昨夜は、古巣のタウン誌編集部を訪ね
遅くまでお邪魔して、夕飯までごちそうになってしまった。
なんのかんの言って
20代の頃から関わり
30代はずーっとお世話になった
実家みたいな編集部。
当時つくっていた新聞はもうないのだが
あのころ、普段の生活がある町から普段の楽しみを発見したい!
と日々取材に歩いていた経験が
今、大きな力になっていると感じる。
今でこそ、ナントカ散歩という番組や雑誌記事、ブログは珍しくもなんともないけど
特に山手線の外側のエリアに関しては
先がけ的な存在ではなかったかと思う。
さて、昨日の主な話題は
編集生活6年目の I さんが、
原稿が書けなくて悩んでいるという話。
一番気になったのは、正解を求めていることだ。
原稿の書き方で多少のテクニックは必要だけれど
果たしてそこからは、その人の“気づき”であったり
“感じ方”であったり、ひいては伝えたいという気迫ではないのだろうか。
編集のE氏は、それをこそばゆい言葉ではあるが
対象への“愛”だと表現すうr。
夕暮れは、誰の目にも美しいのだろうか。
人によっては目の前にあかね色の空があっても
気づかない。
いや、同じ人であっても日によっては気づかないことがある。
人の心に映るものが風景だ。
「夕焼けってきれいじゃないですか~」という発想からスタートしたのでは
確認、しか生まれない。
ガイドブックをなぞって歩くだけでは、
薄っぺらな原稿になってしまう。
「自分の中に取材内容をいったん、落とし込んで・・・」
と言ったら、
その落とし込むがよく伝わらなかったようだ。
「30代は変われる時だよね」
と言ったら
「変わらなきゃいけないですねぇ・・・・」
とつぶやいていたが
いやいや、自分が変わろうとしなきゃ変われないよ。
変わらなきゃいけないんだ。と人に言われてどうこうするもんじゃないでしょう。
憂歌団の初期マネージャーであった奥村ひでまろさんは
還暦を前に、ご自分で歌を歌い始めた。
お話をうかがったときに
「人間って変われるんですね」
と言ったら
「変われる。」
とおっしゃった、その一言の重みが心にしみた。
変わらなくたっていいし
変わったっていい。
でも変わることだってできる。
これは歌もそうだが、
その人に必然のない歌には、力がない。
歌にしろ、原稿にしろ、芯のないものは弱い。
気づくかなぁ、彼女。