2014年8月9日土曜日

中二病

佐世保で事件を起こした女子高生の卒業文集に
寄せた文章を読み、胸かつまった。

世をはかなみ、世に抵抗し
斜に構えながら、それでもできれば幸せになりたいと思う。

頭だけ発達しているのに無力な中学生。

この子はもっと別の部分で病んでいるのかもしれないし
擁護するつもりはまったくないが
どこか自分の中学時代を垣間見たような気がした。

ネット掲示板には
この作文に対し
「典型的な中二病だな」
との声が。

わたしも中二病だったのか。

どうして高校に行くんですか!と先生に食ってかかったり
タバコを吸うまねをしたり
今だから言うけれど
成績のことをうるさく言い
音楽に対して理解のない父親を殺したいと思ったこともある。

だんだん外の世界に向かって
家というバリアをびりびり破いて出ては行ったが
ふり返ると30歳くらいまで
ずっと中二病だったような気もする。

先日、仙台の健一さんに
「みえちゃん、大人びた子だったっけね」
と言われた。
二十歳ごろ、友だちと初めて仙台を訪ねた時のことだ。
健一さんは、そこまで感じなかったが
私たちが帰った後、友人の一人がそう言ったらしい。

あのころは、受け容れるより
いろんなものを突っぱねてばかりだったように思う。

実にもったいないことをした。

そしてもし私の中二病が終わったとすれば
久しぶりに会ったおねえさんに
「なんか変わったね。昔は“ブルースの人!”って感じだったのに」
と言われた三十歳すぎかもしれない。


