2017年1月24日火曜日

葬儀番外編

葬式に行く前に
葬祭用のバッグを引っ張り出してよくみたら、角がすれていた。

困ったなあ、と2つのバッグに分けていると
貸してあげましょうかと息子。

気持ちはうれしいが
しかし、さすがにporterのショルダーというわけにはいくまい。

最近は、もう黒ければ構わないわよねえと
叔母たちも集まるとうなずいているが
いくぶんフォーマルな黒いバッグがほしい。

あなたの持ちものは、赤いのばっかりですからね。

息子はそういって私を送り出した。

五反田。

バスの発車まで時間があったのでコンビニで、
白のハンケチ、そして、コーヒー。
手持ちのハンケチの類はみんな柄ものだったのだ。

クジをお引きください、と促されるままに
クジボックスに手を入れると
「アタリです。お持ちになりますか」
と店員さん。

反射的に、はい、と答える。

だいたい、この手のあたりは
店内にある、ちょっとしたお菓子か、ドリンクなのだ。

だが、こともあろうか
店員さんが持ってきたのは
箱に入った太田胃酸だった。

面食らう。

まあ胃が弱いのだからいいかと思いながら
小さなバッグにぎゅうぎゅうと太田胃酸を押し込んだ。

葬儀も精進落としも終わり
帰りはいとこの車で五反田まで送ってもらえた。

そしてそのまま新宿のタワーレコードへ。

帰りは真っ黒装束に黄色いタワレコの袋がワンポイントになった。

2017年1月23日月曜日

いとこの葬式

5つ下のいとこが亡くなった。

しばらく患ってることは噂に聞いていたが
急なことだったらしい。

三田の叔母がごはんを呼びに行ったときには
もう事切れていたそうだ。

お通夜には参列できなかったので
葬儀に出席するため、桐ヶ谷へ行く。
五反田からバス。

でっかい斎場の方かと思ったら
正面のお寺がその場所だった。
親戚は大方、2階に集まってお茶を飲んでいた。

叔母の家の隣にあるお寺の和尚さんが
お経をあげにきた。
お経をあげながら、指先や手のひらで器用に様々なポーズを
作るのでちょっと驚くが
ソワカ、という文句に真言宗だと気づく。

昔、取材で歩いたとき
真言宗のお寺にこの文言をあげるよう記してあったのを
印象的な響なので覚えていた。

最期のお別れだと
お棺のそばへ促される。

じっとこらえていた叔母が
よくがんばった、と声をかけた。

小さい頃は、千葉の九十九里に近い母の田舎に
親戚があつまると、仏間に子どもたちが並び
まだ若かった伯父の合図で
順番に(年の順が多かったと思う)
でんぐりがえしをしたり
飛んだり跳ねたりしたものだ。

そのころの、にこにこした顔しか思い出せないものだから
お棺の中に横たわっている男性は
もう別のものだった。

運転免許証を拡大したという遺影のほうが
まだ面影があった。

ふと気づいたが、今は石でお棺を打たないのだろうか。

歩いて斎場に移動して火葬場へ。
なにしろここは江戸時代の黄金餅に描かれた焼き場だ。
規模が大きい。

5つか6つ焼き場が並んでいて
うちよりも、もっとこぢんまりと家族が集まっている所もある。
品のいいおばあちゃんが遺影で微笑んでいる所もある。

そつなくことは進んでいく。
2階にあがって円卓で、お菓子をつまんでいたら
1時間ほどして館内放送で呼ばれた。

炉のふたが開いて
がらがらと台が出てきた。
こんなに少なくなっちゃうのか。
のぞきこむと白い塊のようにも見えた。
祖母や父の時と印象が異なり
言葉は悪いが、きれいに焼けたということか。

係の人が喉仏がきれいに出ていますね、と見せる。
この穴の空いているのは耳です。
反対側もよく出ています。

叔母達から感嘆に似たため息がもれる。

骨壺には、その耳の骨、喉仏、そして頭蓋骨の破片を
かぶせて、お経の書かれた紙を入れてフタをした。
最後に、小さいちりとりとほうきで集めるのが
しかたないとはいえ、いつもいやだなあと思う。

あんなに白いかたまりになってしまったのに
重たいですから男性の方が持ってください
というのが意外だった。

また火葬場からもとのお寺に戻るときに
遺影を持っているいとこが転んだ。

私は母が転ばないように
腕をつかんだ。