歌い続けるぞ~!」
が、ずしんとくる。

後半、ドラマーズの面々が
一曲ずつ交替で島田さんのドラムを叩く。

しまだ~~! 会場から声がかかる。

島田さん、どこ行ってしまったん。
シャッフル聞きたいよ。
ちょい私も天井を仰いだりして。


意外によかったのが、京子さんドラムでの
Hoochie Coochie Man。
ドラムがシンプルな分、ハマッたのだろう。
勘太郎さんのスライドもマディ・テイストでかっこよい。


タバコ吸って、お酒飲んで
だらだらやってるようで
「胸が痛い」あたりから、ぐわしと会場をつかみとって
ぐんぐん持っていくあたりは、さすが、だった。

「胸が痛い」で号泣したことあったな。

一方で木村さんのソロでも聞ける歌だけに
憂歌団ならではの「胸が痛い」ってなんだろうと考えたりもした。

それはやっぱり、ベースとドラムスだ。

「嫌んなった」もだけど、誰が叩いてもやっぱり
あの「嫌んなった」にはならない。

いくら木村さんのキャラクターが強力で歌が素晴らしくても
勘太郎さんのスライドが唸っても
やっぱり、花岡さんのぶんぶんと重いベースと
島田さんのブラシがあって
初めて憂歌団なのである。

4人そろって憂歌団。

代わりはいない。

そしてそのことはおそらく3人が一番よく知っているのだろう。

だからこそ、今日から新たなスタートなのである。

元気なんかないわ、と うそぶく花岡さんに
「みんなで一緒にやろうや」
と声を掛けてる人があって
ちょっとぐっときた。

みんな彼らと一緒に生きていきたいのだ。

3月には木村&勘太郎による憂歌兄弟で
ニューアルバムも予定されているとか。

今から、楽しみでしかない。




2013年12月16日月曜日

サンタからの袋

土日も仕事ばかり。
年内に仕上げなければならない。

少しばかりはかどったが、なんだか何かが足りないと思う。

近所の商店街はとたんにクリスマス・ソングを
にぎやかに流し始めた。

しかし、このメロディ。
これは教授の「戦場のメリークリスマス」だろう。

なんか違う。なんか違うぞ。

ラジオもぼちぼちクリスマス仕様の選曲だ。

この時期、やっぱりClassic Soul Networkが沁みる。

イブの夜、独り、部屋で
クリスマスソングに耳を傾けるという習慣は
20歳くらいのころから、変わらない。

冬の夜、この淋しさ、わびしさに耽溺する感じ。

嫌いではないのである。

いじけているんだろうと言う人もおりましょうが。

◆ ◆ ◆

家には、ビング・クロスビーの『クリスマス・アルバム』があった。
中学生のころは、大瀧さんのジャケ裏に同じものを見つけ
おおっと、あたかも同じコレクションを手にしたような思いがしたものだ。

子どものころは、雑居ビル4階の
台所こみ6~8畳一間ほどの洋間2部屋を借りて6人で住んでいた。
2部屋は、共用廊下をはさみ、はす向かいにあったが、
クリスマスになると、その一部屋を赤、緑、黄などの豆電球がついた
ささやかなイルミネーションで飾るのだ。

そしてクリスマスのレコード、ビング・クロスビーなんかもかけたと思う。

メインイベントはやはりプレゼントだ。

夜になると、親がやおら流しの脇の窓をあける。

部屋には窓が一つしかなかった。少しさびついた鉄枠の窓。

外には白い大きな袋がぶら下がっていた。
「サンタさんだ!」

両親がスグ上の屋上からぶら下げたのである。

粋なはからいであった。
両親が相談し、子どもたちのために準備したであろう姿を思うと
いま、少し涙が出る。

白い大きな袋には、きょうだい3人の欲しかったおもちゃが入っていた。
私がほしかったのは、リカちゃん人形の服などだったと思う。
薬局の友人が持っていた食器セットなどや、ワタルくん、いずみちゃんは、
とうとう買ってもらえなかった。

彼女はお金持ちだったのである。
遊びに行ったとき、2階にトイレが有り驚いた。
初めて洋式トイレなるものを見たのも彼女の家だった。
私は、イラスト入りで書かれた
洋式トイレの使い方という注意書きをまじまじと読んだ。

だいたい彼女の家は、いい匂いがした。
薬局という看板の元、資生堂などの化粧品も扱っていたからだろう。

お店を通って、ダンボールの積んである倉庫のようなところを抜け
2階にあがっていくのが好きだった。
通っている小学校は違うのに
駅の向こうにある家までよく遊びに行った。

本人も透明感のある美人さんであった。

子ども同士でも、この子は美人だと、小さいころからなんとなく感じるものだ。

幼稚園から小学校にかけ仲のよかった友だちの顔は
いまでも、あのころのままに思い出す。

魚屋のTちゃんは、気持ちのよい子だった。
リカちゃんハウスを持ってよく行き来したが、家はいつも魚くさかった。
母親が忙しいとかで、おばあちゃんと住んでいた頭脳明晰だったKちゃん、
双子のRちゃん。駅に近いマンションに住んでいた同じ名前のU木さん。

皆、齢五十の顔になったんだなぁ。どうしているのだろう。

自分で家族を持っていたときも
それぞれの職業柄、家でクリスマスを祝った思い出はあまりない。
そのうえ、息子どのは12月23日生まれときている。
何かとややこしいのである。

