2013年10月17日木曜日

息子の選ぶ絵本ベスト3

今日はやたらにお誘いの多い日。

もう新年号の取材とか始めなきゃいけないのですが
あら、ここあいてます。
オッケー、オッケーと
GOOGLE カレンダーを埋めてしまう。

大丈夫か?と思わなくもないが
いや、流れにのっかることがよい場合もあるのだよ。


やなせたかし氏の訃報を受け
息子と、絵本談義。

絵本との出会いは、子どもを持ったことでの収穫の一つだ。

息子が好きだった本として選んだのが

五味太郎 『がいこつさん』

レイモンド・ブリックス 『さむがりやのサンタ』

ハーウィン・オラム きたむらさとし『ぼくはおこった』


そうだそうだ思い出した。
ガイコツさん、何をしたかったのか忘れて探しに行くのだ。
息子いわく、五味太郎は、ゴミタロウという響きもおもしろかった。
そしてあの繊細な青の色使いが印象に残ったという。

オラムを選んだのは意外だった。
地球規模で怒りをぶちかましまくり
最後にベッドと自分とペットしか残らない。
それを彼はしかと受け止めていた。

だいたい壊したり、怒ったりするところで
子どもはこれでもかとゲラゲラ笑う。
私も調子にのって身体全体で読む。

だからこそ最後の虚無感もまた、身体にしんと響く。

「おもしろうてやがて悲しきみたいなね」という息子に
おぉ、してやったりと私。

人生はせつない。
そんなペーソスを感じる絵本を選んでは読んでいた。

生きていくのに楽しいことも、つらいことも、虚しいこともある。

ブリックスの本にしたって、夢も希望もありゃしないと言えばそれまでだが
実は夢も希望も幻だということが伝わればよいのだと思っていた。
それでも生きていくんだ。

私は、林明子さんの絵本も大好きで
ほとんど買いそろえ
読んでやりながら泣いていたが
(読み聞かせ、という言葉が今ひとつ好きになれない)
男の子がベスト3を選ぶとしたらこうなるのだろうな。

絵本なぞ、興味のはじから読み散らかせばよいのではないだろうか。

絵本とは、世の道徳を教える本ではない。
娯楽なのだから。


人生において、最も人を慰めるものは何か。苦しみ、悲しみ、せつなさ。さすれば、バカを怖れたもうな。苦しみ、悲しみ、切なさによって、いささか、みたされる時はあるだろう。それにすら、みたされぬ魂があるというのか。ああ、孤独。それをいいたもうなかれ。孤独は、人のふるさとだ。
(坂口安吾『恋愛論』)


ただしこの後に「恋愛は、人生の花であります。いかに退屈であろうとも、この外に花はない。」と続きます。




2013年10月16日水曜日

横たわる場所

仕事場の冷たい床にさぶとん一枚枕にして横になると
驚くほど、深い眠りに堕ちることがある。

この日も季節はずれの暑さを疎ましく思いながらも
サッシ戸一つ向こうの晴れやかな日ざしを感じつつ
横になった。

どのくらい経ったか。

夢は見ていたと思う。

目をあけると、
目の前に乱雑に並んだ大小の本が並ぶ本棚がある。
どこなのかもよくわからなかった。
窓の外は薄明るい。
まだ暮れてはいないようだ。

あぁ、なんだ私の部屋じゃないか。

気がついて、身体を起こす。
五十肩だか腱板損傷だかで左肩を痛めているので
そちらをつかないように。

寝たというより、気を失っていたに近い。

最近、夜中でもあぁよく寝たと思い、時計を見ると
1時間ほどしか経っておらずがっかりすることがある。

床で寝るのは苦にならない。
裸足も好きだ。
スリッパをはかない、と言って友人に笑われるが
家にはスリッパなどという文化はなかった。
母や妹は「おねえさん、スリッパ!」
と他の家にお邪魔したとき私をたしなめるが
生まれてこのかた、足もとに意識がいってなかったのだから
なかなか治らない。

一度アスファルトに転がってみたいなと思う。
工事の人が昼休みに、日向をさけて
ごろりと身体を横たえているのが
なんともいえぬ休息に見える。
働いている人はいたしかたなくだろうから
薄っぺらなあこがれは申し訳ないが

あすこに横たわったとき、一体何が見えるのだろう。

弟も工場の昼休みに、アスファルトではないが
そこいらで昼寝をしている。

しばしの休息である。

ビッグ・ジョー・ウィリアムズは、旅の途中、宿もなく
ギターケースだかを枕に、道に横たわったという。
大事なギターやいくばくかの荷物は
盗られては一大事。身から少しでも離すわけにはいかない。
気の休まるどころではなかったかもしれないが
しばしの休息をとったのだ。

石に枕し流れに漱ぐ。

いまだ私の身体ではとらえきれない感覚。