「ものを作る人に対して
あなたの作品は人気がないとか、
売れていないとか言うべきではないと思う」
と言われた。
ものを作る人はみんな、
自分の作品がどう受け入れられるかわからない中で
頑張っているのだから、だそうである。
私はときどき、言葉が過ぎることがある。
それは自分でも思う。
私は、普段、人様が精魂こめて作ったCDを聴き
紹介する仕事をしている。
もっと若い頃は
厳しいことを言うのが批評だなどと
それこそ、カッコつけていたこともあった。
言葉が足りなくて
人を傷つけたところもあったとは思う。
だが、アーティストをこきおろしたいなどと
意地悪な気持ちを持ったことはない。
基本、応援である。
カッコイイ!と素直に思える音楽、
カッコイイ!とあこがれてしまえるアーティストに
出会いたい。
そしてそれを皆に聞いて!聞いて!と紹介したい。
そこが基本だ。
だからなのだろうか。
同じアラン・トゥーサン・インタビューでも
S氏のはジャーナリズムだが
私のはファンのインタビューだとYくんは言った。
そうか、そうなのかもな。
それなら個人のブログと変わらないと言う人もあるだろうが
私は発した言葉によって
音楽が誰かの生活に根をおろし
やがて結びあい
大きなうねりとなり
次の次代に受け継がれてほしいと願っている。
そのために、文章をおろそかにしたくない。
言葉そのものにも力を持てるようになりたい。
また、私は一番のお客さんでいたいとも思う。
たとえばCDであれば
記事を観てお客さんは2000円なりを支払うのだ。
稚内の人もいれば、多良間島の人もいる。
ときに全国から問い合わせてでも手に入れようとするわけだ。
だからこそ、
日々の暮らしで何度でも聞けるアルバムかどうかは
判断の尺度になる。
リスニングの環境も若干は左右するのは確かだ。
アメリカで録音されたアルバムの中には
あの広大な土地で車に乗って聞けば最高だろうなぁと
思うものがよくある。
日本で満員電車に揺られながら
ヘッドフォンステレオで聞くのとは
やはり感じ方も変わってくるだろう。
でもそうしたことを差し引いても
やはり音盤をはみ出るだけの
エナジーを感じさせる音楽があるのは確かだ。
先日、憂歌団再始動を観に行ったとき
CD販売のコーナーで
ある女性ファンが感極まったように言った。
「わたし、すり切れるまで聞く!」
CDがすり切れるかどうかはわからない。
ただ、大事に、大事に、繰り返し聞くことのできる
アルバムに出会えた幸福。
そうしたアルバムを創れたアーティストの幸福。
それぞれを想った。
私は、産業としての音楽シーンにも関わっているので
1枚でも2枚でも多くのCDを買ってもらおうとすることが多い。
売らんかな、でなくとも
たくさんのアルバムを聞いてほしいと
ガイドブックを作ったりもする。
でも、この女性のうれしそうな表情を見ながら
たった一枚でいい。
日々の暮らしの中で
一生大切にしたいアルバムに出会えること。
それがどれだけ素晴らしいことかを
忘れてはいなかっただろうか。
そのアーティストにとって
歌うことが、あるいは演奏することが必然であったと思わせる
演奏に出会うと
アルバムであろうと、ライヴであろうと
震えるほどうれしい。
そういうアーティストを
あるいはアルバムに出会うチャンスを
一人でも多くの人に作れるよう
これから一所懸命やっていきたい。
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