2013年12月16日月曜日

サンタからの袋

土日も仕事ばかり。
年内に仕上げなければならない。

少しばかりはかどったが、なんだか何かが足りないと思う。

近所の商店街はとたんにクリスマス・ソングを
にぎやかに流し始めた。

しかし、このメロディ。
これは教授の「戦場のメリークリスマス」だろう。

なんか違う。なんか違うぞ。

ラジオもぼちぼちクリスマス仕様の選曲だ。

この時期、やっぱりClassic Soul Networkが沁みる。

イブの夜、独り、部屋で
クリスマスソングに耳を傾けるという習慣は
20歳くらいのころから、変わらない。

冬の夜、この淋しさ、わびしさに耽溺する感じ。

嫌いではないのである。

いじけているんだろうと言う人もおりましょうが。

◆ ◆ ◆

家には、ビング・クロスビーの『クリスマス・アルバム』があった。
中学生のころは、大瀧さんのジャケ裏に同じものを見つけ
おおっと、あたかも同じコレクションを手にしたような思いがしたものだ。

子どものころは、雑居ビル4階の
台所こみ6~8畳一間ほどの洋間2部屋を借りて6人で住んでいた。
2部屋は、共用廊下をはさみ、はす向かいにあったが、
クリスマスになると、その一部屋を赤、緑、黄などの豆電球がついた
ささやかなイルミネーションで飾るのだ。

そしてクリスマスのレコード、ビング・クロスビーなんかもかけたと思う。

メインイベントはやはりプレゼントだ。

夜になると、親がやおら流しの脇の窓をあける。

部屋には窓が一つしかなかった。少しさびついた鉄枠の窓。

外には白い大きな袋がぶら下がっていた。
「サンタさんだ!」

両親がスグ上の屋上からぶら下げたのである。

粋なはからいであった。
両親が相談し、子どもたちのために準備したであろう姿を思うと
いま、少し涙が出る。

白い大きな袋には、きょうだい3人の欲しかったおもちゃが入っていた。
私がほしかったのは、リカちゃん人形の服などだったと思う。
薬局の友人が持っていた食器セットなどや、ワタルくん、いずみちゃんは、
とうとう買ってもらえなかった。

彼女はお金持ちだったのである。
遊びに行ったとき、2階にトイレが有り驚いた。
初めて洋式トイレなるものを見たのも彼女の家だった。
私は、イラスト入りで書かれた
洋式トイレの使い方という注意書きをまじまじと読んだ。

だいたい彼女の家は、いい匂いがした。
薬局という看板の元、資生堂などの化粧品も扱っていたからだろう。

お店を通って、ダンボールの積んである倉庫のようなところを抜け
2階にあがっていくのが好きだった。
通っている小学校は違うのに
駅の向こうにある家までよく遊びに行った。

本人も透明感のある美人さんであった。

子ども同士でも、この子は美人だと、小さいころからなんとなく感じるものだ。

幼稚園から小学校にかけ仲のよかった友だちの顔は
いまでも、あのころのままに思い出す。

魚屋のTちゃんは、気持ちのよい子だった。
リカちゃんハウスを持ってよく行き来したが、家はいつも魚くさかった。
母親が忙しいとかで、おばあちゃんと住んでいた頭脳明晰だったKちゃん、
双子のRちゃん。駅に近いマンションに住んでいた同じ名前のU木さん。

皆、齢五十の顔になったんだなぁ。どうしているのだろう。

自分で家族を持っていたときも
それぞれの職業柄、家でクリスマスを祝った思い出はあまりない。
そのうえ、息子どのは12月23日生まれときている。
何かとややこしいのである。

そんな彼に、今年誕生日、どうする?と聞いたら
「うーん・・・シャンパンでも飲みますか。特に欲しいものはないなぁ」
だと。

飲めないのに。

そしてまたコルクが空かず、
2人して瓶をのぞきこみ、難儀するのは眼に見えているのに。
シャンメリーにしとくかい。


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