2015年2月20日金曜日

ダイヤモンドリングより価値のあるもの

大勢の方が
シーナへの哀悼を読んでくださっていることに驚く。


音楽の話題はほとんどSNSになってしまったため
ほとんど日常のあれこれを
自分の修練の意味もあって書いている場所なのだから。


でも鮎川さんにあのようにお声がけいただいたこともある。
言葉を生業とする者として
改めてしっかり書いていこうと思う。


昨日なんとなくYahooニュースを眺めていたら
シーナのお通夜の様子を知らせる写真に
私が写っていて驚いた。
鮎川さんと握手している写真。
まさにあのブログの話をしているところだ。

鮎川さんの目がやさしい。

とにかくしっかりやっていこう。

◆ダイヤモンドよりブルースというタイトル

ご存じない方のために
「ダイヤモンドリングよりブルース」は
ブルース&ソウル・レコーズ誌に掲載されている
私の連載のタイトルである。

日本のブルースの歩みを書きたいが
インタビューを掲載していたら何年あっても時間が足りない
と申し出た私に太っ腹な編集長は、

せのおさん自身のことを書けば歴史になるんじゃないですか

と言ったのだ。

それ以来、お言葉に甘え、小学校から今までのことを
時折、インタビューや取材記事も交えながらずっと書いている。

私がブルースという音楽に出会ったのは、中学校1年生の時だ。

それ以来、実に40年近くブルースはそばにいた。

というより、ブルースやロック、フォークという音楽の傍にいたくて
進む方向を選んできた。
進学も恋愛もはたまた離婚も。

タイトルを決めるとき、それを映すものにしようと考えた。

ブルースでは、オマエにダイヤモンドリングも車も買ってやったのに
なんてつれないヤツなんだという
そんな言い回しがよく使われる。

そうか。

結局、私はダイヤモンドリングという幸福より
ブルースを選んできたのか。

いや、もちろんいただけるものなら頂きます。
宝石、マンション、クルマ、現金。なんだって。

でも、音楽。特にライブという現場の近くにはいたい。

シーナは温かい家族に恵まれたけど
やっぱりどこか似たようなところがあったのではないだろうか。

金子マリさんが、2人目の子どもが産まれたとき
もう歌うのを辞めなさいと言われたこともあったのよと
『ジロキチ・オン・マイ・マインド』のインタビューで語っていらしたが
それも少し似ている。

確固たるものを持っていたとしても
女性の人生は、男性や家庭に左右されるところが大きい。

その中でどう音楽に関わっていくのか。

好きなことをやればいいじゃない、では済まされない。

これは男性主導の音楽の世界では
なかなかわかってもらえない思いかもしれない。




2015年2月19日木曜日

さようなら、シーナ②

会場に入る手前にはテントがあり、写真と焼香台があった。

現実が近づいてきているようで、少し緊張した。

「こちらはお時間の無い方のためのお焼香の場所です。
中でお焼香できますので、そのままお進みください」

係の男性が声をあげる。

暗闇からやってきたせいもあるのだろう。
式場の煌々と照らすライトがまぶしい。

大勢の人が行き交っている。

ここはステージなのだ。

粛々と続いていた列は、式場が近づくにつれ
少しずつばらけていった。

事前に供花した人たちの名前が受け付けのあるフロアにまで
あふれている。

今回は、2005年ハリケーン・カトリーナ支援ライブにゲストで
来てくださったお礼もこめ、ブルース婦人部 homesick recordとして
お花を贈らせていただいている。

だが素早く目を走らせても、どこにあるのか見つからない。

そのうち列は、シーナの歌声が流れる式場に吸い込まれていった。




部屋は前室と、祭壇のある部屋に分かれている。

人の頭の向こうにシナロケの青い旗?が見える。

女性の絶叫に近い声が聞こえる。

いやだなぁと思った。絶叫がいやなのではなく、
そこに行きたくないと思った。

スマホを取り出して写真に収める人、
手を合わせた後、折りたたみ椅子に座り込む人などもいて
祭壇のある部屋はごった返していた。

何列になっているのかわからないが
そのまま進んだ。

供花の札に思いがけず、もう閉店したブルース喫茶の名前を見つける。
会社名でなく、個人名で送られている方もいる。
それぞれがシーナと過ごした時間を思い
形だけではない、哀悼の意を示している。