そんな彼に、今年誕生日、どうする?と聞いたら
「うーん・・・シャンパンでも飲みますか。特に欲しいものはないなぁ」
だと。

飲めないのに。

そしてまたコルクが空かず、
2人して瓶をのぞきこみ、難儀するのは眼に見えているのに。
シャンメリーにしとくかい。


2013年12月14日土曜日

ピアス5個

先ほどまでモアリズム忘年会の映像をみて
エキサイト。

テープ起こししていると、音楽が聞けない。

その前は、ごはん食べながら
昔やってた深夜食堂をもう一度観て号泣す。
竜ちゃん(松重さん!)が、高校球児時代にデートした
安田成美演じる、くみちゃんに会いに行く回。


そもそも今日の夕飯は
甘いたまごやきと、赤くないウインナーだ。

鈴木常吉さんの主題歌もしみいる。
そういえば、昔、小林薫さんのファンだったな。
綾田さん、お元気かな、などといろいろ思ったり。

昼間、ちょっと買い物にでたら
角のカフェでバザーをやっていた。
以前と同じく女性問題(セクハラやDV)を支援する団体が主宰のようだ。

主旨に賛同するところあり、積極的に店に入る。

以前と同じはきはきと明るい女性から
「クリスマス用につくってもらったのよ」とおすすめされた
ゴールド仕様のも含め
前回と同じくピアスを5つ買う。
1個200円。半分が寄附になるという。

てづくり感いっぱいだが
色合いも可愛くて
意外と毎日とっかえひっかえつけている。
なにしろこれで、このバザーで買ったピアスは10個になる。
たまたま今日は別のピアスをしていたので
申し訳なかったなぁ。

買い物ついでに
こういうバザーに会える暮らしは
好きである。

秋の雑居まつり、といい、最近このまちの居心地のよさが
少しずつわかってきた。

Yくん、植物でこしらえたというイヌやパンダの飾りものを観ている。
1000円のがあったので
「寄附されるというし、買えば」
となんとなく促したら
なんと3000円のを指さし「このウサギください」と言うので驚く。

聞けば、今度の台湾ライヴのおみやげにするのだと。

大丈夫か、かさばるのに。

ウサギの飾り物をぶら下げた息子どのは、なんだかかわいい。

2013年12月13日金曜日

自営の血筋

青すぎるほどの空。

風強く、冷たい。
コンタクトレンズが渇く。

本日は、いわゆる町工場への取材。
カメラマン兼。

家が同じ生業を営んでいるということもあるのだが
いつもとても興味深いというより
エキサイティングだ。

特に、ロケットだろうと
車の部品だろうと、電化製品だろうと
外からは見えないけれど
そのどこかに使われている
小さな部品を作り出す話が好きだ。

この世のものは、皆、誰かの手によるのだ。
心の込め方は違うかもしれないけどね。

コンマ何ミリにこだわる人たちの話がすきだ。

こだわって、こだわって
やりすぎてしまう人たちが好きだ。

親戚には、背広を着て会社に行くような
いわゆるサラリーマンが少ない。
物をつくってるとか、売ってるとか
そんな自営の人々が多いのだ。

これは、偶然であろうか。

そんなわけで、
朝、背広に着替えて父親が「いってきます」とでかけていくような生活が
まったく想像できないで、ここまできている。

◆ ◆ ◆

お昼に終わったので
よし!と渋谷ロフトに寄り道。
手帳とカレンダーを買うためだ。

今年は例年よりだいぶ遅くなってしまった。

・・・・と、お目当てのほぼ日ウィークリーが見当たらない。

店員さんに聞いたら、ウィークリーのみ完売だと!あぁぁぁぁぁ。

来週入ってくるというから、また足を運ぶとしますか。

遅いお昼ごはんは、沖縄料理店のカウンターで
やきそば、スープ付き。コーレーグスかけて。

◆ ◆ ◆

昨夜の房之助さんのニコ生、15000人くらい来場者があったようだ。
ネット放送おそるべし。
編集長は落ち着いて上手に話すなぁ。
見ていたらやってみたくなった。

そしてそれより何よりSTOMP懐かしい。
房之助さんがオーナーになる前
高校生のころ、行ってたのだ。
このへんの話は、また例のbsr連載に書いてます。




2013年12月12日木曜日

冬が来た

自転車に乗ろうと、表へ出ると、北からの風。
Yくんと、ラーメン屋さんに行くのであった。

枯れ葉や、まだ枯れ葉になりかけの葉が吹き上がって舞っている。

冬がきちゃったよ~!

と声に出す。

商店街から少し離れたところにある
カウンターだけのラーメン店は満員で
食券を買って、水を飲みながら、所在なく少し待った。

男子学生らしき人ばかりの中、
黙々と箸を動かす女性ひとり。
つけ麺のスープをおかわりしたか。
うーむ、あの人、ライターさんではあるまいなぁ。

ラーメンを食べながら、Yくんとはなぜだかいつも
外国にいる友だちの話になる。
いま、ロンドンやニューヨークではスシ以上にラーメンが人気らしい。
昨年家に泊まりに来たKは、最近ガールフレンドができたとのこと。

すっかり世界を自由にフィールドにしているYくん。
今月末、昨年に続きまた台湾でライヴがある。

小学校から筋金入りの不登校で
経験できないものもいっぱいあったとは思うが
地球のどこでもいい。自信を持って生きていってくれれば。

そもそも産まれたとき願ったのは
自分で考えて生きていく人間になってほしい、これだけだった。
これから長くつきあわなければいけない
生命を目の前にして
呆然としていて、あまり考えられなかったのもあるけど。

