2014年1月4日土曜日

自転車はどこへ。


3日。

スーパーへ行こうと思って
カギを持ってふらふら自転車置き場に行ったら
おや、ない。

ないぞ、自転車が。

Yくんのはあるが、
私のは、ない。

カギは合鍵も含めて2つある。

これは、持って行かれたかなぁ。

しかないので歩いてスーパーへ行く。

途中、交番の前を通って。
しかし幸か不幸か「パトロール中」の札が立っていて
寄るに寄れなかった。

あのママチャリ、8年になるのだ。
オンボロだが、百円ショップで買った黄色いベルを
付け替えて乗っている。

昔、MACは人の心が分かるから
そろそろ新しいパソコンがほしいなぁ、なんて
つぶやこうものなら、調子が悪くなると言われたことがあった。

買い替えようなどと思ったのがいけなかったのか。

帰ってきて昼ごはんの支度をしたあと
Yくんに言ったら
「なぜ交番に行かないのか」
と激しく追求される。

しかたないので、交番に行く。
大通りを眺めているおまわりさんが見える。
私が悪いわけではないのに、
だんだん、どきどきする。

盗まれたのですが、と決めつけてよいのだろうかと迷い
「○○マンションの者ですが、どうも止めておいた自転車がないのです」
と話す。

すぐに手続きをするのかと思ったら
「カギはかけていましたか。そう。こないだも、そこに止めてあった
自転車がなくなったんですよねぇ。
まず管理人さんに聞いて、それから防犯登録ありますか?
それを持ってきてください」
と言われる。

帰ってきてそれを話すと
Yくんは「職質されたとき、名前と住所で登録を調べてくれた」
と納得がいかない様子。

3が日から訪ねたくないがと思ったが
管理人さんの部屋に行き事情を説明するも
特になんの手がかりも見つからなかった。

あぁぁ、買うことになるのか。
いや、今度買うなら、ママチャリでないのがいいな。

自分自身、ゲンキンなものだと思う。



夕方は新宿のベルグに寄ってみた。
満席のため並んで入店する。

たまに打合せしているる人もいるし、友人、あるいはカップルもいるが、
基本的にここは個でいられる場所、
個に帰る場所だ。



2014年1月3日金曜日

全記録。


2日。

風が出てきてさむい。

親戚へ挨拶に行った帰り
近所のショッピングセンターへ。

車に乗っているとき
「今日は山がよく見えるな~。形もいいね、榛名富士だな~」
と、はずんだ調子で指さしたら
「あれは赤城山!」
だと。

弟、飼い猫のことばかり言っている。

結婚がすべてとは思わないが
だれか話し相手になるような
ガールフレンドでも嫁でもいないものか。

自営業は厳しい。

新年のテレビでは、昔の芸人さんが
少しでも観られるのが好き。

大根に穴あけて吹いてみせるとか
ラッパから旗出すとか
ばかばかしいことに全力を注いで
皆を楽しませようとする人が好きだ。

本などもいろいろ読んだが
追っつかないでいる。

そういえば、弟に
『江戸10万日全記録―実録事件史年表 』(明田 鉄男雄山閣


という本を貸した。

江戸時代に起こった毎年毎年の事件が見開きで載っている。
巻末には、地震、火事等のテーマ別、
さらに人名索引もついた労作だ。

八百屋お七、鼠小僧といった
芝居のネタになったような人もいるが
およそ無名の庶民達が主役である。

チョウセンアサガオを煎じたのと
解毒剤を一緒に飲ませて
治療費をせしめようとした“ニセ医者”

