2014年3月8日土曜日

校了の日、ブルースビフォアサンライズ

金曜日。

午前中、クライアントに出力を届ける。

その足で六本木事務所にて校了待機。

時間が読めなかったので
近くのコンビニでお弁当。
最近は、コンビニでも
ごはんだけは、炊きたてをもってくれるサービスがある。

おかずは、ササミしそ巻カツだった。
これ、好き。

春休みということか
ビル風の冷たい六本木にも
じゃっかん、浮かれた感じの若い人たちの姿が。

クライアントのやりとりの合間に
テープおこしをするも
ノートパソコンの小さな画面と
ICレコーダーにイヤホンでは、目にも耳にも厳しい。

ブルース&ソウル・レコーズの付録CDを
Nさんに渡して、かけてもらう。

あぁ、エルモアだ、ウォルター・デイヴィスだ。
ブルース・ビフォア・サンライズだ。

ストーンズにもクラプトンにも行かないわたし。

なるほど、言われてみれば
私の場合
そのどちらからもブルースへの道つけは
なされていないのだ。

日本のバンドからブルース一直線です。

そんなことをしているうちに校了。

他の人も色校データを入稿す。

帰りは車で家の近くまで送っていただき
Yくんも合流してファミレスで食事した。


2014年3月7日金曜日

産まれたときのこと。

6日木曜日。

朝起きて、したくをして
息子の部屋に向かい
「今日、行けないけどがんばってね~。ストーブ消してってね~」
と声をかけるも返事がない。

丸まった掛け布団の下は
もぬけのからであった。

すでに一人で起きてでかけたのである。

東京ビッグサイトで行われる展示会の
講演ステージに出るのだ。

公式サイトを見ると、ちょっとハスに構えたモノクロ写真とともに
“氏略歴”などとある。

ここだけの話、あの写真は
わたしが、家のふすまの前で撮った写真だろう。

加工されてカッコヨクなっておる。

彼はまだまだ、いかようにも加工できる。
伸び盛りなのだ。

子どもなのだが、肩書きのある一個人である。



彼は大事な家族だし、私は
子どもとみれば、すぐちょっかいを出す方である。
3人きょうだいで育ったので
子どもは3人でも4人でもいたら楽しいとの思いもあった。

しかし、
最初から母性本能があったかといえば、これどうだっただろうか。



臨月になると、早く産み落としたいとの思いが強くなり
陣痛の間、キャブ・キャロウェイのライヴに行けないことを嘆き
そしておよそ2晩、40時間をかけて産んだのが彼であった。

産んだ、と書いたが
私には自分の意志で産まれてきたように思えた。

顔を見たら、ちょうど2週間ばかり前に観た
ボビー・ブランドに鼻の格好が似ているような気がした。

産まれた赤子はその後、別室につれていかれ
しばらく私は分娩台の上に天井を眺めながら
うすぼんやり考えていた。

あの子は、私と別の身体、一個人になったんだ。

私がもしここから逃げてしまったとしても
彼はもう一人の人間として生きていくんだ。

と同時に、彼が立つことどころか
酸素を吸って吐いて、乳を飲んで、おしっこをする以外に
まだ何もできないということに愕然とした。

どうやって、一個人は一人前になっていくのだろう。

そんなことは、どこにも書いてないし
だれかに教わるようなことでもなかった。

しかし、彼はつまづき、ひっくり返りそうになりながらも
ところどころで、産まれたときと同じように
一個人のパワーを発揮しながら
ここまできた。

すごいな。






2014年3月5日水曜日

なんとかならない星回り

毎月、この週は校了、校正が2つ重なり何かと慌ただしい。

ただし来月まで。

片方の仕事はチームごと、おりることになった。

収入は少なくなるが時間はできる。

なんてのんきに構えてるけど、今日通帳記入したらあわてました。

辞めると決めた仕事、何かと納得のいかない時間を
費やすことが多く、チームワークも乱れた。
何より断ざるを得ないイベント、作業等が目白押しになってきたことで
じくじくと心に膿がたまっていくのを感じていたのだ。

しかし請け負っている限り、まだ真摯に仕事。
そしてトラブルもあり。

とりあえず夜11時には終わることにする。

ある占いで
つい数年前、これからはあなたの星は生きづらい時代と言われた。
2010年から36年間。

死ぬまでか!

