2014年6月13日金曜日

ブルース水

朝起きて、カーテンをあけたら
久しぶりに青空の気配がする。

ベランダに出たら
空気がそわそわしていた。

光が跳ねていた。

ジャズのお店 を まわる。

本日 5か所。

いわゆるモダン・ジャズの類は
ブルースに比べたら、そんなに聞いていない。

なぜ、わたしが、と思わないでもないが
同じように音楽
そしてブラック・ミュージックが好きな一人として
お話を伺うこととする。

大学生のときだったか
いや、あれはまさか高校生だったのか。
ジャズ喫茶に突撃して
おしゃべりし、イヤな顔されたことを思い出す。

傍若無人。

あなたに足りないのは謙虚さ、と、友は言った。

すみません。

吉祥寺に着くと
ほどなく晴れた夏空にわかにかき曇り
大粒の雨が降ってきた。

街は不安に襲われたが
また何もなかったように
陽が照りつけ、
道行く人もまた何もなかったように
夏をむさぼる。

私もいい気分で
駅に向かって歩いていたら
素朴な若い女の子に声をかけられた。

「この中でよく使う言葉はなんですか」

きれい、かわいい、ありがとう、ごめんなさい

裏返せばいとも簡単に
般若となる言葉が目につく。

水にこれらの言葉を貼ると浄化されるのです、と
メガネの素朴ガールは言った。

あぁ、ありがとう水と、ばかやろう水とかいうやつか。

そして、とても良い気がでています。
いま転機にあります、
素直な方ですね
と路上勧誘お決まりのトーク。

しかし、なんと雲ひとつない無垢な笑顔なのだ。

あぁ、むしろ私はこの素朴ガールを救ってさしあげたい。

水にブルースという紙を貼って
飲ませてさしあげたい。

ありゃ、まさにMuddy Waters.
あるいはVoodoo Waterか。

そんなことを素朴ガールの問いかけも上の空で考えていたら
「こんにちは」
と、もう一人素朴ガールがやってきた。

おっと、あぶない。

「お名前だけでもお聞かせください」
と、素朴ガールその2は言ったが
いやいや名乗るような者ではございませんと
私は信号が変わるや横断歩道を渡った。


2014年6月11日水曜日

がびがび。

身体で覚えた経験が少なすぎるのかなと思う。

そう思ったのは
豚肉とピーマンと、あと何か野菜を炒めていたときだ。

まな板を出して
水道で流して
包丁で野菜を切って
相変わらず、ちょっとヘタのあたりが
つながって、ばらばらにならなかったりして。

それから換気扇を回し
ガス台のレバーをひねり
下味をつけた豚肉と炒め始めたのだった。

もう片方の手で、おみおつけにも火をいれる。

手を動かしながら考えていた。

こんなこと・・・と思うようなことでも
一所懸命やったことは
ムダにはならない。

しかし、血肉になるのか、と言われたら
そこは自信がない。

この手でやれた!と思うこと
この足でできた!と思う体験が
圧倒的に少ないのだろう。


まっすぐ線が引けない、と、
ある人に、ぽろりとこぼされた。

いやいや、私も、引けない。
子どものときから。

折り紙を半分に折っても
三角の山がぴたりとは合わさらない。

紙にのりつけをすれば
5本の指がすべて、がびがびになる。

絵を描くのは嫌いではなかったが
パレットはいつも、固まった絵の具で、がびがびだった。

父親はそういう私を見て
「みえは、いくじがないから」
と言った。

今も朝、でかける前に
キウイを刻んで入れたヨーグルトを食べながら
ふと太もものあたりを見ると
ヨーグルトがこぼれている。

せっかく履いていこうと思ったスカートも、がびがびだ。

線が引けない人は、
ぬりえをしても、いつもクレヨンがハミ出してしまったそうだ。

「でも、きちんと線の中に収めなさいと言われるのもイヤでしょう?」
と少しいたずらっぽく言うと
それはそうだと、その人は笑った。

それでも、
がびがび、でなければ、さぞ心地よいだろう
胸を張って生きられるだろうとも思うのだ。

豚肉とピーマンの炒めも
おみおつけも、味はまあまあだ。
特に、おみおつけは、最近われながら
おいしくできることが多い。

でも、でも。

もっとおいしそうにお皿に盛れたらいいのにと思うのだ。

そして終わった後の台所がもっと片付いたらいいのにと思うのだ。