そして、どうも生活力が足りない親から伝えられるのは、
文化だけだと、思った。

じゃ、まぁまぁ、良い方向なんじゃないのかな。

ラーメンを食べ終わっての帰り道、
一軒家まるごと、びっかびかに電飾したお宅に遭遇。

屋根から道路までブルーとホワイトのLEDが
ツリーを模して垂れ下がり、
窓という窓にサンタだの雪だるまだのが飾られ
赤や緑に点滅している。

カメラを取り出したが
撮るのも恥ずかしいような
なにか憚られるような気持ちになる。


2013年12月11日水曜日

ムリなものはムリ

朝起きたら、ベランダが濡れていた。
雨がふったようだ。

夜遅くまで某紙入稿のため作業、作業。
合間に自分の原稿の仕事。
校了した~と思ったら、印刷屋さんから電話。
落ち着かない。

気分を変えようと数日ぶりに、ごはん炊く。
いい香り。
セロリのサラダも作った。
うん、いい香り。
マヨネーズ、ぎゅんぎゅん絞る。

うちの制作チーム、トラブル続きである。
トラブル・ノー・モア by muddy waters

なにがって、人間関係の。

いや、これはトラブルなのだろうか。

トラブルだと思うから、トラブルなのではないだろうか。

ムリだから、やめます。
作りたいものが作れないから、やめます。
お金に見合わないから、やめます。

どれも道理だ。しかし、それで済むのか。

◆ ◆ ◆

もと家にいた方は、
「やりたくないことは、やらなくてよい」
「無理なものは、ムリ」
と言って憚らない方であった。

そういえば、昔こんなこともあった。

Yくんが保育園時代、私は年中組にもかかわらず
父母会の会長なるものを頼まれた。
一般に会長は、年長さんの親がなる。
しかし、前の会長さんが、ブルース音楽関係の奥さんという事情もあり
白羽の矢?が立ってしまったのだ。

どこまで、ついて回るか、ブルース。

そして家に帰って
「今日、こんなこと頼まれちゃって困ってるんだ~」
と告げたら
「やりたくないものは、やらんでいいでしょ?」
とばっさり一言で終わったのであった。

基本的に情にもろい、優しい人ではあるのだが
関心の外の問題になると、とんと響かないところがあった。

「アーティストですから。ねぇ」

励ますように、友だちは笑った。
わたしも、しかたなく笑った。

もっとも、今となっては様々に起こった
「ムリなものはムリ!」事件は
弟Fくんや、息子Yくんとの間で、大いなる笑い話になっている。

わたしは危うきものには近づいてしまう性分なれど、
一般的にはこう言える。

アーティストという人たち、
深入りしなければ、
あるいは半径1m以内に近づかなければ
面白いことばかりである。





2013年12月10日火曜日

限られた世界

昼から六本木。

アマンドでお茶するマダム(らしき人)を
横目に芋洗坂を下り
色校を受け取る。

陽はさしていない。

こないだ、雪の多い地方では
正月に凧あげなんて、できないと聞いて驚いた。
新年に、凧あげ、羽根つき
全国共通の風物詩だと思っていたが
あれは限られた子どもたちの世界だったんだ。

その代わり、雪がやんでちょっとでもチャンスがあれば
子どもたちは一斉に表に出て凧をあげたという。

数え切れない凧や何とかカイトが
雪の白さを照り返すかのような青い空に
所狭しと泳ぐ様を想う。

わたしは、限られた世界を生きている。

本日大荷物。
サブバッグにノートパソコン。
デスクをお借りしている会社のPCは調子が悪いため。
iMacもあるのだが、OSが古く
ブラウザの更新等が追いつかないため
もはやネットもまともに見られない状況にある。

1日、デスク仕事。

仕事内容というより
デザイナーさんたちにいかに気持ちよく仕事していただくかに
神経を使う。

幾人か、かりかりし、
時にパニくっている。

私は泣きたいというより、暴れたい。
自分に対するふがいなさもあるけれど。
せめて顔だけでも笑えないものなのか。

ごはんは、昼も夜も会社で食べた。

夜はモスバーガーをごちそうしていただく。
持ち帰り係はわたし。
モスの店員さんは、電話でも店頭でも比較的気持ちのよい人が多い気がする。

Nさん 鯖味噌ライスバーガーと、かきあげライスバーガー
I さん きんぴらライスバーガー、チリドッグ
わたし モスバーガー、スパイシーチリドッグ

鯖味噌は、チャレンジできないでいるのよね~、なんとなく。

車で送っていただいたが
なぜか松濤のお屋敷街から、駒場の住宅街に迷い込んでしまった。
23時過ぎに帰宅。

誰かに困った人間関係をぶちまけたいような気持ちもあったけれど
夜も深く、それより、もっとやり場のない心持ちを耳にし
自分の愚痴は胸にしまう。

言葉は悪いが
今日の仕事の愚痴など
自分が頑張って、なんとかやり過ごせば済む
ほんの限られた世界のことなのだろう。

世の中にはどうしようもないことがある。

どうしようもないこと、これがブルースだと思ったり。


2013年12月8日日曜日

ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング

先輩のご厚意により
東急シアターオーブで
ミュージカル「Mama I Want To sing」を観てきた。

この劇場、ヒカリエの上にあって
ロビーからの夜景などもきれいだし
待ち合わせのカフェなんかもあったりして
なかなか居心地はよい。

ミュージカルは、ドリス・トロイの姪が主人公になっていた。
どんな具合なのかと心配していたが
やはり、場数を踏んでいる人たちである。
最後はきっちり盛り上げてもっていく。

クワイアは
ドリス・トロイの妹であり、原作者のヴァイ・ヒギンセン(ナレーターも務める)が
ハーレムのゴスペル離れを防ぐために
立ち上げた「GOSPEL FOR TEENS」からの選抜。

