人でいっぱい。
人だ、人。
千葉に生まれ、埼玉で育った私にとって
東京で親しみのある街といえば
これ上野、あるいは神田である。
東京に行くと言えば
上野、浅草、神田だった。
上野は動物園か博物館、それと聚楽というレストラン。
正月の準備でなくとも
アメ横にも必ず寄ったかもしれない。
浅草は仲見世か花やしき、それに天ぷらの葵丸新。
神田は古書店街。そして三省堂、東京堂の2つは必ずである。
おそらくは、父親の趣味である。
博物館の石造りの壁や階段のひんやりとした冷たさ。
茶色っぽい古書店の匂い。
子ども心にも喜んで騙されてうれしい花やしきの原色の世界。
聖と俗がまぜこぜになった浅草のにぎわい。
聚楽というレストランでは
ガラス張りになった足もとで
コイが悠々と泳いでいた。
あの世と浮き世を行き来できるようなまち。
表と裏があることを心おきなく見せてくれるまち。
いろいろな匂いのするまち。
齢重ねるにつけ
あの頃吸い込んだものが
私の土台を作ったと強く感じるようになっている。
ところで上野のお山だ。上野公園。
上野の山は標高が20メートルあるという。
もともとは上野の台地だ。
天海僧正は不忍池を琵琶湖に見立てたんだったっけ。
パンダ焼きだの、なんだかよくわからないパンダ撮影会だの
吹き上がる噴水だの
走り回って転んで泣く子どもだの
どこから来たのか素性の怪しいおじさんだの
桃色の提灯の下で花もないのにシート引いてお酒飲む人だの。
だけどロダンの考える人がいたり
アカデミックな展覧会やってたりもして。
あぁ上野だねえ。
楽しいけど、なんだか泣きたくもなるねえ。
あとで一緒に行った人のブログを見たら
幸福めいたあの頃を思い出す云々とあり
やっぱりここにはそういう作用があるのかなと思ったりした。
私のすきな武田百合子さんには
「上野東照宮」「上野不忍池」という傑作がある。
(いずれも『遊覧日記』収録)
その中で百合子さんの娘Hさんは言うのだ。
「わたし、なんだかどんどん楽しくなってきた。昨日は×××を観に行って
今日はここにいてビールを飲んでる。あまり楽しくて不安になってきた」
あぁ、楽しさとはグラスから溢れると不安に変わるのかな。
不安の泡。