★ ★ ★

ヤフーの知恵袋に
事件を起こした女の子の読んだ本を教えてほしい
という質問が載っていた。

夏休みを迎え、我が子が読書にはまっているが
同じ本を読むかも知れないと思い怖くなったという。

無理に自殺や殺人を勧めるような本を
推薦することはないが
何を読んでもいいだろう。

何を手に取るかはその子の癖による。

私は、中学生のころ
ドフトエフスキーの「罪と罰」や
坂口安吾「堕落論」
さらに学生運動のころ命を絶った
高野悦子の「二十歳の原点」に、はまっていた。

もうすっかり忘れたな。
でも、あのころはその世界に沈殿し、影響されてたはずだけど。

確かに親は自殺した高野悦子の本に心酔していることを
心配していたような気もするけどね。

そして、それ以上に音楽の影響は大きいかもしれない。
書を捨てよ、街に出ようとか
見る前に跳べとかね。

高飛車な態度だった小学生の私に
下から上を見上げて考えることを教えてくれたのは
フォークソングだったよ。
その次がブルース。

しかし、絵本にしろ、何にしろ
心配なら親が読んでみたらどうだろう。

親から伝えられるのは、極端に言えば文化だけだ。

親が読み、親が聴き、親が見て
いったい何に感動するのか。
と同時に、親が一人の人間として何を尊厳とするのか
許せないと伝えるのが教育だ。

そして、
死にあこがれ、死を思う時期もあったとしても
自分の意志ではなかったとしても
生まれてしまったからには
生きて、生きて、生き抜け。


2014年8月8日金曜日

ネットにないもの

六本木で打合せ。

見上げる空に吸い込まれる。

見上げたせいなのか
吸い込まれたせいなのか、めまいがした。

秋の雲じゃないか。

うろこの雲。
風に流され、流され、ちりぢりになる雲。
糸のように繊細な雲。
東京としては珍しく青々とした空を
いっぱいに使って遊んでいる。

いいなぁ。

2~3人やはり見上げるお仲間あり。

打合せの後ごはんでもという話だったが
車で送っていただく途中、停められる場所が
いつものファミレスしかなく、結局、家ゴハンになった。

コロッケ、レタス、大葉、キュウリのサラダ。
たまごかけごはん。

食べ終わったか食べ終わらないかのとき
いづみやのK一さんから電話。

昔はレコードの話ばかりしたこともあったが
最近は世間話が多い。
週末ズクナシが仙台に来るので観に行くそうだ。

場所がわからないので店を探し当て電話したら
「詳しいことはネットに載ってます」
と言われたとか。
健一さん、まったくインターネットはやっていないのである。

で、インターネット以外に載ってない人、もの、世界がたくさんあるよねとの話に。

あるおいしい宮城の酒を探す人がいたのだが
ネットを検索しても一件も引っかからない。
一件も。
そこで、蔵元を探し問い合わせたら
それなら仙台のいづみやにあるんじゃないかな、と言われたそうだ。

いづみやには、ネットに載っていない酒がある。

いや、それは言い方がおかしいな。

別にネットに載っているものが権威だったり
常識なわけじゃないのであって。

うちの父ちゃん、母ちゃん、いや妹の名前だって
検索しても出てこない。
でもGOOGLEさんがご存じなくても
ちゃんとこの世に生きてたり、生きてるんだ。

あと、疎遠になった、あるいは行方がわからない友だち
これはいくら工夫して探してみても見つからない。

これもバカの一つおぼえみたいに
よく言うことだけれど
音楽だって、古今東西、録音の機会に恵まれなかった人や
録音したけれどUNKNOWNになってしまった人への
想像力を忘れないでいたい。

個人的に記録することは好きだが
かといって記録されたものがすべてではないのだ。






2014年8月6日水曜日

暑さとの些細な闘い

山手線ホーム。

ごみ箱は、新聞・雑誌など、かん・びん、その他のごみの
3種類に分かれている。

アジア系の家族と思われる一団
Mシェイクのようなものを飲みながら歩いてくる。

と、お父さんらしき人が
ごみ箱の、「かん・びん」にシェイクの容器を投げ入れた。

あららーと思ったが、
かん・びん だけ丸い穴で、他は四角なのだ。

日本語は読めないであろうし
感覚的に、丸に入れたくなる気持ちはわかる。

ユニバーサルデザインって難しい。

それにしても酷暑である。

こんなに暑いのに、もう昔の日本ではないのに
日本人は、昔と同じように
いやそれ以上に働かねばならないのだ。

気分を変えようと、iPodでアラン・トゥーサンのピアノ・ソロ・アルバムを聞く。
実に、実によい。
声とピアノからあふれでる人柄が、うだる気持ちを涼しくしてくれる。

帰ってデザイナー打合せ、校正などしているうちに
どうにもこうにも眠くなる。

なんとか手配だけして、倒れ込むように床の上のクッションに。

そのまま爆睡。

起きたら喉が痛かった。
いやな頭痛もする。
あの3.11の前日、起き上がれないほどの頭痛であったことを思い出す。
あのときは、頭痛薬を飲んでも治らず、真剣にCTスキャンを受けようと考えていたのだ。
あとで聞いたら友人も、ものすごい頭痛で起き上がれなかったそうだ。

しかし、今日の頭痛はたぶん
先日、耳をいじっていて血が出た影響だろう。
それで喉が痛くなり、風邪のような症状になる。

私は、特に忙しいと耳をいじったり、爪を爪切りを使わず剥がしたり
かさぶたやささくれをひっぱがしたりするクセがある。

気を入れようと
あり合わせのナス、わかめ、ミョウガで、濃いめのおみおつけ
キュウリ、レタス、シソをイタリアンドレッシングであえる。
ごはんに梅干し。
あとYくんの好きな麻婆豆腐。


ごはんを食べたらだいぶよくった。
もしかしたら熱中症気味だったのかもしれない。

なにしろ今日も醜い暑さであった。
あまりに暑いとわかっていたのに
スカートがはきたくてストッキングを履いた。
その上、最近運動不足だからと隣の駅まで歩いて行ったら
汗が吹き出して止まらない。