単なるヒットにあやかるのではなく
あえてNEXT GENERATION と銘打って
次の世代に伝えていこうという姿勢は、やはり素晴らしい。

バンドさん(ドラム、ベース、ピアノ、オルガン)も
生、ならではのグルーヴ感だった。ドラムスはシンドラだったし
1945年ごろ、あのビートはなかったんだろうけど。

グラディス・ナイトやパティ・ラヴェルの名前が出て拍手してしまう。
浮いていた。
あぁ1945年なら、どんな音楽が流行っていただろう。
そのあたり、もっと説明があればなぁ。

そういう意味では、ドリス・トロイが
「ジャスト・ワン・ルック」を全米でヒットさせたことがどんなに大変なことだったか
アポロでどんな人と共演したのか
そのあたりも含め、お芝居の部分を
丁寧に描いてほしい。

娘グループでの巡業。
60年代初めであればまだ人種差別も強く
苦労があっただろう。そんなことも考えた。

私が一人勝手にコーフンしたのは
年ごろになった主人公がラジオに耳を傾けるシーン。

ダイナ・ワシントン、レナ・ホーン、サラ・ヴォーン、ビリー・ホリディに
扮した女性シンガーが次々出てきて歌うのだ。

あまり似ていないし、歌も今一つだったが
それでもこの4人が揃うというだけで
私のアタマの中は、涙もんだった。

そういえば、最初にコンテストに優勝したとかいう
日本の女性クワイアが出て
2曲歌ったのだが、うーむ、やはりかなり厳しい。

コール&レスポンスがないから、と評する向きもあったが
私には、歌の向かう場所が開かれていない、と感じた。
もちろん皆に聞かせようとして歌っているんだろうけど
歌が表へ出てこない。
何かとても狭い世界で歌がぐるぐる回っている印象なのだ。

だけどお友だちなのだろう。
前の席のご婦人方は手をふり、彼女たちのときだけ
大盛り上がりであった。

終わってロビーに出ると
もう皆さんサイン会をしていた。すごっ。

デザイナーのSさん、仕事があるからと
先に帰る。皆、あわただしい。
N夫妻、マイブラザーFくん、私で、うどんを食べる。
私と、S子さん、きつねうどんとかやくごはんのセット。
Nさん、にしん蕎麦ならぬ、にしんうどん。
Fくん、お刺身、天ぷらもついたセット。

あいかわらず、よくしゃべるFくん。
白米も3杯おかわりする。
よく笑った。

タワレコに寄ろうかとも思ったが
まっすぐ帰る。

仕事也。ずっとこんな風に休みならいいのに。


2013年12月7日土曜日

しなしなの土曜日

一週間に一度は、しなしなになって、一日中ねむねむ、の日がある。

本日はまさにそう。

朝起きてせんたくものを干す。

西向きなので今の時期は、午後にならないと日がささない。

テレビで事件に遭った家を伝えるとき
よくベランダに干しっぱなしの洗濯物を映して
主のいなくなった様や、日ごろの暮らしぶりを匂わせることがある。

干すとき、私にもし何かあったら、と考え、
なるたけきちんと干す。

だけど、大風吹いた日以来、枯れ葉だらけなんだよなぁ。
今度、ベランダ掃除しなければ。
部屋の掃除も怠っているに、ベランダだけとは、これいかに。

Yくん、友だちのTくん家に行く。
Tくん、若いのに
私と大瀧さんのナイアガラ(特にレッツ・オンド・アゲイン)
や、つげ義春話ができる、なかなかユニークな人。

小学校一年から不登校だった彼への一番の心配ごとは
友だちができるかどうか、だった。

しかし今となっては杞憂に終わった。
世界のあちこちに友だちがいるのである。

最近はむしろ「結婚するならオノヨーコのようなぶち切れた人と」
と言う発言の方が気になる。
つまり、専業主婦がイイワ~と寄りかかる人ではなく
共に闘い刺激をあたえあう人をパートナーに、ということらしいが。

いったいどこでこうなった。

紅茶をいれ、パンを食べて
だらだらネットを見る。

原稿整理。
ライナー書き。
プリンタインクなど注文。
考えごと。

タイマーかけて、30分昼寝。

ミーターズの抜きんでたビートの繰り出し方を
言葉にすると何と表現すればよいのか
しばし考える。

誰もいないので夕飯は
冷蔵庫にあったカレーうどんに長ネギ刻んで。
納豆、リンゴも。



2013年12月6日金曜日

りんごの音

昨日は、少しばかり気持ちに余裕をもって
アトランティック・レコード第5弾のライナーを書いたりしていたが
今日は、入稿作業と、次号の出稿が重なり
ばったばた。

そのうえ、出版社から年内に仕上げるべき本の進捗を問うメールあり。
27日が〆切なのだ。
いろいろ言い訳していたが、いよいよ本腰をいれねば。

デザイナー(男性)が弱音を吐くものだから
ちょっとぶちぶち言ってしまった。

いや、こんなときは
もっとハッキリ、なんとかしてほしい旨、伝えるべきなのだろうな。

午前中、電車で1時間移動。
2時間打合せ。
また1時間移動。

途中下車し昼ごはんに2人分のチキンカツ弁当。
今日は落ち着いて夕飯が食べられない予感のため
Lマーメイドで夜食、朝食用のパンを買う。
お買い物シールがたまったので、シートももらう。

