2014年8月14日木曜日

ありがとうと言ってほしいわけじゃないけれど

入稿の日。

午後六本木。

春から代わった担当者は
いわゆるデキル人ではない。

最近ずっと翻弄されている。

で、昨日気づいたのだが
この方は、ありがとう、とか、すみません、といった
言葉を発しないのね。

たとえば、ちょっと修正した誌面をお持ちして
「いかがですか」
と尋ねると「うん、いいと思う」
と答える。

えらそぶってるわけではないのだが、
あっちこっち、的がはずれている。

家でもそうなのかなあ。

別にお礼を言って欲しいわけじゃないけど
持ちつ持たれつ、という感覚が薄いのかね。

父は、人に会ったら
お礼を言うことはないか考えなさいと言ってたな。

うちの息子は、夜食を用意しておいた私に、ありがとう、と言うぞ。
それを聞くと、あれ、こいつはイイ奴だなぁと思うのだ。

大間違いな育て方はしてないな、と胸をなでおろすのだ。

そして私も、ゴミ捨てしてくれたりしたら
ありがとう、と彼に言うようにしている。

前にも書いたような気がするが
昔シカゴに行ったとき
お世話になった日系のおじいちゃんがいた。

バスに乗る私をいつまでも見送ってくれた人。

帰ってからお礼をしなきゃと思いながら
ずるずると過ごしているうちに
亡くなってしまった。

お礼に明日もあさってもない。
もしかすると、その時しかないのかもしれない。


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入稿原稿を届けた後
六本木ヒルズの夏祭りに寄り道。

友人は家でごはんが待っているので
屋台にも寄り道せず
66体並んだドラえもんと写真を撮っただけだが
束の間の都会の夏休み。

カップルにも邪魔されず眺めた東京タワーは涼しげだった。

バスで渋谷まで
蒸し暑かったが、HMVに寄り道する。

閉店間際だったとは言え、すいている。
そして、やはりここは男の世界。

せっかくなので
ボビーブランドの7inchを1枚買う。1000円。

1階でポータブルレコードプレーヤーの試聴など冷やかす。

のっかってたのは
George Bensonの7inch、曲はTurn Your Love Aroundだったっけ。
この曲を聞いた途端
思いがけず過去がよみがえり、いろんな思いが
絞り出されてきた。


