2016年6月26日日曜日

誕生月

6月は誕生月だ。

facebookでたくさんのメッセージをいただいた。

素直にうれしい。

音楽が好きにならなければ
これだけの人と交わることもなかっただろう。

今年はSNSとほどよい距離を置こうと
他の人の誕生日にも積極的にメッセージしてこなかっただけに
ありがたいなと思う。

やはり一つ一つお返事することにした。

もし、このままおばあちゃんになって
社会との関わりも
だんだん少なくなっていったなら
誰からも声がかからず、
カレンダーを見て
ああ、一つ年をとったなと
心の中でつぶやくのだろう。

そして、そんな人は
おばあちゃんに限らず
この世に大勢いるのだろう。

感謝こそすれ
浮かれている場合ではないぞ。

よい一日を。とのメッセージを頂戴するが
まさにその日は
Yくんも寝ていたので
夕飯は
甘いアゲをのせた
うどんをすすっただけだ。

(後日、ロイヤルホストと焼肉につれて行ってくれた。サンキュー)


あとは、

桜田淳子が非常に魅力的だとの書き込みを読んで

映画「病院坂の首縊りの家」のことばかり調べていた。





気づいたり・学んだり。


気づき、学び、という名詞は
いつから盛んに使われるようになったのだろうか。

なんとなく居心地が悪い。

気づく。
学ぶ。
とはちょっと違うニュアンスみたいだな。

英語でなんというのだろう?と
英辞郎で「気づき」を検索したら

「色気づき始める」
be just reaching the age of adolescence

しか出てこなくて少しおかしかった。

そこには、気づいて、学んで
あなたって成長したでしょう
という他人からの期待感がこめられている。

気づくこと、学ぶことが
目標で
その結果はいつもポジティブ。

優等生なんだな。

地べたでのたうちまわって
もんどりうって
タマゴを産むような肉体が感じられない。


そこに、気づきとか学びという
言葉が入る余地はない。


ピュアに生きようとしている人は
生きづらい。

でも、そういう人ほど
日々、悩み、苦しみ
あるいは、一見ぼんやりと過ごす中で
何かをつかみとろうとしているものだ。





一時、仲のよい友人が
自己啓発セミナーにはまった。

久しぶり~とわざわざ訪ねてきたときは
だいたい怪しい。

どんなに自分が明るく前向きに生きられるようになったか。
目を輝かせて語ってくれる。

素晴らしい出会いがあるから
おいでよと。

私には、悩みを抱えていない時期などない。
変わりたい気持ちは常にある。

しかし不思議と、その手の話には
まったくこころを動かされなかった。

それはおそらく
いつも立ち位置がブルースにあったからだ。

ブルース、といわず
音楽に教えてもらったことが
私の血肉になってきた。

笑うかもしれないが、本当にそうだ。

そこんとこだけは揺るぎない。

幸せなんて簡単に口にしちゃいけない。
人生そうそう、うまくいくもんか。

自分のやりたいことはわかってる。
あとは自分がやるだけだ。





自分史セミナーで他己紹介とでもいうのだろうか。

2人1組になり、短い時間でインタビューしたことから
相手の良さを引き出して発表するというワークがあった。


そこで相方となった男性に
ここまでくるのに、
「せのおさんは
ブルースを相当勉強し、努力されたのだと思います」
と言われた。

考えたこともなかったな。

確かに時間はかかっているけれど。

そう言われればそうなのかもしれない。

ありがとうございます。

胸にとめておきます。




















自分史のアドバイザー資格

早起きして横浜へ。

自分史活用アドバイザー講座を受講する。
朝9時半から夜7時までの長丁場だ。

受付開始時刻から少し過ぎてから
部屋に入ると、4人がけ4つのテーブルはおおかた埋まっていて
一番前に座ることになった。


そのため最初の自己紹介も
トップバッター。
ついしゃべりすぎて、早く終わるよう促される。
はずかしい。

最初のワークは、生まれてから40年あまりのトピックを
Excelーシートに1年ごとに書き込んでいくというもの。

得意である。

物心ついてからは1年1年が
鮮やかに思い出される。

入学、結婚といった節目は基準になるが
それ以上に、出会った音楽や、夢中になった遊び、
出会った友だちの顔が、歴史の目印になる。

しかしさすがに30歳も半ばになると
だんだん1年というくくりが曖昧になっていくのは面白い。

セミナーの内容は実践スキルというより
こうした自身の人生を改めてふり返ったり
自身に問いかけるようなワークが多かった。

実際に相談を受けたときの対処法であるとか
編集法といった具体的な話しを聞きたかった気もする。

だが、文章だけでなく、映像を効果的に使う方法や
さまざまな自分史のあり方に考えを広げることができたのは
収穫だった。

なにより様々な経歴を持つ参加者の方と
お話できて、あっという間に時間がすぎた。

いろいろな分野でライターの仕事をしてきた私だが
結局いつのまにか音楽の話になってしまう。

そうなんだよな。
私が一番一所懸命関わってきたことって
やっぱりなんといっても音楽なんだ。

だから日経新聞にあるような社長さんの一代記なども
書いてみたい気持ちがないではないが
私の売りは、やはり音楽であり、カルチャーであり
市井の人たちの生活史なのだ。

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つい「ポジティブ・シンキングは好きじゃないなあ」
とぼやいてしまうことがある。

ポジティブを否定するわけではない。
ただ、陽のあたるところばかり礼賛するような
考え方にはなじめない。

自分史を考えるときも同じだ。

自分史は必ずしも成功体験の記録ではないと思う。

光があれば影がある
影の後ろに光がある。

ひっくるめての人生だ。

だからこそ誰にでもマイ・ヒストリーはあるのだろう。

その人の携わってきたことは
すべて今につながっている。

過去をたぐりよせ
「私は、ここにいる」
と確かめるのが
自分史の効用。

それをどう捉えるかは、その人の手に委ねればよい。

道の途中であれば
迷ったまま、そこに立てばよい。

30歳で自分をふりかえり、
また歩き出す自分史
なんていうものがあってもいいだろう。

つまずいてシニカルな笑みを浮かべるのであれば
それもまた、その人の選んだ道だ。

で、なんやかんやで
人生まあ悪くなかったかと思えれば
めっけものではないだろうか。