小春日和で陽ざしがよい具合。
電車内ではうとうと。

本当はいろいろ構想を練りたいこともあるし
読みたい本もあるのだけれど。

そうそう。

先日、デメ研の忘年パーティに行ったらK川さんより相談あり。

音楽(ブルース)に関して、ちょっとおもしろい動きができそうだ。

デメ研には、いつもとんでもなくアグレッシヴな人が集まる。

うちのYくんは、翌日さっそく都内で開かれた
京大関係のプロジェクト・イベントに参加した。
若者は身軽だ。

パーティでは帰りに青森のリンゴを2個いただいた。
いま食卓に並んでいるが、私、実は
リンゴの皮むきが苦手だ。

ナイフがあたる、しゃりしゃりすりすり、という音が苦手なのだ。

そんなわけで、しゃきしゃき と歯が当たる音も苦手。
途端に鳥肌がたつ始末。

リンゴは大好きなんですよ。
アップルパイも。
フルーツサンデーも。

お歳暮にサラダ油セットいただく。

2013年12月4日水曜日

思い込み

隣の県まで1時間かけて行く日。

昼ごはんにオリジンで買ったハンバーグ弁当と、
ワカメとタコの酢の物を食べて出発。

地下鉄は始発からなので必ず座れる。

目の前に腰をおろそうとした
私よりは年上であろうムートンブーツの女性。
シートの上に置きっ放しになっていた
空いたコーラのペットボトルを
あろうことか隣に座っていた若い男性の足もとへ転がす。
驚いた顔でにらみつける男性。

ムートンの女性は、若い奴はなってないとばかりに
彼が置きっぱなしにしていたとでも
思ったのだろうか。
にらまれているのもお構い無しに
どっかと腰をおろし、
腕組みして目を伏せ
落ち着かぬ様子で足を小刻みに動かす。

耳たぶから長く垂らしたピアスに
深いグリーンのニットのチュニック?。
決して何もかも構わない人ではなさそうだ。

でも感じ悪いよなぁと思って見ていると
目をあけ、ふと宙を追う。

あれ、ちょっと泣いているのかな。
涙目なのかな、この人。

ただの感じ悪い人ではなく
なにかイヤなことでもあったのか。

そうか、そうだな。
人は見かけだけじゃわからない。
いろんな事情をかかえているものだからな。

そのうち、おばちゃんの隣に女子高生。
漢文の参考書を食い入るように見ているのは感心だが
まぁ、チェックのスカートが短い。
にょろりと伸びた足。
私でさえ目のやり場に困る。

最近は、膝をそろえて座るように
誰も教えないのだろうか。

無関係のおっさん、おばさんになら
太ももやパンツなど、見えてもモンダイないのだろうか。

とにかくお嬢さん方の色気のなさといったらこの上ない。

電車で化粧直すんだって
でっかい鏡じゃなく
ちょっと手鏡ではじらいながら
口紅をひき直すくらいが色っぽいと思うのだが。

私は私の隣のおっちゃんが
やらしい目で見ているのではないかと
ちらちら気にする。
おっちゃん、気づいているはずだ。
そわそわとカバンをいじっている。

でもそれもまた、見かけじゃわからない。
私の思い込みなのかもしれないな。

そうして、だれも私のことなんか見てないし
見ていたとしても
私のこころ持ちなんてわからないものなのだ。

2013年12月3日火曜日

壊れた橋

ここ数年、11月から12月にかけては
新年号をトリプルで受け持ったりして
怒濤の忙しさになる。

取材して書いては出し、
チェックして、また出しのトコロテン方式で、
片づけてゆく。

若いころは、たくさんのことを並行して進めることに
喜びを覚えた。

綱の上をほい、ほいとバランスをとりながら
わたっていくような調子がすきなのだ。

そもそも。

「石橋を叩いてねぇ、壊れていると知っていても
向こうに欲しいもんがあると渡っちゃう性分なんで、あはは」
と笑っていたものだ。

最近は、齢を重ねたせいか、
それもどうなんだろう、と思うようこともある。

なにしろ、壊れた橋は、自分で直せない。

だが、川の向こうに欲しいものがあると知っているのに
渡らずにいることができるものか。

友だちから、相談事のような電話があって
ふとそんな心持ちを思い出した。

とは言え、友だちに
壊れていてもわたっちゃえよ、と言うのはあまりに無責任な気もする。


ちなみに「壊れる」は、ブルースのキーワードの一つではないだろうか。
逆に私は「アンパイ」というやつが、あまり好きではない。


2013年11月21日木曜日

洋館と25歳

ほとんど、書く書く詐欺のようなブログになっていますが
思い立ったら書いていこう。

昨日は、大田黒公園で、撮影とインタビューだった。

荻窪駅から商店街を通り抜けて歩く。

駅前から数分で驚くほど閑静な住宅街。

小春日和。ショールの首元が汗ばむ。

道も広い。
その道が私の前だけに続いているようだ。
たまに買い物に行くような女性、
宅配便を配る男性とすれちがうくらい。

油断して、手に提げたビニル袋から
がさがさと、おいなりさんを取り出し、
一口でほおばる。
昼を食べていないので
さっき商店街で3個入りのおいなりさんを買ったのだ。