イヌも喰わない夫婦ゲンカから派生した殺生、

事件を通じて江戸という時代に、人々が生きていた。
確かな生命が感じられて、どのページをめくっても面白い。

そして、人間のこすい所、せこい所、庶民ゆえの哀しさなど、今も昔も変わらない。

そういえば私も
『来日ブルースマン全記録』
という本を作ったことがある。

人々の営みを記録したい
人々の記録に触れたいという欲求は
人より強いのかもしれない。


湯豆腐と、すき焼きの残りを食べて
夜、帰宅。

弟と妹が母親にお年玉をあげていたと知り
あわてて、包む。
ポチ袋もなかったので、文具屋の袋で。
すみません。







2014年元旦


元旦。
暖かな日。
10度を超えるとあったかい。

午後は、車で1時間くらいのところにある
ショッピングモールへ行く。
田んぼの中の道を走って行く。

モールだけで完結する世界。

東京で見かけるような
一般的なブランドは
ほとんどある。

東京にいるのに
どこの店で買い物してよいか
わからない私。

悩みに悩んだあげく
スカート1枚買う。30%引き。

帰るとまもなく妹夫妻、そしてYくんも到着。
コンロを2台出して
すき焼き。

家では買わない品のいい牛肉、しいたけ、ひらたけ、しめじ
豆腐、しらたき、ねぎ、春菊、
そしてやはり人参も入れる。

千六本(らしき形)にしていたら、妹、私の手元を見て、くくくと笑う。

いつもより煮詰まるのが早く
セブンイレブンのロゴが入った
紙パックの鬼ころしをどばどば継ぎ足す。

その勢いに負けじとばかり皆、よく食べた。
山のような春菊もきれいになくなる。

妹の婿さんHくん、缶ビール1本半。
わたしコップに半分。
Fくん、ノンアルコール黒ビール少し。

妹夫妻、そしてYくんも
あわただしく帰って行く。
Yくん、玄関を出たときに空を見上げ
「星がきれいですね~」
としみじみ。

本当だ。冷たい空に、オリオンの3つ星もはっきり輝いている。


夜、指輪の石がないことに気づく。

3本の金具がむきだしで
台座だけになっていた。

むかしシモキタのアパートにいたころ
隣の家で飼い始めた小犬を
かまっていて気づいたら
指輪の青い石がなくなっていたことはあった。

あいつ、食べてしまったのだ、
母に買ってもらった
ブルーのムーンストーン。

なくした石と何も引き替えにしたくはない、と思った。





2014年1月2日木曜日

春夏秋冬いま


あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

旧年中は相も変わらずの
無礼なふるまい、失言も多々あったかと思います。
どうぞお赦しください。

とにかく、やらないと後悔しますよ。

大晦日から実家へ。
親戚への手みやげなどで、カバンぱんぱん。
なんとなく懐かしく、百貨店であんみつを買った。
やらないだろうに、仕事の資料も持ってきた。
電車、混んでいる。


母、弟と刺身、鮭などで夕飯。
ビールなど買ってあったが飲むのを忘れる。
やはりどうもお酒を飲む習慣がないようだ。
「お屠蘇でも飲んでみるか」
と新年の朝、皆で好奇心半分、
猪口など口をつけてみたこともあったが
長くは続かなかった。

