2012年7月15日日曜日

はじめての白鳥の湖

先日、友人に誘われ、生まれて初めて、バレエを観に行った。

しかも「白鳥の湖」!


私の世代にはありがちだが
小さい頃は「大きくなったら何になるの」と尋ねられると
バレリーナ! と答えたものだ。


結構なお値段だったが、ビルボードに行くことを思えば
えいやっと、ここはご縁を大事にしなければ!

ここのところ、インタビューも
ヴァイオリニスト、指揮者・・・と
クラシック畑とのご縁が続く。

クラシック音楽には素人だが
家にはSP盤も含め、いくらかのクラシック音楽のレコードがあった。

中でも私のお気に入りは、チャイコフスキーで
小学校2~3年生の頃は、A面が白鳥の湖、B面がくるみわり人形という
レコードばかり聞いていた。
現在はすっかりポール・バターフィールド・フリークとして知られる
実弟、マウントフジヒコも
実はクラシック畑出身で、意外にその分野には詳しい。

この日のプリマドンナはニーナ・アナニアシヴィリ。

日本でこれで最後の白鳥の湖! という歌い文句だったが
私にとっては、最後も何も初めて。

華があって、しなやか。
こころねの豊かさが伝わってくるようなふくよかな踊りだ。
純真なオデッタもよかったが
王子を誘惑し、騙してしまう黒鳥オディールの
隙のない踊りが、彼女の底力をよく表していたように感じた。

「若い時は、もっとくるくる、くるくる、何回も回れたんです」
とMさん。
年齢を知って驚いた。
私より、ちょっとばかり若いだけなのか!

◆その他大勢

それにしても、
主役が抜きんでて美しいだけに
その他大勢の人たちの様子が、より一層気になる。

3羽の白鳥といったよく知られた役柄を与えられ
センターで短くとも脚光を浴びる人はまだいい。

ドレスは着ているが。
ときどき、それらしい演技をするだけの人。
ぴたっと止まったままで、
息をひそめていなければならない白鳥たち。

心意気も、悩みも、心持ちが知りたい。

私だったら、自分の役回りを真っ当しようと頑張る一方で
自分を責めたり、もんどり打って落ち込んだり、妬んだり
まぁ、勝手に一人で暴れると思う。

東京見物なんて、する時間ないのかな。


◆緞帳の専門家

バレエは総合芸術だと言われるが
「昔は緞帳を上げ下げする専門家がいた」
という友人の解説には、心を動かされた。

帰ってきて「緞帳」で調べたら、出るわ、出るわ、エピソード。
製作する人だけでなく、取り付ける人もいれば、修理する人もいる。
大緞帳だけでなく“諸幕”を研究する人もいる。

フランスの現代美術館ジョルジュ・ポンピドー芸術文化センター別館では
つい最近、ピカソがバレエ公演用に描いた緞帳が公開されたらしい。
ピカソ最大の作品。

観たいなぁ。

◆ブラボー!と庶民的バレエ

会場に来ているのは圧倒的に女性だった。
親子、一人客、たまに、カップル。

「お手洗いは中にもございます~」

キップをもぎる前にトイレに並ぶ人たちに
案内の女性が声をかけている。

もぎりを通過すると、今度はグッズ売り場の熱気が凄い。

ロビーの一画には、始まるまでの寸暇を惜しんで
紅茶(紙コップではない)を楽しむ人たちもいた。

1万いくら、それでも東京文化会館3階席。

かぶりつきの方が見やすい、という分けでもなさそうなので
初心者には、全体が見渡せる、ちょうどいい席だったかもしれない。

同じ音楽や舞台でも作法が違うから
いろいろと面白い。

始まってから面食らったのは
何度も、ブラボー! と野太い声で叫ぶ男性がいることだ。

どうもどんぴしゃり、ブラボーなタイミングではない。

あげくの果てに、アップテンポの曲では半端な手拍子も聞こえた。

そうするのが、海外仕込みなのか。
それとも歌舞伎の「中村屋!」みたいな大向こうならでの掛け声なのか。
あるいは、ただ、言いたいだけなのか。

お客さんもいろいろだ。

始まる前に、オーケストラボックスをのぞきこむ女性たち。
5階席で、幼稚園くらいの子どもと共に
なんだか怖い顔で舞台を観ている若い母親。
一人で開演ぎりぎりに席に着き、終わるや一人で寡黙に帰って行く女性。

