2013年12月14日土曜日

ピアス5個

先ほどまでモアリズム忘年会の映像をみて
エキサイト。

テープ起こししていると、音楽が聞けない。

その前は、ごはん食べながら
昔やってた深夜食堂をもう一度観て号泣す。
竜ちゃん(松重さん!)が、高校球児時代にデートした
安田成美演じる、くみちゃんに会いに行く回。


そもそも今日の夕飯は
甘いたまごやきと、赤くないウインナーだ。

鈴木常吉さんの主題歌もしみいる。
そういえば、昔、小林薫さんのファンだったな。
綾田さん、お元気かな、などといろいろ思ったり。

昼間、ちょっと買い物にでたら
角のカフェでバザーをやっていた。
以前と同じく女性問題(セクハラやDV)を支援する団体が主宰のようだ。

主旨に賛同するところあり、積極的に店に入る。

以前と同じはきはきと明るい女性から
「クリスマス用につくってもらったのよ」とおすすめされた
ゴールド仕様のも含め
前回と同じくピアスを5つ買う。
1個200円。半分が寄附になるという。

てづくり感いっぱいだが
色合いも可愛くて
意外と毎日とっかえひっかえつけている。
なにしろこれで、このバザーで買ったピアスは10個になる。
たまたま今日は別のピアスをしていたので
申し訳なかったなぁ。

買い物ついでに
こういうバザーに会える暮らしは
好きである。

秋の雑居まつり、といい、最近このまちの居心地のよさが
少しずつわかってきた。

Yくん、植物でこしらえたというイヌやパンダの飾りものを観ている。
1000円のがあったので
「寄附されるというし、買えば」
となんとなく促したら
なんと3000円のを指さし「このウサギください」と言うので驚く。

聞けば、今度の台湾ライヴのおみやげにするのだと。

大丈夫か、かさばるのに。

ウサギの飾り物をぶら下げた息子どのは、なんだかかわいい。

2013年12月13日金曜日

自営の血筋

青すぎるほどの空。

風強く、冷たい。
コンタクトレンズが渇く。

本日は、いわゆる町工場への取材。
カメラマン兼。

家が同じ生業を営んでいるということもあるのだが
いつもとても興味深いというより
エキサイティングだ。

特に、ロケットだろうと
車の部品だろうと、電化製品だろうと
外からは見えないけれど
そのどこかに使われている
小さな部品を作り出す話が好きだ。

この世のものは、皆、誰かの手によるのだ。
心の込め方は違うかもしれないけどね。

コンマ何ミリにこだわる人たちの話がすきだ。

こだわって、こだわって
やりすぎてしまう人たちが好きだ。

親戚には、背広を着て会社に行くような
いわゆるサラリーマンが少ない。
物をつくってるとか、売ってるとか
そんな自営の人々が多いのだ。

これは、偶然であろうか。

そんなわけで、
朝、背広に着替えて父親が「いってきます」とでかけていくような生活が
まったく想像できないで、ここまできている。

◆ ◆ ◆

お昼に終わったので
よし!と渋谷ロフトに寄り道。
手帳とカレンダーを買うためだ。

今年は例年よりだいぶ遅くなってしまった。

・・・・と、お目当てのほぼ日ウィークリーが見当たらない。

店員さんに聞いたら、ウィークリーのみ完売だと!あぁぁぁぁぁ。

来週入ってくるというから、また足を運ぶとしますか。

遅いお昼ごはんは、沖縄料理店のカウンターで
やきそば、スープ付き。コーレーグスかけて。

◆ ◆ ◆

昨夜の房之助さんのニコ生、15000人くらい来場者があったようだ。
ネット放送おそるべし。
編集長は落ち着いて上手に話すなぁ。
見ていたらやってみたくなった。

そしてそれより何よりSTOMP懐かしい。
房之助さんがオーナーになる前
高校生のころ、行ってたのだ。
このへんの話は、また例のbsr連載に書いてます。




2013年12月12日木曜日

冬が来た

自転車に乗ろうと、表へ出ると、北からの風。
Yくんと、ラーメン屋さんに行くのであった。

枯れ葉や、まだ枯れ葉になりかけの葉が吹き上がって舞っている。

冬がきちゃったよ~!