紅白歌合戦、観る。
母は、今年も新聞の曲順表に
×をつけていく。
歌を審査するのではなく
終わった人を消していくのだ。

ここまで歌が聞こえてこない年も珍しいなぁ。
応援合戦らしきものもないし。

演歌の歌手に、心ここにあらずで
つくり笑顔で寄り添うAKBたちが虚しい。

泉谷は、あれがベストだったかは別にして
いつもどおりだったのだろう。

久しぶりにあの歌を一緒に口ずさんだ。
もう40年も知っている歌だったのに
少し歌いよどむ。

今日ですべてが終わることも報われることも
かといって、始まることもないのかもしれない。

そういう意味では
確かに懐かしい歌ではなく、今の歌だった。
春夏秋冬2013 だった。

紅白が終わったころから
炬燵にあたりながら
弟とノートパソコンを開いて
itunesなど楽しむ。

Elizabeth & ポール・バターフィールドや
ジェームズ・コットン
ザ・バンドを大音量で聞く。

あぁ、いいねぇ。

布団の中で思ったけど
実家でもブルース、マイク談義できるなんて
稀有な環境なのかもしれない。

今年は弟への誕生日プレゼントと
いつも息子ともどもお世話になっているお礼を兼ね

ダニー・ハサウェイの4枚組(日本盤)をあげたのだった。











2013年12月31日火曜日

ありがとう。大瀧詠一さん


ブログを書こうと準備していたら
大瀧詠一さんの訃報が友人から。

悪い冗談ではなかったようです。

悲しいというより、いまは悔しい。

そしてなぜだか、何に対してだか腹がたってきました。

「埼玉県のタナカミエくん」

GOGOナイアガラで、
ハガキを読んでくれたときの
声を思い出します。

ヴォーカリストとしてもですが
話しているときの声がすきだったなぁ。

音楽を聞く楽しみを教えてくれた方。
ニューオーリンズ音楽も
コーラスグループも
ロックンロールも
三橋美智也も
コミックソングも。

精神的支柱でした。

70歳、80歳の大瀧さんから
アメリカン・ミュージックや
戦前、戦後の歌謡曲に関する
豊かな知識を聞くのを楽しみにしていました。

ご冥福をお祈りしますと書くべきところですが
不謹慎だとはわかっていても、
冗談なんだよねと
と笑って皆の前に立ってほしい。

ONDOが哀しい。

3日前も、レッツ・オンド・アゲインを
息子と大音量で楽しんだばかりだ。

布谷さん、天国で驚いていますよ、大瀧さん。

2013年12月30日月曜日

お茶漬けの味


神妙にしていたわけではないが
一日、表に出なかった。

昨晩 1合炊いたご飯を
3食食べる。

朝、茶わん半分を納豆と梅干し。
ごぼうと人参のきんぴら、キュウリとタコの酢のもの
(いずれも出来合いの残り)