がさがさ、という音がまちの空気に似合わない。

大田黒公園は
予想より立派な日本庭園だった。
門をくぐるとまっすぐにイチョウ並木が続き
その向こうに真っ赤なモミジがのぞいている。

明治生まれの音楽評論家、大田黒元雄氏の自邸を
日本庭園として開放しているそうである。

洋館は好きだ。
暖炉があったりして、照明にも心配りがあって
窓枠とか窓硝子がいい。

さらにこの部屋には、100年以上前のスタインウェイのピアノがある。
一見ステレオに見える足つきの蓄音機もある。

見えない音が聞こえる洋館だ。

場の気もあったか、撮影は順調に進んだ。

今日のインタビューは息子と同い年のヴァイオリニスト。

非常に聡明な方。そしてアグレッシブ。

息子の友人であるという企業のPVもてがける映像作家も25歳だったか。

彼らに共通するのは、有名とか無名とか関係なく
地球規模で生きているということだ。

25歳がこれからの社会をつくっていく。

帰りは、車で近くの地下鉄の駅まで送っていただく。
いつもなら寄り道したくなるところ
がまんして真っ直ぐ帰り仕事。

切れたタコのように出かけたらふらふらするクセがあるので
まっすぐ帰ったときは自分を褒めてやる。

あぁ、この時期は、毎年とにかく仕事なのである。




2013年10月17日木曜日

息子の選ぶ絵本ベスト3

今日はやたらにお誘いの多い日。

もう新年号の取材とか始めなきゃいけないのですが
あら、ここあいてます。
オッケー、オッケーと
GOOGLE カレンダーを埋めてしまう。

大丈夫か?と思わなくもないが
いや、流れにのっかることがよい場合もあるのだよ。


やなせたかし氏の訃報を受け
息子と、絵本談義。

絵本との出会いは、子どもを持ったことでの収穫の一つだ。

息子が好きだった本として選んだのが

五味太郎 『がいこつさん』

レイモンド・ブリックス 『さむがりやのサンタ』

ハーウィン・オラム きたむらさとし『ぼくはおこった』


そうだそうだ思い出した。
ガイコツさん、何をしたかったのか忘れて探しに行くのだ。
息子いわく、五味太郎は、ゴミタロウという響きもおもしろかった。
そしてあの繊細な青の色使いが印象に残ったという。

オラムを選んだのは意外だった。
地球規模で怒りをぶちかましまくり
最後にベッドと自分とペットしか残らない。
それを彼はしかと受け止めていた。

だいたい壊したり、怒ったりするところで
子どもはこれでもかとゲラゲラ笑う。
私も調子にのって身体全体で読む。

だからこそ最後の虚無感もまた、身体にしんと響く。

「おもしろうてやがて悲しきみたいなね」という息子に
おぉ、してやったりと私。

人生はせつない。
そんなペーソスを感じる絵本を選んでは読んでいた。

生きていくのに楽しいことも、つらいことも、虚しいこともある。

ブリックスの本にしたって、夢も希望もありゃしないと言えばそれまでだが
実は夢も希望も幻だということが伝わればよいのだと思っていた。
それでも生きていくんだ。

私は、林明子さんの絵本も大好きで
ほとんど買いそろえ
読んでやりながら泣いていたが
(読み聞かせ、という言葉が今ひとつ好きになれない)
男の子がベスト3を選ぶとしたらこうなるのだろうな。

絵本なぞ、興味のはじから読み散らかせばよいのではないだろうか。

絵本とは、世の道徳を教える本ではない。
娯楽なのだから。


人生において、最も人を慰めるものは何か。苦しみ、悲しみ、せつなさ。さすれば、バカを怖れたもうな。苦しみ、悲しみ、切なさによって、いささか、みたされる時はあるだろう。それにすら、みたされぬ魂があるというのか。ああ、孤独。それをいいたもうなかれ。孤独は、人のふるさとだ。
(坂口安吾『恋愛論』)


ただしこの後に「恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。」と続きます。




2013年10月16日水曜日

横たわる場所

仕事場の冷たい床にさぶとん一枚枕にして横になると
驚くほど、深い眠りに堕ちることがある。

この日も季節はずれの暑さを疎ましく思いながらも
サッシ戸一つ向こうの晴れやかな日ざしを感じつつ
横になった。

どのくらい経ったか。

夢は見ていたと思う。

目をあけると、
目の前に乱雑に並んだ大小の本が並ぶ本棚がある。
どこなのかもよくわからなかった。
窓の外は薄明るい。
まだ暮れてはいないようだ。

あぁ、なんだ私の部屋じゃないか。

気がついて、身体を起こす。
五十肩だか腱板損傷だかで左肩を痛めているので
そちらをつかないように。

寝たというより、気を失っていたに近い。

最近、夜中でもあぁよく寝たと思い、時計を見ると
1時間ほどしか経っておらずがっかりすることがある。

床で寝るのは苦にならない。
裸足も好きだ。
スリッパをはかない、と言って友人に笑われるが
家にはスリッパなどという文化はなかった。
母や妹は「おねえさん、スリッパ!」
と他の家にお邪魔したとき私をたしなめるが
生まれてこのかた、足もとに意識がいってなかったのだから
なかなか治らない。

一度アスファルトに転がってみたいなと思う。
工事の人が昼休みに、日向をさけて
ごろりと身体を横たえているのが
なんともいえぬ休息に見える。
働いている人はいたしかたなくだろうから
薄っぺらなあこがれは申し訳ないが

あすこに横たわったとき、一体何が見えるのだろう。

弟も工場の昼休みに、アスファルトではないが
そこいらで昼寝をしている。

しばしの休息である。

ビッグ・ジョー・ウィリアムズは、旅の途中、宿もなく
ギターケースだかを枕に、道に横たわったという。
大事なギターやいくばくかの荷物は
盗られては一大事。身から少しでも離すわけにはいかない。
気の休まるどころではなかったかもしれないが
しばしの休息をとったのだ。

石に枕し流れに漱ぐ。

いまだ私の身体ではとらえきれない感覚。


2013年10月11日金曜日

ラーメンにはじまり、トーストサンドに終わる

10月というのに真夏日。

昼、息子と、自転車を飛ばし
となりまちまでラーメン食べに。
いまどきラーメン250円。
100歳になったとかいうご主人が運んできてくださった。

こういう店がグルメサイトで星付きで紹介されてるのは
なんだかなぁ。たたずまいも丸ごと、静かに日常を楽しむのだ。

息子とスウェーデン語、ドイツ語、ロシア語などなどの
話をする。
彼がヒトラーのドイツ語は、だれそれの中国語はという話を始めたものだから
内容はともかく、戦争に行ったかも知れないご主人が
何か気を悪くしないかしら、とヘンに気を回したりする。