一杯ひっかけた男女や
笑いがとまらないといったグループをすりぬけながらの
帰り道は
ちょっともの寂しい気分。

書類とiPad、シングル盤1枚入れたバッグで
肩からカーディガンがずり落ちる。

湿気で、あっち跳ね、こっち跳ねの
汗だく、くしゃくしゃヘアスタイルは
昔、雑誌で読んだデキル女の姿とはほど遠い。

でもこれが
独りで生きていく、わたしということだ。















2014年8月13日水曜日

殻を破ったその先は

久しぶりにテレビをみたら
ストレスに強くなる法をやっていた。

鎌田實先生が出ている。

うつ状態を和らげるには
セロトニンとオキシトシンという
ニューロモジュレーター(神経伝達調節因子)が
大きく作用するらしい。

テレビではわかりやすく
オキシトシンは「思いやりホルモン」「人を幸せにするホルモン」
セロトニンを「喜びホルモン」「感動ホルモン」
と解説していた。

親しい人とふれあえば
気持ちが休まる、これはよくわかる。

逆に誰かに料理を作ってあげるとか
プレゼントをするといったことも
オキシトシンを刺激するとのこと。

母親が赤ん坊に母乳を与えるときにも
お互いにオキシトシンが分泌されているらしい。

こういう話題になると
母乳VSミルク議論を熱く語る人が現れるのだが
だからって母乳でなければ、ぐれたり、病んだりするわけでもないだろう。

私は母乳で育ったが、ときどき心が病みます。
弟のときは母乳が足りませんでしたが
なんとか、いい奴に育ってます。

まぁそのほか、ネットを検索したり
本を読めば、いろいろ出てきます。

私が、あぁそうなのかと思ったのは
まず一つ。

冷や汗がでたり、心臓がどきどきするのは
ストレスに対処しようとしているからだとのくだり。

すぐ、どきどき、ばくばくして
具合が悪いったらありゃしないが
あれは全身で防御しようと頑張っているわけだな。

二つ目。

おいしい! とか、きれい!とか
感動を口に出すことで、セロトニンは分泌されやすくなる。

これは常日頃、課題としているところだ。

周囲にも、おいしい! きれい! すごい!と
お世辞ではなく口にできる人が
何人かいて、いつも、ああなりたいと思うのだ。

そういう人は、怒ることも、悲しむことも、仕事することにおいても
まっとうであり、誠実だ。

私は斜に構えて、言葉で論評しようとするくせがある。
あるいは、人がおいしい、きれいと喜ぶのを見て
それで、その場が良かったか悪かったか判断する傾向がある。

そこを改善していきたい。
極端にいえば、奔放でありたい。

しかし
もっと殻をやぶっていきたい! と知人に話したら
一般的にはだいぶ殻がとれているように見えると言われた。

私は、欲深いのか。

そして殻を破り破り、脱皮したなら
ゴスペルシンガーになるのでは、とも言われる。

ブルースを歌うことをやめて
説教師になると言い残し
踵を返して帰って言ったのはロンサム・サンダウンだったか。

チャーリー・パットンだって
自分の暮らしを顧みて
何度か説教師になろうとしたんだった。

行き着くところは、結局、神のもとで働くことなのか。

セロトニンとオキシトシンがたくさん分泌されそうではある。




















2014年8月11日月曜日

電車のセミ

電車の座席にぼんやり座っていたら
じりじりジリバリバリバタバタと突然の音。
セミだ、セミ。
セミが乗り込んできて
困惑のあまり
あちこちにぶつかりながら飛び回っている。

あからさまに顔をしかめる人。
見上げる人。
口元に笑いを浮かべる人。

と、セミも覚悟をきめたか
ドアの前に鎮座した。

うむ、これは捕まえにいくべきか。
いけるか。
もし逃がしたらどうするか。

迷っていると
目の前に座っていた肩幅の広い男性がすっと立ち上がる。

そして、素早くつかむと
次の駅でドアがあくなり、ホームに放り出した。

肩幅の広い男性のTシャツには
All JAPAN JYUJYUTSU なんちゃらと
書いてあるように見える。

呪術ではないぞ、柔術だ。

男性が席に戻ると隣に座っていた
メガネをかけた細いお兄さんが
笑みを浮かべ
ありがとうございますと、頭を下げている。

終点の駅に着いたので
さっそく束の間のヒーロー
JYUJYUTUの男性の後に続いて電車を降りる。

肩幅の広さとがっしりとした背中。
荷物はサンドバックみたいな楕円形の袋一つだ。

なにごともなかったように、というか
この方にとっては、なにごとでもないのだろうな。

なにごともなく、なにかをする、というのは
頭と体がぴたりと合っていないと、ままならない。

2014年8月10日日曜日

ブルース20代

昨夜は四谷ブルーヒートで
大久保初夏ブルースプロジェクトと
浜崎史菜のスペシャルバンドを観た。

2人とも弱冠23,24歳の
愚息よりもさらに若い、うら若きギタリストである。

ジョニー・ウィンターのナンバーから始めた
初夏ちゃんは、FUJIROCKなど大舞台も踏んで
自信をつけているのがわかる。
昨夜はオリジナルを立て続けに聴かせた。
少し気持ちがはやりすぎている感じもあるけれど
それもパワーでぶっ飛ばす勢いがある。

そして史菜ちゃんは、初めて見たけど
驚いた。
ザッツ・オールライトに始まり、
ジョニー・ギター・ワトスンの“Those Lonely Lonely Night”
Willie Williams、Johnny B.Moore(!)
さりげに「634-5789」なども。

でもこれ見よがしでなく
素朴なMCとのバランスがとても愛らしい。

なんだか、いろいろ、おもしろくなってるなぁ。

あちこちから集まってきた線が
一つの点に向かっているような予感。


昨日、NHK FM で勘太郎さんのギターを聞いて思った。
日本のブルースのギターもすごいところにいったなあ。
B.B.キングがあの年齢で
今まで満足した演奏はないと語るように
もちろん勘太郎さんはまだまだこれからと言うだろうが
一つの水準に達したことは間違いない。

次の世代に期待するのは
やっぱり発想力、オリジナリティということになるだろう。

カヴァーでもオリジナルでもいい。
英語でも日本語でもいい。

今を生きているその人からわき出る音。
その人の想像力で歌うブルース・ナンバー。

話にもでていたけど、ビヨンセが歌うエタ・ジェイムズなんかは
わかりやすい典型例だろう。
昨日のラジオでも後半に赤坂さんの視点からなのか
肌の色問わず
Imelda Mayとか
Big Bad Voodoo Daddyがかかったのはよかった。

私も懐かしく、心地よい古巣に
甘えてちゃだめだな。

いいものをみつけ
シェフのように紹介していこう。

みんなみたいに歌えず演奏できないことを悔しく思うけど
その分、やれることをやっていこう。