赤い花で彩られた祭壇の前はますますごった返していた。
後ろにいた男性が泣き始めた。

手を伸ばして、なんとかお焼香を済ませる。

シーナがいつもふっていたタンバリンを指し
触ってもいいですか、とお嬢さんに尋ねる女性もいた。




棺の窓があいている。

少し高いところに置かれていたので
私は少し背伸びをして、のぞきこみ、私は少し身体を堅くした。

目に映ったシーナは透きとおるように美しかった。

赤い口紅。黒い髪。白い肌。

もう一度目に焼き付けたくて、もう一度、背伸びをした。

白い布団にウェーブのかかった黒い髪が
まさに波のように広がっていた。

堅く閉じた目には、つけまつげもしていたようだ。

なぜ目を開かないのだろうと思えた。

シーナ。

呼びかけても笑い返してくれないだけで
いつもよりもっと美しかった。

相当苦しい思いをされていただろうに
いくら覚悟を決めても、未練もあるだろうに
安らかな顔を見ることができたのは、よかった。


お疲れであろう鮎川さんが、立って一人ひとりに挨拶をされている。

いやだなぁと思った。
なんて声をかけたらいいのかわからなかったのだ。

順番が来たので挨拶をすると
手を握って
「せのおさん、掃除機のブログを今日読みました。ありがとう。
マリちゃんとせのおさんのが、心に残りました」
と思いがけない言葉をいただいた。

その瞬間、知らずと涙があふれた。

こんな時に、なんて、あったかい人なんだ。

私の手が冷たすぎるのか
鮎川さんの手が温かいのか。

葬儀が終わると寂しさもひとしおだろう。
ぜひお身体を大事にしていただきたい。

涙のまま表にでると、その金子マリさんがいらしたので
場違いな気もしたが、ジロキチの本のお礼をし
寂しくなります、とご挨拶した。

マリさんは「本当にねえ」と言うと
すぐに「お焼香はお済みですか」と
弔問客に声をかけていた。

金子総本店の人として
そこにいるのだから
ごくごく、あたりまえなのだ。

でも、あのブログを読んでいたから
その飄々とした仕事ぶりに
逆にぐっとくるものがあった。



一夜明けて、今日は青い空。

あの黒い豊かな髪と真っ赤な口紅が似合うシーナの
肉体は、悲しいけれど灰になって空に上っていったのだろう。

でも、私は忘れない。

みんなも忘れない。

何千人もの心の中で、シーナは呼吸している。

生きるとは、
他の誰かの中で息をすることなのかもしれない。

たくさんの人に送られたシーナと
鮎川さんの誰一人ないがしろにしない心に触れ、そう思った。









さようなら、シーナ①

夕方5時が近づいていた。
シーナのお通夜が始まる時間だ。

仕事の手をとめ、窓の外を見る。
雨は降っているが、どうやら雪にはならないらしい。

何を着ていこうか。
やはり喪服だろうか。
さんざん迷って、黒のセーターにグレーのワンピース。
その上に黒いジャケットを羽織った。

下北沢の式場までは歩いてゆく。

いつもの道が、寂しい道に変わる。

昨年の秋も、こうして藤井裕さんのお通夜に向かったことを思い出す。



式場の手前で、関係者の方はお進みください。
ファンの方はこちらにお並びください、と係の男性が誘導していた。

ちょっと迷ったが、素直にファンの列に並ぶ。

列は式場の隣の駐車場に、つづら折で4列。

会社の帰りなのか、鮮やかなマフラーの人、シックなコートの人もぽつぽつ。
あとは黒い服と傘が並ぶ。

雨がばらばらと音をたてて傘に落ち
時に強く冷たい風が吹き付ける。
駐車場のライトが
雨粒を映し出している。
ほのかにお香の匂いがする。

いまどきはこんな時は、スマホをいじるのが常なのだろうが
傘で手がふさがっていることもあってか、ほとんどの人はじっと前を向いて並んでいる。

その時間は、一人で来ている人がほとんどだったため
誘導する声と、雨の音だけが聞こえている。

事務所のスタッフの方なのだろうか。
誘導する男性の案内を持つ手が震えていた。
最初は、「ファン参列」という紙が風に揺れているのだと思ったのだが
どうもそうではないらしい。

