「うそ!40歳に見えない」
「あの人が50歳。その秘密は」
電車の中吊りを見ても
「ママを感じさせない体型づくり」 だの
「40歳からがいいオンナ」 だの
終わりなき、めんどくささのオンパレードだ。
そりゃ、若く見られたら素直にウレシイし
シミ一つ、白髪一本に一喜一憂もする。
でも、容貌と肉体の衰えに
必要以上に抗うことを促す風潮はいかがなものだろう。
杉浦日向子さんは『食・道・楽』の中で書いている。
<いつまでも若く美しくは、ロウ細工の食品サンプルと悟るべし>
◆四十歳・更年期を迎えたシスター
井上都紀(いのうえ・いつき)監督『不惑のアダージョ』の主役は
更年期を迎えた修道女である。
四十歳。
閉経するには少しばかり早い。
それだけに、とまどいと焦りもひとしおだ。
性、生理、出産、親との関係。
毎朝、毎朝、じゃっじゃっと米を研ぎ
一人で簡単に済ます朝ごはん。
教会で信者のためにオルガンを弾き
礼拝が終われば、オルガンを磨き蓋を閉じる。
変わらぬ日常は慣れてしまえば心地よいものだが
一旦疑問をもつと、何もかにもが足りないように映る。
朝起きたら、そこにいたブルースに気づく。
それが更年期の始まりなのかもしれない。
まして教会という閉じた世界から
飛び出るのは簡単なことではないらしい。
そこに転機が訪れる。
バレエ教室という“外の世界”でのピアノの伴奏。
躍動する肉体。
華麗に舞うバレーダンサーに覚えた心のざわめき。
やがて、彼を含めた3人の男性との出会いが
神のみに身を捧げると決めて生きてきた修道女に
安息の時をもたらす・・・。
映画は性から目をそむけてはいないが
かといって、赤裸々でもなく
適度にエロティックで、そしてぎこちない。
同じ更年期世代から見ると
その描写はもどかしいほどだ。
◆カタチとココロ
だが、むしろ印象に残ったのは
自分をがんじがらめにしているものからの
解放を示唆するシーンだ。
遠くから眺めているだけだったバレーダンサーに
自分のピアノ伴奏はどうですかと問うシスター。
それに対し、彼はこんな感じの言葉を返す。
あなたは譜面どおりに弾いているけれど
それでは物足りない。
もっと自分の踊りを見て演奏してほしい。
彼女のピアノは人を踊らすことのできるピアノではなかった。
カタチは整っているけれど、
ココロには響かない。
ある意味、杉浦日向子さんのいうところの
ロウ細工のようなピアノであったのだ。
40代にもなると
決まり事に流されることが多くなる。
体力や気力の衰えもあって
カタチから抜け出るのが面倒くさくなる。
だが、そのままでは押し寄せる衰えに負けてしまう。
かといって
見かけばっかりのロウ細工にはなりたくないから
もう一度、慣れから解き放ってやらなければならない。
オンナは静かに闘う。
登りばかりだった時には気づかなかった
下り坂だから見える風景だってあるはずだ。
◆秋もまた美しい
私は、春、それも春の初めが一番好きだけれど
最近、秋も悪くないなと感じるようになった。
3月の土手に立ったとたん
あまりの芽吹きの勢いにくらくらと倒れそうになったことがある。
春の勢いを受け止めるには、
少々エナジーが欠けてきたのかもしれない。
====不惑のアダージョ====
11月26日 渋谷ユーロスペース ほかで全国ロードショー
http://www.gocinema.jp/autumnadagio/
監督:井上都紀
出演:柴草 玲 西島千博(特別出演)
主演の柴草 玲は、キーボード・プレイヤー、ソングライターとして
活躍するミュージシャン(私は長見順ちゃんとのユニットで知った)。
彼女自身が音楽も担当しているのだが
さすがにピアノやアコーディオンで伴奏をする姿は
堂に入っている。
そう、ずっしりしているのだ。
スクリーンでも、米を研いだり、
バランス釜の風呂場の床を
たわしでごしごしこすり落とす姿が似合う。
抑制された演技と憂いが強い印象を残す。
女性であれば
日々の暮らしの中で
そんな映画の中の彼女と
自分を重ねている瞬間があることに
ふっと気づく瞬間があるのではないだろうか。
井上監督は、生きている時間にまとわりつく
逃れられないものから目をそむけない。
日に日に、じわりじわりと効いてくる
力のある映画である。