2011年5月3日火曜日

細野晴臣 Hosonova コンサート

5月1日 日比谷公会堂

日比谷公会堂の階段をあがっていくと
ごった返すロビーからラッパが聞こえてきた。
救世軍の社会鍋だった。

会場が日比谷公会堂というのが
まずすてきだ。
昭和4年築というから
母親と同じ年齢だ。
「開場式で、新聞を破いた音が参加者全員に聞こえた」
とWIKIはある。
それほど、音の響きに繊細な会場なのだろう。

1階席と2階席のシート数がほぼ同じなのも面白い。
東京育ちの細野さんにとっても
思い出のある場所なのかもしれない。

ボビーブランドとゲイトマウス・ブラウンの最初の公演も
確か、この公会堂だった。
感極まってステージ下まで駆け寄った友人が
ボビーから頬にキスを受け、
花束をもらって帰ってきたのも
懐かしい思い出だ。

細野さんは、
黒い蝙蝠傘で顔を蔭にしながら
下手より登場。
最初は高田漣、コシミハルとのトリオで2曲ほど。

リラックスしたいのか
細野さんの足もとは、バブーシュのような靴に裸足(だったように見えた)
そして「おしゃれじゃないとね」
ということで、メンバーの衣装は基本“ボーダー”。

続いてSAKEROCKなどで活躍する伊藤大地のドラムと
伊藤航のウッドベースが加わる。

「リハではうまくできたんだけどね」
と、おなじみのセリフ。
問わず語りのような細野さんのMCも
ゆったりとした時間の一部だ。

皆、すごく丁寧に演奏していることが
視覚的にも伝わってくる。
だがそれでも
「Smile」のようなスタンダードは
もうひとうねり、欲しい感じ。
気持ちが開放しきれないじれったさが残る。

しかしそうした中で
最初から最後まで一貫して全体を引っ張っていたのが
高田漣のプレイだ。
彼はもう紛れもない、もう一人のティンパンアレイですね。

「ガイガーカウンターを買って測定してるんですけど」
上がったり下がったり、まぁちょっとずつ漏れてますよね。
コンサートやライヴに来るのは大丈夫。

などと言いつつ、クラフトワークの
「Radio-Activity」を。

「テクノをアコースティックでやるとこうなります」

よどみながら揺れているようだ。

「ギター持たされるとギター弾きます」
「YMOではベース持たされるんで、ベース弾いてます」

さてお待たせ!
鈴木茂、林立夫が呼び込まれる。
途端にサウンドが立体的にスパークし始める。
五角形にも十角形にも時には球形にも姿を変えて。

愛用の赤いストラトに
エフェクターやスライドを駆使しながら
ちょっとやんちゃな面もみせる、鈴木茂のギター。
シンバル一つ、ブラシ一つ、色っぽく歌うミッチのドラムス。

そこにさらに矢野顕子が加わっての
「終わりの季節」。これは素晴らしかった。

あの「終わりの季節」だからなのか、
あるいは、細野さん自身も「豪華だね」という
このメンバーだからなのか。
いずれにしても一枚の絵が見えた。
景色に酔った。

ここで余韻が残る中、矢野アッコちゃんのソロコーナーへ。

細野さんの曲をたくさん歌ってきたけどそれは
「いい歌が多いから」
「そして価値が変わらないからです」
と微笑んで、「無風状態」と「風をあつめて」の2曲を。
この人はフォルテシモとピアニッシモで
空気を変えてしまう。
やっぱり本当にプロフェッショナル。
圧倒的だ。

でもなんだかトリビュートみたいだよ、と
少々せつなくなる一瞬も。

再びメンバーがステージに集まり
細野さんも椅子から立ち上がり
ギターを抱え軽くステップ。
「香港ブルース」「Pom Pom蒸気」と
おなじみの曲が続く。

さらに矢野顕子に代わり、佐藤博が加わり
「ブギだね」となれば
こちらのテンションも登り調子だ。

佐藤さんはハックルバック時代に
私にブルースへの扉を開いてくれた一人。
(間接的にですが)
そりゃ個人的にもテンション上がります。

しかし、欲を言えば
ホールじゃなく、中華街のレストランとか
どこぞのサロンなどで
「蝶々サン」に手拍子など打ちながら
ほろ酔いで盛り上がりたい。

細野さんは
今や雲の上の人のような扱いになっている
ところがあり
お客さんもその一挙一頭足を見逃すまいと
固唾を呑んで見守っているような雰囲気がある。

ちょっともったいない。
ちょっと窮屈。

そんな中「タイタニック!」
「はっぴいえんど!」
と合いの手を入れてた、おじさん達のグループは
楽しそうだった。
「エイプリルフール!」には
さすがの細野さんも「古いヨ」と苦笑い。
するとすかさず、やや小さめの声で
「キャラメルママ!」と
畳みかけてたのには笑った。