帰りにあまりに暑く、自販機で不二家のネクター。

午後から本気で仕事。

夕方、入稿のため六本木に。
連休前、さらに暑いということもあって
地下鉄の駅から
ノースリーブのお姉さんが、大勢のぼってきて
夜の六本木に繰り出していく。

帰りは帰りで、連休前のためだろうか。
電車は混んでいた。
各停が来ていたので走ったら、
買ったばかりのユリイカ『武田百合子』特集を落とし、あわや乗り損ねるところだった。
そのうえ、痛めたほうの左腕で急いで本を拾ったものだから
また腱をやってしまった気がする。
これまた連休前だからなのか、ケーキをぶら下げたご婦人が2名。
混んだ車内で、ケーキを守るのに難儀している。
私は、サザン・ソウルのコンピを聞きながら一心に武田百合子。


昼間、ラーメンとギョウザを食べ過ぎたので
夜はトーストサンド、いりたまご、ソーセージのイングリッシュ・ブレックファースト風。
トーストサンドは、ハム、葉っぱ、チーズ、コールスロー。
私だけ、2枚のうち1枚は、ソントンのリンゴ・ジャムをぬった。
最近サンドウィッチをつくると、間違いなくおいしい。


丸の内 婦人会

東京駅と有楽町をつなぐガード下にある海鮮居酒屋にて
ブルース婦人部幹部会。

ブルース婦人部、というのは当初、勝手に名乗っていたのですが
いつのまにか結構な勢力になっている(笑)

偶然にブルースやソウルが好きで
演芸が好きという同じ世代の女性3人が集まって。
やってることは、飲み会と、音楽関係の皆様の応援、
そしておもしろいこと。
来年10周年ですって。

10年のの間、ミュージシャンの奥方
ライターの奥方などなどを誘ったのですが
都度、えへへと作り笑いをされるのみ。
いつのまにか婦人部といいつつ、性別不詳なメンツばかりが増えています。

昔、高校のころ
ブルース喫茶に行くと
「女の子にブルースはわからないよ」
「カレ氏ができたら来なくなっちゃうよ」
とよく言われたものだ。

わかったのかわからないが、それすらわからないが
とにかくあれから30年。
いまだに私はブルースを聞いてる。
カレ氏がいようといまいと、ブルースを聞いている。

その後、コットンクラブでアナ・ポポヴィッチ。
セルビア出身のブルース・ギター・ウーマン。
膝上20センチのミニスカに、半分肩だしの真っ赤なドレス。
もっとSRV的な面を押してくるかと思えば
最新アルバムのようなファンキー路線。
バンド(オルガン、ドラムス、ベース)がメンフィスゆかりの面々だったこともあってか
サウンドもぶっとくて楽しめた。

ライヴは行かないとわかりませんなぁ。

帰りは二重橋駅まで丸の内のオフィス街を歩く。
街路樹がライトアップされてまるでクリスマスではないか。
取材ではたびたび来たけど
丸の内の会社生活っていったいどんな。
今までの人生で一番縁のなかった東京風景かもしれない。


2013年10月10日木曜日

がびがびの朝ごはんに始まる

ここしばらくSNSに場を移していましたが
音楽だけでなく
日々のつれづれ、昔のあれこれも書き留めておこうと
また真面目にブログを書くことに決めた。

そろそろ子育て時代のことも書いてみようと思う。

子どもが産まれたとき、
私は育児雑誌の仕事はしないと決めた。

母という肩書きに少し抗っていたのかもしれない。
母でなく、自分の領分で進みたかったのだと思う。

いまは抗わなくても母ちゃんだと言える。
そして息子はだんだん母ちゃんを必要としなくなっている。

むしろ私の方が、その先にあるものを想像しておろおろしている。

息子は確かに頼れる存在に成長した。
しかし生活面ではまだまだである。
生活指導が行き届かず
未来の嫁さんに申し訳ない気持ちになることもしょっちゅうだ。

けさは、台所に行ったら
電気釜のフタがあけっぱなしで
ごはんが、がびがびになっていた。

ヤツが閉め忘れたのである。

せっかく、昨日つくっておいた
野菜炒めとササミチーズ、それに
カラスさんにいただいた
ほたるいかの甘辛煮で
朝ごはんにするのだとはりきっていたのに。

でも、あきらめきれず
ドンブリにもって、やわらかいところをほじくり出して食べた。

台風から変わった熱帯低気圧の影響で
風は強かったが、雨の心配はなさそうだったので
センタクモノ干す。

忘れてた原稿書き、校正。
事務仕事も若干。

昨日一件、入稿したので
今日明日はやや気が楽だ。

ただ、散財した校正紙や原稿をなんとかしないと。
ペーパーレス社会なんてうそである。



2013年4月12日金曜日

ヨシモト社長の本

吉本興業の社長 大崎洋氏の一代記、
「笑う奴ほどよく眠る 吉本興業社長・大崎洋物語」
が発売になる。

表紙の人形と写真は、友人の人形作家、石塚公昭氏の作品だ。

最初に、吉本の社長の自伝だと聞いたとき
「あぁ、林正之助さんか」
と思ったら、現社長であった。

そもそも石塚さんは
とっくに鬼籍に入っている人を
現代に蘇らせるのが上手い作家なので
今もなお、一線で生きている人だとは
思ってもみなかった。

しかし、写真は
「まことを写すという意味の写真という言葉が大嫌いだ、まことなど画面に入れてなるものか」
とも書いているのが石塚さんなのだ。
(それでいて「写真はまことである、という錯覚を利用することばかり考えている」らしいが)