わたしの星、それはつまり、
今が楽しけりゃいいじゃない、明日はなんとかなるさと
好奇心のおもむくまま
口八丁、手八丁で乗りきる、虚業の星である。

これからはそれは通用しない。
こつこつと積み重ねる、実業が強くなる。
だから、明日は明日の風が吹くという姿勢、
後先を考えずお金を使うクセを改め
地道に生きる道を考えよ、というのだ。


言われてみれば、占いはともかく
あのころのやり方が
忘れられないばかりに、往年の輝きを失うことは確かにある。

バブルの頃に隆盛を極めた某キー・テレビ局は
“あのころ”に、しがみついていたら
あれよ、あれよと後退してしまった。

世の中、まだまだ虚飾に満ちたものは多いと感じるが
ますます、実をとる時代になっていくのであろう。

裏を返せば、実を求めすぎ
想像力に負う、のりしろの部分が少なくなっていくのかもしれない。


こないだ、お風呂で髪を洗いながら
わたしもいつかは死ぬのだな、と思い手をとめた。

年齢をとる、老人になっていくということも
まだ実のところは、半信半疑だったりする。











2014年3月3日月曜日

リカちゃんひなまつり。


クライアントの元に校正を受け取りに行く。

いつもよりページ数が多い。

修正はスムースとは言い難く、
デザイナーさんたちの不満な声、顔が思い浮かぶ。

ディレクター、使えない、と言われているのだろうなぁ。

春先にしては風が冷たかったが
帰りの電車では、窓から射し込む日ざしに
エナジーを感じる。

3月3日、ひなまつりか。

雑居ビルの一室で育った私の家には
立派なおひな様などなく
いつもリカちゃん人形を飾っていた。

一軒家(借家だが)に越してからも
それは変わらなかった。

一度、そのリカちゃん雛飾りの台の前で
妹がひっくり返っていたことがあり、
騒ぎになった。

供えてあった甘酒を飲み干してしまったのだ。

まぁ、そんなことも含め
楽しい思い出。

Yくんには先日、ひなまつりわたがし、を買ってやった。

考えてみれば、もう20代も半ばなのだが。

クリスマスブーツでも、ひなあられ、でも、子どもの日の
お菓子のついたコイノボリでも
私が、ただ買ってやりたいだけである。

だから孫をかまいたい気持ちはすごくよくわかる。

誰かに何かをしてあげることでしか
自分の存在を確かめられないのは
危ういことかもしれない。

でも、それが歓びであることは確かだ。

2014年3月2日日曜日

健診、そして一番街でコージーのライヴ

健康診断に行く。

近くの医院。

いつも比較的空いているが、設備はよい。
決して愛想がいいわけではないが
先生の一言を聞きたくて受診する場合もある。

血圧をはかっていると
「今日は救急車が多いですね」
と先生。
寒暖差が激しいからですか、と聞くと
医者としては、気になるのですという。

私の問かけに対する明確な答えではないが
お医者さんは救急車のサイレンに敏感であり
耳をそばだてているのだということだけで
私は感心するのである。

レントゲン。ブラウスのボタンに金属がついていたので
脱がなくてはいけなくなった。
ブラジャーをしていますか?取って下さいと言われ
ヒート下着一枚となる。

いつからか、X線撮影は
金属でもつけていない限り
服を着たままでも咎められなくなった。

以前、赤ん坊と一緒での産後の集団健診だったか、
レントゲンを撮るというので
よっしゃ、わかった!と
カーテンのヨコで迷わず上半身を脱ぎ捨て
両手で胸を隠して列に並んだら
皆Tシャツを着ており、恥ずかしい思いをしたことがある。

心電図。腹囲測定。採血。

やはり、左の腕からはとれない。

「医者は、採れないとあわてるものなので
これから、こういう機会があれば
できれば、採れる方の腕を告げるようにしてください」

お医者さんも、あわてるのかぁ。

その後、採尿、身長、体重検査。

「更年期を過ぎて2センチ(だったかな)以上低くなっていたら要注意です」

低くはなっていなかった。

ただでさえ、小さいのだ。

私と同じくらいの背丈の母は
年をとり、今は私の目線より小さくなった。

もし長生きすることがあれば
私もあのくらいコンパクトになってしまうのでろう。

大腸癌検診も予約する。
昨年、お世話になった方がこのがんで亡くなった。
伯父もまた大腸がんである。

「今は昔と違いキットがとてもよくなっています」

先生、懇切丁寧に説明してくれる。

健診もそうだったが、こうした癌検診も
昔と比べ、とてもスムーズにできるようになっている。
公的健診であれば、数百円だ。皆さん受けないのは損ですよ。

夜、焼きそばを食べてから
シモキタに行く。

バックペイジという昨年末できたお店で
コージー大内ライヴだ。

住所を見たときから、前のアパートの近くだと気づいてはいたが
本当に2軒隣であった。なつかしや、一番街。

ライヴは満員。
コージーもいい調子で歌い、しゃべる。

始まるまで、独り、所在なくカウンターの隅っこに座っていたが
コージーを見つけ、途端におしゃべりとなる私。

教師だったというマスターはコージーと同郷で
60~70年代の国内外ロック、スワンプ系がお好きとのこと。
相当量のアナログ盤。

力の入りようが伝わる。
ずっと夢見てきたお店なのだろうなぁ。

焼酎、また珈琲もたくさんの種類がある。
店の半分は、奥様担当のアンティーク雑貨。
奥様のお店は福岡にもあるようだ。

最近の日本のミュージシャンはあまりご存じないようだったが
これからアコースティックなライヴが
ブッキングされる機会も増えるかもしれない。