朝、カーテンを開けたら思いがけず晴れていたので
帰ってきたらセンタクモノが仕上がっているよう
洗濯機のタイマーをかけていった。
そしたら、見事に昼から雨じゃあござんせんか。
春の雨だと、レイニン・イン・マイ・ハートは浮かばない。
あの雨は、いつの季節を歌っているのだろう。
しかたないので
ベランダの内側に控えめに干す。
2人しかいないのに、まあなんでこんなにタオルがあるんだろう。
バスタオルは1枚。
珍しく、Yくんのアクリルセーターも。
今では皮膚科の先生に勧められたこともあるのか
1日に1度、多いときは2度シャワーを浴びる彼だが
不登校だったころ、彼はこまめに着替えたり
入浴するほうではなかった。
そしたらある日、不登校クラスの先生に言われたのだ。
「お風呂に入っていないのでしょうか。
クラスの女の子が臭いというのですが」
これには、たまげた。
ちゃんと彼に話した。
それからは少し気にするようになったらしい。
名誉のために言っておこう。
今の彼は、きちんとシャワーを浴びてます。
いずれにしても年ごろの男の子は臭う。
10代の頃は先に風呂に入られた日など
換気扇から台風でも吹き込んだかと思えるほど
残留物が浮いていたこともあり
風呂ふたをあけて、立ち尽くしたこともある。
実家にいたときは、どうだったんだっけ。
6人家族、一つの風呂桶に順に入っていたはずだが。
いや、そもそも私は10歳まで銭湯であった。
よく行く銭湯はちょっと離れていたので
父が車を運転し、家族みなででかけた。
妹、弟は年子であったから
母は自分の身体を洗うひまもなかっただろう。
2人を両脇に抱えて洗い場に入ってくる姿をおぼろげながら目に浮かぶ。
そんなわけで
私は、お風呂のおばちゃんという人に
面倒を見てもらうことが多かった。
一足先にあがるとバスタオルで身体をふいてくれたり
服を着せてくれたり、
目をかけ、手をかけてくれた。
今もなんとなーく、背中もよくふかずに
せわしくあがってしまうのは
そのなごりかな。
昔の銭湯には、深い湯船と、少し浅い湯船しかなく
大人が目を離したすきに、深い方に入って溺れたこともある。
髪の毛がふわーっと浮いて、お湯の湯面が
遠くにみえた。
あぁ、死ぬのかなあと思ったとき
ざんぶりと引き上げられた。
縁に出て涼んでたら
塀の向こうのおじさんと目があったこともあったなあ。
つまり、のぞきだったわけですが。
シャワーもない木桶みたいな風呂ではあったが
引っ越して内風呂になったときは、小躍りして喜んだ。
だが、それは年ごろとも重なって
一人で過ごす風呂ライフの始まりだった。
父や母が一緒に入ることもなければ、
もう、世話をやいてくれるおばちゃんもいなかった。
私は、声を出して、数字を数えることもなく
じいっと木の風呂桶に肩まで沈んで
たゆたうお湯のように、少しずつ大人になっていった。
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