と声に出す。

商店街から少し離れたところにある
カウンターだけのラーメン店は満員で
食券を買って、水を飲みながら、所在なく少し待った。

男子学生らしき人ばかりの中、
黙々と箸を動かす女性ひとり。
つけ麺のスープをおかわりしたか。
うーむ、あの人、ライターさんではあるまいなぁ。

ラーメンを食べながら、Yくんとはなぜだかいつも
外国にいる友だちの話になる。
いま、ロンドンやニューヨークではスシ以上にラーメンが人気らしい。
昨年家に泊まりに来たKは、最近ガールフレンドができたとのこと。

すっかり世界を自由にフィールドにしているYくん。
今月末、昨年に続きまた台湾でライヴがある。

小学校から筋金入りの不登校で
経験できないものもいっぱいあったとは思うが
地球のどこでもいい。自信を持って生きていってくれれば。

そもそも産まれたとき願ったのは
自分で考えて生きていく人間になってほしい、これだけだった。
これから長くつきあわなければいけない
生命を目の前にして
呆然としていて、あまり考えられなかったのもあるけど。

そして、どうも生活力が足りない親から伝えられるのは、
文化だけだと、思った。

じゃ、まぁまぁ、良い方向なんじゃないのかな。

ラーメンを食べ終わっての帰り道、
一軒家まるごと、びっかびかに電飾したお宅に遭遇。

屋根から道路までブルーとホワイトのLEDが
ツリーを模して垂れ下がり、
窓という窓にサンタだの雪だるまだのが飾られ
赤や緑に点滅している。

カメラを取り出したが
撮るのも恥ずかしいような
なにか憚られるような気持ちになる。


2013年12月11日水曜日

ムリなものはムリ

朝起きたら、ベランダが濡れていた。
雨がふったようだ。

夜遅くまで某紙入稿のため作業、作業。
合間に自分の原稿の仕事。
校了した~と思ったら、印刷屋さんから電話。
落ち着かない。

気分を変えようと数日ぶりに、ごはん炊く。
いい香り。
セロリのサラダも作った。
うん、いい香り。
マヨネーズ、ぎゅんぎゅん絞る。

うちの制作チーム、トラブル続きである。
トラブル・ノー・モア by muddy waters

なにがって、人間関係の。

いや、これはトラブルなのだろうか。

トラブルだと思うから、トラブルなのではないだろうか。

ムリだから、やめます。
作りたいものが作れないから、やめます。
お金に見合わないから、やめます。

どれも道理だ。しかし、それで済むのか。

◆ ◆ ◆

もと家にいた方は、
「やりたくないことは、やらなくてよい」
「無理なものは、ムリ」
と言って憚らない方であった。

そういえば、昔こんなこともあった。

Yくんが保育園時代、私は年中組にもかかわらず
父母会の会長なるものを頼まれた。
一般に会長は、年長さんの親がなる。
しかし、前の会長さんが、ブルース音楽関係の奥さんという事情もあり
白羽の矢?が立ってしまったのだ。

どこまで、ついて回るか、ブルース。

そして家に帰って
「今日、こんなこと頼まれちゃって困ってるんだ~」
と告げたら
「やりたくないものは、やらんでいいでしょ?」
とばっさり一言で終わったのであった。

基本的に情にもろい、優しい人ではあるのだが
関心の外の問題になると、とんと響かないところがあった。

「アーティストですから。ねぇ」

励ますように、友だちは笑った。
わたしも、しかたなく笑った。

もっとも、今となっては様々に起こった
「ムリなものはムリ!」事件は
弟Fくんや、息子Yくんとの間で、大いなる笑い話になっている。

わたしは危うきものには近づいてしまう性分なれど、
一般的にはこう言える。

アーティストという人たち、
深入りしなければ、
あるいは半径1m以内に近づかなければ
面白いことばかりである。





2013年12月10日火曜日

限られた世界

昼から六本木。

アマンドでお茶するマダム(らしき人)を
横目に芋洗坂を下り
色校を受け取る。

陽はさしていない。

こないだ、雪の多い地方では
正月に凧あげなんて、できないと聞いて驚いた。
新年に、凧あげ、羽根つき
全国共通の風物詩だと思っていたが
あれは限られた子どもたちの世界だったんだ。

その代わり、雪がやんでちょっとでもチャンスがあれば
子どもたちは一斉に表に出て凧をあげたという。

数え切れない凧や何とかカイトが
雪の白さを照り返すかのような青い空に
所狭しと泳ぐ様を想う。

わたしは、限られた世界を生きている。

本日大荷物。
サブバッグにノートパソコン。
デスクをお借りしている会社のPCは調子が悪いため。
iMacもあるのだが、OSが古く
ブラウザの更新等が追いつかないため
もはやネットもまともに見られない状況にある。