隣は年配の夫婦。
「変わった演出だな」
「こういうのもあるんだな」
「総立ちじゃないか」
と、折りに触れ、ご主人がサブ実況のように感想を述べる。

奥様の方は、「あら、そんなに有名なの?!」
とか何とかおっしゃっていたので、つき合いで来ているのだろうか。

さらに休憩時間に席を立ち、戻ってくると
「あら、ごめんなさい」と奥様。
何か召し上がったのであろうか。
私の椅子の上にパンの入った袋が置いてあった。

舞台の方も、へえ、と思わせる場面がいくつかあった。

「(音楽は)ちょっとゆっくりな感じだったかな?」
「そういうアレンジかもしれないけど、ちょっとテンポが遅い気がしました」
と、誘ってくれた友人も考えている。

「全員がそろうのって難しいよねぇ」

「本来は、ぴしっとそろわなきゃダメなんです」
「私、脇役の人に興味を持った」
「本当は、気にさせちゃいけないんです」
「幕前に、なんか足音してなかった?」
「気づきましたか? あんなの、初めてです~」

私自身、バレエは高尚な藝術!
と思い込んでいるところがあったので
これは意外だった。

友人が「まだ、このバレエ団は発展途上。
舞台の大道具もシンプルだし・・・」
と、しきりに申し訳なさそうに解説してくれたが、
私としては、減点、ではなく
むしろ、人間臭くて親近感がもてた。

どこにあるのかさえ知らなかった
グルジアという国にも興味がわく。

映画の後みたいに、
帰り道は、つま先だちして、
時にくるくる回りたくなるんじゃないか
と心配していたが、それだけはなかった。



初めてのバレエとPPMと藤原マキ (その2)


◆バレエとPPM



初めてバレエを観て、思い出したことが2つある。


今と違って、バレエを習う子など周りには皆無だった。
と言うより、バレエなんて、写真か漫画でしか
観たことがなかったのではなかろうか。
それでも、
それらしく友だちと、
足をあげたり、
ポーズをとってみたりしていた。

“トゥーシューズ” という響きが好きだった。

バレエのことをよく教えてくれたのは
5つばかり年上の八百屋のお姉さんN子ちゃんだった。

小児麻痺の弟がいたと思う。

彼女は、いま思えば、なのだが
PPMを縦笛で吹いて聞かせたりもしてくれた。

なんだか知らない世界がたくさんあるようで
魚屋のともちゃんと誘い合って、よく遊びに行った。

4畳半あったかなかったか
狭い畳の部屋でバレエのまねごとをした。

バレリーナはつま先ではなく
足の指をグーにして立つのだと
N子ちゃんは教えてくれた。

実際はそんな単純なものではないらしい。
でも子どもは必死だった。
来る日も来る日も練習を重ね、数秒だが
立てるまでになった。

だが、ある日、唐突に親から
「○○ちゃんとは遊んではだめ」と言われたのだ。

足指をグー立ちさせたからではない。
万引きをしたから、というのがその理由だった。

 シューライシューライシューライオー
シューライワクシャク シュララヴュー

彼女の口から流れ出た呪文みたいな歌は、
子ども心にも、楽しい歌ではないことはわかった。
いや、N子ちゃん自身も子どもだったのだが。

PPMの「虹と共に消えた恋」だと知ったのは、
それから20年以上たってから。


シューライ、シューライのメロディと共に
家に遊びに来たのに、
追い返されて階段をおりていった
彼女の哀しそうな顔を思い出す。




◆バレエと藤原マキさん


もう一つバレエで思い出すのが
藤原マキさんのことだ。

つげ義春さんの奥様である。

面識があるわけではない。
マキさんの絵と文による『私の絵日記』が
大好きだっただけだ。

不安神経症を患い、電信柱みたいにぶっ倒れることもある夫と
幼稚園にあがったばかりの引っ込み思案の息子との毎日。
しかも自身は、ガンを患っている。

こんな病気になったのは
母の言いつけを守らなかったからだと
“オベンジョ”をきれいにしていなかったからだと
“テッテ的に”掃除するマキさん。

おとうさん=つげさんの発病もあって
内容はだんだん深刻になっていく。

夫を支えてとか、けなげに、とか、そんなきれいごとではない。
寝て起きれば、必ず向こうから何かが飛んでくる。
どうしようもないのだ。
そのあれこれをよけたり、よけそこねてぶつかったりしながら
それでも生きていく日記である。