だが、服だけはタンクトップにカーデガンだ。

しかし打合せの途中気づいたら
カーデガンの前ボタンがはずれていた。
ちょいと淫らであったかもしれぬ。
そんなつもりは微塵もないのだが気をつけよう。






2014年8月4日月曜日

8月雑記その2

駅へ着く間に汗だくとなる。

最寄り駅は地下2階なので
風も通らない。

試しにホームの太いコンクリの柱に
身体を寄せてみる。

ぬるい。

コンクリまであったまっていた。

がっかりして
各駅停車に乗る。

原宿駅で乗り換え。

夏休みか。

色とりどりの服装の女の子たちのかたまりと
西洋から来たらしい外国人のグループが目立つ。

あの中学生、高校生くらいの女の子の
独特の垢抜けなさはなんだろう。
桃のようにぽってりとした感じ。
じゃがいものようにごろりとした感じ。
あるいは棒きれのようにたよりない感じ。

細くても太くても
どんなに格好のいい服を着ても
何かちぐはぐな感じ。
自分の手を手として認識できず
足もまた足としてとらえきれていないのだろう。

今日は入稿で
とても緊張した。
とにかく自分が信用できないので
絶対間違えていると思ってしまう。

恥をしのんで、確認のために何度も電話をかける。

高層階で景色はいいのだが
トイレに行くにも、編集部の人のIDカードを借りなければいけない。

打合せスペースは広いのに
編集部員の机はぎっしり並び、パソコンのほか
紙を広げるスペースもないようだ。

大きい会社にいたことないから
どうも落ち着かないなぁ。

すみっこのテーブルを借りたら
冷房が行き届かないようで暑かった。

ひととおり終わり
フロアを後に。

午前中に約束した青森のマタギツアーの事務所に電話をする。
「すみません。まとめてるもんが、明日もあさってもいねえんですよ」
「あ、それでは木曜日にお電話しましょうか」
「いやー、でも、またその日に山に入っちゃうんで、来週13日過ぎに
 連絡もらえますか」

山に入っちゃっておりてこないのか。

そうだな。私はマタギツアーの事務所に連絡をしているんだ。
納得した。

8月雑記

どうにもこうにも暑い。そして眠い。

マディに関する原稿を書き上げたら
さらに1日ずっと眠い。

昨夜もライヴに行ったが
終わってからあまりうだうだせずに帰宅した。

途中で、外国人の女性に
「エイゴ、ワカリマスカ」
と住所を見せられた。
目的地はまだ20分ばかり歩かねば着かない。

友だち2人は大きなスーツケースにもたれて
道端で座り込んでいる。

電車に乗ったらと言っても
どうしても歩くという。

都内といっても夜10時過ぎだ。

結局もう一人通りかかった男性が
近くまで連れていってくれることになった。
親切な人。

ごめんね、テイクケアー。

昼過ぎにパスタを食べただけだったので
帰ってきてワッフルと
買い置きのカップ饂飩を食べたら
テキメンにもたれ、そのまま寝た。

そしてけさ、変な時間に目が覚めた。

とりあえず、やるべきことを考える。

まだやらなければならないことはあるのだが
ぱんぱんに詰まっていた大樽に
少し空きができてきた。

ただ、やらなきゃいけないことと
しょうがないからやることは別だけどね。

だいたいにおいて
燃料は気力なんだとわかる。
体力はない。

昔っから、持久走が大キライだっただけでなく
とてつもなく遅かった。
人生と同様、短距離走向きなのである。

そうも言ってられませんよ、と
これは占いのアドバイス。
ごもっともで。

ガザの問題もあるのだが、
周りを見回しても
最近、死を考えざるを得ない時が多い。

午後、ふと目をつぶって
ぼんやり考えていたら
私は、今、生きているのか。
と愕然とした。

夜は、この熱いのにうどん。
なす、小松菜、あげ、揚げ玉、半熟卵
ついでにミョウガも入れた。

ごはんはもたれるが
カップ麺ではないうどんなら、調子がよい。