誰かが携帯カイロを渡そうとすると
「ありがとうございます。先ほどから頂いてポケットがぱんぱんなんです」
と、震えていた男性は丁寧に頭を下げた。



つづら折りが少しずつ進み、また止まる。

忘れた頃にまた進み、また止まる。

W.C.カラスの歌う「One Kind Faver」が頭をよぎる。

 黒いリムジンの後にバスが続く。
 長い長い列が続く。後から後から続く列。
 風向きは悪いままさ。

雨に濡れ、ついに冷たくなってきた手をこすりながら
ブラインド・レモン・ジェファースンは凍えて死んだんだったなぁと
脈絡もなく考える。

シーナに、ブルースのどんなところが好きなのか
お話を聞くべきだったと、後悔する。

1時間ばかり経っただろうか。
ついに式場へと進むときがきた。













2015年2月17日火曜日

草ノ中のライオン

今日は、黒い人、灰色の人ばかりじゃなく
赤い人、だいだいの人、黄色い人も見た。
なんとなくほっとした。

表現するということについて
考えている。

人に使われるということについて
ちらちらと考えている。

政治ごっこの好きなおじさんに振り回された一日であった。

本人は、組織の中で
競争に勝ち上がり、実績を残し
偉い肩書きも持っている。
自信に満ちている。
あたりまえだろう。

自分の思い通りにすれば、うまくいくと信じている。
おそらくは周囲は、何もわかっていないばか
とまで言わずとも、自分よりできない人だと信じているだろう。

私生活に置き換えても
写真の腕前もほどほどにあるようだ。

だが、写真雑誌に載るような写真が
ジャーナリズムにおいて
伝えるための写真として優れているかといえば
それはまったく別ものなのだ。

ジャーナリズムは言いすぎか。
誌面、とぐらい言っておこうか。

蛙ではないかもしれないが
百獣の王と呼ばれるライオンだって、
地球の上の
ほんの小さな
あるどこか名も無い草原の王様でしかない。

あぁ、藁人形でも打ってやろうか
カミソリ入りの封筒でも送ろうか
それとも匿名で悪い噂でもふきこんでやろうか。

どろどろへどろのような思いに突き上げられ
眠れなかったが
ふと目がさめた。

そこは私が一生しがみつく場所じゃないだろう。

もっとやるべきことをやって生きなさいと。


2015年2月15日日曜日

シーナと掃除機

昨夜はライブ会場にいたのだが
マスターにシーナさんの訃報を告げられ
少なからず動揺してしまった。

もうお会いできないなんて信じられない。

女性ならではの愛情にあふれた方でした。

先に旅立たれた鮎川さん、お嬢さんたちの気持ちも
いかばかりかと思います。
だからなおさら辛い。

そういえば2005年にブルース婦人部が
渋谷のテラプレインで5日間にわたってお手伝いした
ハリケーン・カトリーナの支援ライブにも来ていただきました。

シナロケは、たとえ小さなハコでも
志があれば応えてくださる方々。

ブルースのライヴにもたくさん出演してくださった。

そしてなぜか思い出すのは
マイクを握ったホトケさんが
シーナの方を見やる、うれしそうな顔。

スタイルは違うけど
いつも同じ空気を吸ってきたシーナ。


Facebookのタイムラインにあふれる、いろいろな方との
アフターアワーズの記念写真を見るにつけ
一つも嫌がらず写真に収まった
シーナさんのことを思いました。

気さくな、という印象はそんなところにも表れています。

(以下、Facebookにも載せた文章に加筆しました)

シーナというと掃除機を連想します。
うろ覚えですが、子どもを育てながら
それでも歌うのが好きで好きでたまらなかったシーナは
掃除機をかけながら、ロックをかけ
いや、ロックを部屋に流しながら、掃除機をかけて
ステージに立つ姿を夢見ていたという
そんなエピソードがあったと思います。
演奏ではないけれど
子どもを育てながら、音楽の現場に居続けたいと思っていた私の
背中をぽんぽんと叩いてくれるような話でした。

くらしと共に音楽はある。

最近、とみに強くなるその想いの底には
そんなシーナの姿もありました。

その後、赤ちゃんを親御さんに預け
シーナは東京へと旅立ちます。
この話にも驚いたなあ。

シーナが見えないところで
どんな努力をしてきたのかは知る由もありません。
でもヴォイス・トレーニングより何より
たぶん、歌いたい!と決めたら、すぐマイクを握ったのではないでしょうか。
明日ではなく、今日、今このとき歌いたい。
それがシーナの魅力だったような気がします。
ジロキチ・オン・マイ・マインドに、どうしても入れたかった
シーナ&ロケッツの写真。
満員のジロキチでお客がどんどんステージに迫り
立つ場所が30センチ四方くらいになってしまっても
最前列の男の子の頬をぴちゃぴちゃと叩きながら
楽しそうにシャウトしたシーナ。
この話が大好きでした。

ステージではもちろん
ご近所のよしみで時々、道でお会いしたときも
笑顔だったし、気さくに立ち話してくださった。

ありきたりな表現だけど
愛があふれていました。
愛って、器から、なかなかあふれてこないものでしょう。

私は特別シナロケのライヴに熱心に通ったわけではないけれど
なぜ、こんなに寂しいのだろう。
いつもそこに咲いていた花が
探しても探してもみつからなくなってしまったような
無念さを覚えます。

どうぞ安らかにお休みください。