つまった風呂場の配水口に
手を突っ込んで掃除して
水が流れていく音に
じっと耳を傾けている姿が
すべてを物語る。

「内ぶたをとると、ノロがびっしりついていた。取りのぞいてやると、溜まっていた水が驚くほどいつまでも流れるので、その音に聞き入っていると、心のゴミまで一緒に流れていくような快感があった。」(P123より引用)

私は、この一文で、初めて、「ノロ」という呼び名を知った。

そんなマキさんが、おそらくは四十間近で
近所の集会場にバレエを習いに行く。

状況劇場で女優さんをしていたとは言え
初めて読んだときは、よく決心がついたなと思ったものだ。

足の筋を思い切り伸ばし
指先まで心を込めて腕を伸ばし
マキさんが、思いきって空気を吸える時間、
それがバレエのレッスンだったのかもしれない。

読み返したら、マキさんは
<トゥーシューズ>を
<踏シューズ>と書いていた。
フロアをしっかり踏んで練習しているマキさんが想像できる。

絵の中で踊るマキさんは、かなり、へっぽこだ。
だが、マキさんはもっとお上手だったのではないだろうか。


舞台女優で、絵が描けて、文章も綴れ、
そしてつげさんの奥さんで。

加えて、踊りがうまくても何の不思議もない。



amazonで調べたら、今、文庫版は品切れだった私の大事にしていたのは
グリーンのカヴァーの北冬書房版。
あの大きさがよかったんだけどな。





とうとう来たよ!ハーレムその2


◆行列 ソウルフード




後ろ髪をひかれながら教会を後にし、
お昼ごはんは、はす向かいのAMY RUTH'Sへ。

ガイドブックにも載ってるソウル・フード・レストランである。

http://www.amyruthsharlem.com/ 

しかしっ。

ここも観光客で行列なのだ。
肌の黒い若い女性がいるのでジモティかと思えば
ガイドブックをめくる、他の州から来た人だったり。

入口で、名前を告げてしばし待つ。

うっかり「senoo」とスペルを告げてしまったため
「エヌー」「エヌー」と呼ばれてしまう。

エイミー・ルースは、オーナー、カール・レディングさんの

祖母の名前。
10人の子どもと12人の孫を持つ敬虔なクリスチャンのエイミーはアラバマ出身。

夏になると子どもたちには、それぞれ雑用が与えられたのだが
カールさんは、芝刈りとか畑仕事ではなく

台所でおいしい料理をこしらえる
エイミーおばあちゃんの傍にいるのが好きだった。


おじいちゃんに台所から追い出されても追い出されても

台所にいたおかげで、カールさんはおばあちゃん譲りの
おいしい南部料理のレシピを自分のものにすることができたのだとか。

メニューには、有名人やゆかりのある人の名前がついている。

うーん、絶対にヘヴィになるとはわかっているけど、
ここは、ナマズ、でしょう。
それと、看板メニューのワッフル。

ワッフルはおいしかったなぁ。
マス目の一つ一つにバターを落として食べたいなぁ。
特にメープル・シロップとの相性が抜群でした。

前菜?のもっちりしたケーキで すでにおなかがふくらむ
ワッフルの上で寝転ぶキャットフィッシュのフライ
チキン、サラダ、ライス!
President Obamaなんちゃらという名前だけで選んじゃったらこの量だ

しかし、ワッフルの上に揚げモノという大雑把な組み合わせに対し
日本人のおなかは、受入体制ができていない・・・

隣のおねえさんは、フルーツのせをチョイスしていたが
「この上にチョコレートシロップをかけたいの~」
と、お店の人を呼んでオーダーしていた。

気は心、食は文化!とばかりに
胃袋に無理を言って、オーダーしてしまうのだが
もともと食は細い、胃腸も弱ければ、お酒にも弱い。

日本食が恋しいなんてことはない代わり
海外で一番つらいのはここんとこだ。

◆懺悔の日曜日、午後のハーレム

マルコムXブルバードを歩く。
マルカムXが建てたマスジッド=マルカム=シャバズ
メアリー・J・ブライジが今度映画で彼の妻を演じるらしい

日曜の昼下がり。
天気もよく
どことなく、のんびりした雰囲気だ。

Stormy Monday風に考えれば
1週間分の邪心を懺悔し終え
何もかもちゃらになった
心も軽く、身も軽いひとときなのだろう。

たとえ明日がまた嵐の月曜日でも。
今日は今日。

黒人として初めて下院議員になり
公民権運動に力を尽くした 
アダムパウエルJr.像の
颯爽とした後ろ姿
日曜は日曜だ。

レイトン・アダムパウエルJr.像の建つアフリカン・スクエアを見下ろすように建つひときわ高いビル。

ここには、かつてクリントン元大統領がオフィスを構えたことで、全米をびっくりさせた。

最初に耳にしたときは、マイノリティのいる地域にわざわざ・・と美談を想像したのだが
実際には、マンハッタン中心部の家賃が高騰したため、税金の無駄遣いにならぬよう、ハーレムを選んだ、ということらしい。