この、今、一線で活躍する大崎社長と大阪は
表紙から、どんな匂いを醸し出しているのだろう。
早く実物が見てみたい。

しかし、この本の表紙に彼の人形を、と発案した人も
面白いなぁ。

 

2013年4月11日木曜日

「ベルク」がある新宿

新宿に行ったついでに
ぶらぶらした。

久しぶりのぶらぶらだ。

何回かメールを見たが
いいのか悪いのか
重要なメールは何も来ていなかった。

途中、「ベルク」でジャーマン・ブランチを頼んだ。

カウンターで待っていると
間違えてホットドッグが出てくる。

それでもいいですよ、と言おうとしたら
厨房の2人が、さささっと作り直してくれた。

何ごともなかったように。

レジのおねえさんが、2人に「すみません、間違えました」と
明るく声をかける。

なんだか、その空気がよかった。

他の店なら、申し訳ありません、と客に向かって
時に必要以上に謝るのが常だろう。

でもそれをせず、客の心を波立たせる前に
おさめたのだ。

店内は相変わらず混み合っており
ようやく、きちきちと並ぶテーブルの一番はしっこを確保した。

向いに座る椅子もない、お一人様席に
壁にひっつくようにして座る。

店に入ったときはレゲエが流れていたが
今は、Lovin Youが聞こえている。

ジャーマン・ブランチは
黒と白のパンが一切れずつと、2種類のパテに、ザワークラウトとハム。
それだけなのだが、何しろパテがうまい。

ネットで☆なんかつけるなよ~
これに☆付けるのは無粋だよ~ と
思いながら、隣の人に肘がぶつからないように食べる。

隣の背広のおじさんは2杯目のビールだ。
正確には「エーデルピルス」だ。
長くエーデルワイスだと思っていた。
だいたいビールの名前だと思わなかった。

これがまたやけに美味しそうなのだ。

ぎゅうぎゅうだし、張り紙はいっぱいあるし
雑然としているのになんだか、ありがたい。

皆、それぞれ自分の身体の大きさに見合うスペースで
それぞれのことをしている。

2人のテーブルも、声高に話している人はいない。

ブレンドを飲みながら、写真を撮らずに紹介する、ということを思う。

食べもんの写真はアクセスが増えるという。
私も食べもんの写真は嫌いではない。

でも、川本三郎さんの本でも、なぎらさんの本でも
武田百合子さんの本でも、写真はないか、ほとんどないのに
目の前に景色も匂いも音も浮かび上がってくる。

店の名前も、住所も、電話番号もあえて載せる必要なんてない。

ただ、この世にあるということは、これでもかと伝わってくる。

そういう文章を書きたい。

次に、新宿という街のことを思う。

学生のころ、「新宿と渋谷、どっちが好き?」と聞かれて
少し迷ったが「渋谷」と答えたら
友だちが「そうなんだ」と少し笑った。

新宿、と答えた方が大人っぽいムードなのはわかっていた。
だが「東急ハンズ」のある渋谷が好きだったのだ。

今は、迷わず、新宿である。

ジュンク堂がなくなったとき、あぁ、もう終わりだと見放しかけたが
まだ「ベルク」があるではないか。
(そう、ディスクユニオンもあります)

ベルクがあるから新宿が好き。

新宿には、まだいくらか迷い込める隅っこが残っている。



http://www.berg.jp/ (公式)

http://ameblo.jp/love-berg



2013年4月9日火曜日

生活無能力者

移動中に佐野洋子 さん を読み続けている。

だいたい2つのトピックくらいしか読めない。
あふれ出す言葉のエナジーが強くて、いつも表紙を閉じてしまう。
そして悲しい話でもないのに、泣きそうになる。

以前は、佐野さんと友だちになれたらどんなに良いだろうと妄想していたが、
とてもムリだと思うようになった。

そばにいたら、かなわないし
私は、せこいし、センチメンタリズムから抜け出せないところもあるので
罵倒されるのではないだろうか。

佐野さんは、よく隣に住みたいかどうかで
人を判断する。

佐野さんと友だちはムリでも
隣に住んでいるのなら
距離感はちょうどいいかなと思ったりもする。

その佐野さんが、
「お友達になりたかったが、いっぺんにはじき飛ばされそうな気がした」
と羨望の前に降参したのが、森茉莉である。

森茉莉は“生活無能力者”だったというのを知ったときは驚いた。

こういうインテリな一人暮らしのばあさんは
クロワッサン的な暮らしをしているものだとばかり思っていた。

それで85年も生きたのだ。
2度も結婚して子どもも生んだのだ。

ポンコツを自負する私としては
他人事とは思えない。
だが、北向きの部屋を好んだ森茉莉に比べれば
陽の当たるところにせっせと洗濯物をぶら下げ直している私は
まだまだ、だと思わずにおれない。

昔、下北沢のタウン誌を作っているとき
友人が森茉莉さんを取り上げるため
彼女が一日中過ごしたという「邪宗門」に取材に行ったことがある。
(邪宗門は今もある)

そのときは、モリマリ が好きだということに
酔っているような気がして
と冷めた目で見ていた。

あのとき、もっと森茉莉さんに夢中になっていればよかった。

調べていたら、森茉莉のツイッターbotを見つけた。

https://twitter.com/Caprice_de_Mari

怖い、怖い。
森茉莉が押し寄せてくる。