しかし、盛り上がってきただけに
アンコールは「はらいそ」一曲なのは残念だったな~。
バリバリとしたのを1曲と
バンドでスタンダードを一曲聴きたかった。

それでも拍手に応え、
へのへのもへじが描かれた
暖簾を使ってのご挨拶をみせてくれた
細野さん。

植木等よろしく
おどけて踊りながら
はけていった後ろ姿を目にやきつける。

表へ出ると、日比谷は小雨だった。

WOWWOWの中継車が来ていたので
いずれ放送があるかもしれない。

2011年5月2日月曜日

スカイツリーが見張っている 浅草雑記

●4月30日


渋谷のデモを気にしつつも
友人と待ち合わせする浅草・雷門に向かう。
渋谷からは銀座線だ。

30分ばかりも乗るので、仕事のメモをとったり
本を読んだりすることにする。

隣に座っている女性は、
ケータイでメールを打ちながら、
私の世界に入り込むなとばかりに
隣り合った腕に力をいれている。
髪のかぶさった顔だけでは
若いのか若くないのかよくわからない。
いつか隣にうざいおばさんがいると
メールの相手に告げ口するのではないかと
やきもきする。

地下鉄が終点をしらせ、ホームにおりると
あぁ、この臭い、浅草だ。




いっとき、観光客激減と聞いていたが、地下鉄を外に出る階段には
ぞろぞろぞろぞろと若いのも足のおぼつかない者も列をなしている。
あら、これは今日は何か催しでもあるのか。
へんな日に来てしまったかと後悔するが、
表へ出たらただ単に人の出が多いだけだった。

道の端に人力車が並んで客を引いている。
たまに見ると珍しくてよかったが
ここまで増えると、気恥ずかしい。

音楽好きの仲間らしく
雷門の前から、音のヨーロー堂をめぐり
マルベル堂を冷やかしてから、浅草寺にお参りした。

大正時代からここにあるヨーロー堂は
「CDじゃだめなのよ~。カセットはないかしら」
とおばちゃんが言ってるような店だ。
演歌だけじゃなく
国内バンドのCDもあって、たまにだが来るたびに
軽いショックを受ける。

世の中では本当にいろんな人たちが活動し、CDを出しているのだなぁと
へぇ~、やぁ~~、などと驚いてばかりいた。
ハジから買ってしまいそうだったので
今日は見るだけにする。

マルベル堂では、ジャクソン5の絵はがきを買った。
「高田みづえがさぁ、知ってるだろ、お相撲さんと結婚したぁ、大田裕美はさぁ・・」
などと、店の中で大きな声で、見つけたそばから
連れに、どうでもいい情報を解説している男がいる。
ちらと見たら、案外、若い。
連れにというより、店中に、知っていることを自慢したいのだ。

店を出て、行く先を見上げたら
アーケードの向こうから、スカイツリーがのぞき込んでいた。
わっ!とはしゃいでカメラを向けたけど
おっかないなぁとも思う。
もう浅草の風景はスカイツリーから逃れられないのだ。

              




















● ● ● ● ● ● ● ●

観音さまにお参りして、スマートボールをやりたいという友人の提案に従い
ローラーコースターの轟く音と一緒に
きゃー、きゃーと、一定の間隔で歓声が聞こえる
花やしきの横を、ふらふらと歩いた。



死んだ父親が歩いたら、浅草も変わったねぇとつぶやくだろうが
それでも、ここの町には、変わりようがないところが多い。

いったい、1日に何着売れるんだと思われるシャツを売ってたり
天ぷらを食べさせるだけにしては、こってり仰々しい看板があったり
映画館には任侠者のでっかい映画のポスターが貼ってある。
缶チューハイを手にしたおじさんが、えらい機嫌よさそうに
脇を通り抜けていく。

楽しい。
楽しいのは、まるごと、現実味がないからかもしれない。
観音さまに手を合わせるとき以外は
現実逃避を許しているようにも思える。

意外に若い人が多いのもそのせいだろうか。
きっとある年齢より上の世代は
もうさんざん浅草には来たので、たくさんなのだ。






むかし、にこみ通り、今、ホッピー通りと呼ばれてる
外飲みのできる一画で夕方明るいうちから飲んだ。
通りに面した小さなテーブルをパイプ椅子で囲んで
コンビーフを煮込んだような牛の煮込みとか
イカのピリ辛炒めなどを食べる。

おねえさんたちが必死に客を呼び込んでいる。
どこからどこまでが隣の店なのかよくわからない。
向かいの店の前で、ビールケースを裏返してつまみを並べ
一杯やり始めたグループのところで
こっち側にいた化粧の濃いママが、オーダーをとっている。

仕事でもなく、明るいうちから
どうということもない話をして飲むのはこれまた楽しい。
でも、浅草のような気もするし、どこかほかの街のような気もする。



              

        ● ● ● ● ● ● ● ●


それにしても、
相変わらず、ふいに顔をあげると
スカイツリーに見張られている。

吾妻橋のところからもよく見えるが
アサヒビールのおかしな建物があるせいで
威圧感は、いくぶん帳消しになる。




風水には全く疎いが
皇居の北東に建つ、
江戸の外、川向こうにできたあの塔は
結界を破る建物なのか、それとも新たな結界なのか。
よくわからないが
空を変えたのは確かだと思う。

小さいころ、浅草にきたら
観音さま、花やしき、天ぷらの葵丸新と、コースは決まっていた。
浅草観光とは、街の中の巡礼なのだ。

今度は、一人を引き受け、町の中を
ぶらぶらとめぐろう。
飽きるまで隅田川を眺めよう。

その時は、きっと
一人じゃなく、
今度はだれかと来たいと思うのだろう。
堂々めぐりだ。
でも
辻褄の合わないところ、
それもまた旅なのである。