この日、広場に設営された舞台では、
男が
油を摂取しすぎるといかに身体に悪いのか、オーガニックの重要性について熱弁をふるっていた。

舞台の前に並べられた椅子に、ぱらぱらと座った(主に)おじさんたちは、
話になるほどと感心したときも、
少し退屈なときも、少しお尻を動かして反応する。



そもそもハーレムは、1873年にマンハッタンに併合され白人向けの高級住宅街として発展したエリアだ。

しかしその計画が頓挫したために
貧しいアフリカン・アメリカンが急速に流入。

ある統計によれば1930年には、その7割がアフリカン・アメリカンだったとも言われる。


そう思えば確かに、私のようなものが物見遊山で訪れるハーレムは、あの頃のハーレムではないのだろう。


でもすれ違う人の肌は、圧倒的に黒い。

そしてそれも一様ではなく

服装だけ見てもアフリカン、ラティーノ、カリビアンなど
多様な文化の集合体がこのハーレムなのかもしれない。
父の日でどの店もDAD攻勢

スティーヴィー・ワンダーの流れるスタバでは
近所のおじさんやおばさんらしき人たちが、ひと休みしながら、なんとない話に興じていたし、
同じH&Mでも、ハーレムのH&Mは
派手なストライプのワンピースをはじめ
色味が強い気がした。

ヒップホップなTシャツを売るあんちゃん、隣は
バッグ。
道端にはいろんなベンダーが並ぶ。


往年のソウル・ミュージックを流すおねえさんの台には、所狭しとCDが並んでいるが、ジャケットはない。白盤ばかりだ。


◆ハーレムの本屋さん
目抜き通りの一等地に空き地があった

黒人の作家や、黒人文化の書籍を扱う「Hue-Man Bookstore & Cafe」をのぞいてみた。

http://www.huemanbookstore.com/ 

珈琲の香りがするカウンターでは
なじみのお客さんなのだろうか。
店の人と静かに世間話をしている。
失礼ながら予想していたイメージと違い
表の喧噪とは裏腹に
とても落ち着いた感じの本屋さんだ。

音楽のめぼしい本は見つからなかったが
絵本には興味をひくものがいくつかあった。

ハーレムが変わろうとするからこそなのか。
誇りや文化を子どもたちに伝えていこうとする
人たちがここにもいる。

しかし、先日、サイトを見たら、本屋さんは7月末で
閉店してしまうらしい。


ディズニー・ストアもHMVも撤退したのは何となくわかるが
こうした書店もやはり、やっていくのは難しいのだろうか。

◆ハーレムで自転車大会



ぶらぶら歩いていたら、マイクであおり立てるようなMCが聞こえてきた。

声のする方を見ると、アパートとアパートの間の道をふさいで
何かやっている。自転車のアクロバットだ。

この日は、<Harlem skyscraper Cycling Classicが開かれ、周囲はちょっとしたお祭り会場。
後で調べたら、子どもからプロまで参加しての大がかりな大会だった。

もっとも、私が専ら楽しんだのは、さっきからヒップホップにのせた派手なマイク・パフォーマンスが住宅にこだまする、BMXでのスタント・ショーの方。


成功しても、失敗しても、顔を見合わせ、ハイタッチして、お互いを讃えあうメンバーの顔がすごくいい。
バンドでも、スポーツでも
こういうチーム・プレイのアイ・コンタクトにしびれる。
あ、この人たち、信頼しあってんな!~という瞬間を目撃するのが好きなのだ。


その感覚をこうしてハーレムの風景の中で味わえたのがとてもうれしい。

アクロバットが決まるたび、まるで我が子が出場するパフォーマンスを見るかのように歓声をあげ、拍手し、笑った。

ハーレムだ!ブラック・ミュージックだ!と
最初ははしゃいでいたけど、
歩けば歩くほど、私は街の表面をなぞって通り過ぎる、ただの観光客になっていく。

ぺらっぺらな自分に焦っていたからこそ、
風景の中に確かに存在する感覚が楽しかった。

ハーレムに、もう一度戻りたい風景ができた。