一人でも、小さい方のまないたを出し
ネギなど刻むと、あぁ今きちんと暮らしている
という気分になる。

あと半分は、大根の味噌漬けをのせ
お茶漬けにする。

日本茶が好き、お茶漬けが好き、である。
小津監督の映画でも
一番気になった題名は『お茶漬けの味』だった。

一番好きなのは、だいだい色した大根の味噌漬けに
かつおぶしをのせ、ちょっと味噌もいれて
かつぶしの踊っている間に
あっつい緑茶をかけたやつだ。

小さい頃から好きだった。

おそらくは信州出身である父親の影響だろう。

父は、おにぎりをこさえる時も
ぎゅっぎゅっと、丸い大きなにぎりめしの
両側に、指で、たっぷりと味噌をつけた。

ただ、それだけ。

友だちは、その大雑把さに面食らい
口にするのをためらっていたが
食べてみたら、案外いけたようだ。

そりゃ、そうだろう。
悪かろうハズもない。
味噌の味しかしないのだから。

私はその後も、味噌味を好んだが
ラーメン屋で味噌など頼もうものなら
「おねえさん、下品だねぇ、ミソだって」
と父は冗談めかして笑った。

入院したベッドの周りで
「みえねえさん、味噌が好きなんだよね」
と笑うと、
脳梗塞で話せなくなっていた父親は
にやりとした表情を浮かべた。



夜、納豆とネギのオムレツ
イシイのチキンハンバーグ

子どものころ、イシイのチキンハンバーグを食べたとき
熱湯であっためるだけで
こんな旨いものがあったのかと感動したものだ。

今は少し味が変わった気がする。

オムレツには、ケチャップとマリーシャープスを混ぜたのをかける。

バカ、と書いてみる。


息子の台湾実況ライヴを観る。
親ばかである。

スーツ着て、アイゲンハープかかえて、歌っておった。

もっと暴れろ、と心の中で思う。

台湾語のコメントでアイゲンハープを「新兵器」
と書いてあるものがあり笑う。




2013年12月29日日曜日

今日はひとり。

Yくん、台湾演奏旅行へ旅立つ。

今回は、2泊3日のあわただしさ。

アイゲンハープの入ったハードケースを左手に
右手でカラフルなカートを引っ張ってでかけてゆく。

希望にあふれた背中だ。

途中、地下鉄の車内から
すいてるよ、メールと共に

「物事は常に斜度45の線を描いて進むわけではなく、
ものすごくでこぼことしたものだということを
忘れないでね」

とのメッセージ。

今後が不安だという私のネガティヴな発言を
受けてのものだ。

つまり
「下がったら上がるだけ」

25歳に言われたくない気もするが
なかなか彼の冷静なアドバイスが
身に染みることは多い。

毎日、息子のことを書いているようですが
たった一人の家族なので
お許しください。

友だちは早く子離れしろ、と言うし
わたしも、そうしたほうがよいと思うのだが
結構しゃべる親子である。

最近のお母さんは
電車の中でもおおむねベビーカーに子どもを乗せたままである。
あるいは、隣り合っていても
スマホをいじっている人が多い。

私の頃はもちろんスマホなどなかったわけだが
ふりかえれば
とにかく子どもに見せたいものが多すぎて
できるだけ抱っこしては
車窓の風景やら、車内の中吊りやら、看板やらを指しては
しゃべりまくっていたような気がする。

私はいまも車の助手席に座ると
外の風景を見ては、ああだ、こうだ、しゃべり続ける傾向にある。

この世には面白いものがたくさんある。

教育的見地からとかそんなものではなく。

面白いもの、こころ動かされるものを
子どもにも見て欲らわずしてどうしようか。


今朝、熱があり、診療も今日までということで
久々に耳鼻科に行ったら
子どもたちもたくさん来ていた。

そこでは備え付けの絵本を読んでやる
お母さんの姿も。

母子なんて別段何も変わっていないのだろうなぁと思う一方で
やっぱり何か違ってきたのかなと思ったり。

診察のほうは、やはり副鼻腔炎をこじらせていた。

先生は、鼻の中を見ながら
あぁ~、どろどろだね、と、少し眉をひそめたように見えた。

先にクスリのついた長い金属の棒を
鼻に突っ込まれながら、スミマセンと、情けない気持ちになる。

ネブライザー(吸入)をやる。

壁に向かい、神妙な顔で
鼻に器具を突っ込んでいる様は
いつも想像すると珍妙である。

吸入器の上には、たくさんのぬいぐるみが並んでおり
なぜかクジラが多かった。

薬局で抗生物質など3種類を出してもらう。
初めて行く薬局だったのでカルテを書く。
あわせて
「チェーン店なのでよろしければ、会員証にもご登録ください」
と言われたが、保留にした。
薬剤師さんたちが、妙に丁寧で
いかにも会社員という感じがしたのだった。

家に帰り、ごろごろしながら
意外と日ごろじっくり読めない
レコードコレクターズ、ブルース&ソウル・レコーズなど読む。
杉浦日向子さんの「風流江戸雀」など
積んであった本も。

「風流江戸雀」。こんな色っぽい話だったっけか。

夕飯は「深夜食堂」を見ながら
豚汁を食べる。

クスリのせいか眠くなって、素直に寝る。
今日は一人で人けがないので、iPadのラジオアプリでブルース。

私は一人暮らしをしたことがない。

布団に入っていても、いつもどこからか
人の体温と暮らしの擦れ合う音がする中で育った。
大人になってからも、だいたいわさわさしていた。

寂しい、というのともまた違う。

それでも、いつのまにか寝入って
目覚めたら11時頃だった。

あぁ、わたしは、寝たかったのだな。

夜中に起き出し、
年明けに出す原稿など整理して
髪の毛を洗いたくて、お風呂に入ったりしていたら
夜中3時半になってしまった。