1日、デスク仕事。

仕事内容というより
デザイナーさんたちにいかに気持ちよく仕事していただくかに
神経を使う。

幾人か、かりかりし、
時にパニくっている。

私は泣きたいというより、暴れたい。
自分に対するふがいなさもあるけれど。
せめて顔だけでも笑えないものなのか。

ごはんは、昼も夜も会社で食べた。

夜はモスバーガーをごちそうしていただく。
持ち帰り係はわたし。
モスの店員さんは、電話でも店頭でも比較的気持ちのよい人が多い気がする。

Nさん 鯖味噌ライスバーガーと、かきあげライスバーガー
I さん きんぴらライスバーガー、チリドッグ
わたし モスバーガー、スパイシーチリドッグ

鯖味噌は、チャレンジできないでいるのよね~、なんとなく。

車で送っていただいたが
なぜか松濤のお屋敷街から、駒場の住宅街に迷い込んでしまった。
23時過ぎに帰宅。

誰かに困った人間関係をぶちまけたいような気持ちもあったけれど
夜も深く、それより、もっとやり場のない心持ちを耳にし
自分の愚痴は胸にしまう。

言葉は悪いが
今日の仕事の愚痴など
自分が頑張って、なんとかやり過ごせば済む
ほんの限られた世界のことなのだろう。

世の中にはどうしようもないことがある。

どうしようもないこと、これがブルースだと思ったり。


2013年12月8日日曜日

ママ、アイ・ウォント・トゥ・シング

先輩のご厚意により
東急シアターオーブで
ミュージカル「Mama I Want To sing」を観てきた。

この劇場、ヒカリエの上にあって
ロビーからの夜景などもきれいだし
待ち合わせのカフェなんかもあったりして
なかなか居心地はよい。

ミュージカルは、ドリス・トロイの姪が主人公になっていた。
どんな具合なのかと心配していたが
やはり、場数を踏んでいる人たちである。
最後はきっちり盛り上げてもっていく。

クワイアは
ドリス・トロイの妹であり、原作者のヴァイ・ヒギンセン(ナレーターも務める)が
ハーレムのゴスペル離れを防ぐために
立ち上げた「GOSPEL FOR TEENS」からの選抜。

単なるヒットにあやかるのではなく
あえてNEXT GENERATION と銘打って
次の世代に伝えていこうという姿勢は、やはり素晴らしい。

バンドさん(ドラム、ベース、ピアノ、オルガン)も
生、ならではのグルーヴ感だった。ドラムスはシンドラだったし
1945年ごろ、あのビートはなかったんだろうけど。

グラディス・ナイトやパティ・ラヴェルの名前が出て拍手してしまう。
浮いていた。
あぁ1945年なら、どんな音楽が流行っていただろう。
そのあたり、もっと説明があればなぁ。

そういう意味では、ドリス・トロイが
「ジャスト・ワン・ルック」を全米でヒットさせたことがどんなに大変なことだったか
アポロでどんな人と共演したのか
そのあたりも含め、お芝居の部分を
丁寧に描いてほしい。

娘グループでの巡業。
60年代初めであればまだ人種差別も強く
苦労があっただろう。そんなことも考えた。

私が一人勝手にコーフンしたのは
年ごろになった主人公がラジオに耳を傾けるシーン。

ダイナ・ワシントン、レナ・ホーン、サラ・ヴォーン、ビリー・ホリディに
扮した女性シンガーが次々出てきて歌うのだ。

あまり似ていないし、歌も今一つだったが
それでもこの4人が揃うというだけで
私のアタマの中は、涙もんだった。

そういえば、最初にコンテストに優勝したとかいう
日本の女性クワイアが出て
2曲歌ったのだが、うーむ、やはりかなり厳しい。

コール&レスポンスがないから、と評する向きもあったが
私には、歌の向かう場所が開かれていない、と感じた。
もちろん皆に聞かせようとして歌っているんだろうけど
歌が表へ出てこない。
何かとても狭い世界で歌がぐるぐる回っている印象なのだ。

だけどお友だちなのだろう。
前の席のご婦人方は手をふり、彼女たちのときだけ
大盛り上がりであった。

終わってロビーに出ると
もう皆さんサイン会をしていた。すごっ。

デザイナーのSさん、仕事があるからと
先に帰る。皆、あわただしい。
N夫妻、マイブラザーFくん、私で、うどんを食べる。
私と、S子さん、きつねうどんとかやくごはんのセット。
Nさん、にしん蕎麦ならぬ、にしんうどん。
Fくん、お刺身、天ぷらもついたセット。

あいかわらず、よくしゃべるFくん。
白米も3杯おかわりする。
よく笑った。

タワレコに寄ろうかとも思ったが
まっすぐ帰る。

仕事也。ずっとこんな風に休みならいいのに。