20年前の朝、テレビをつけたときの衝撃は忘れることができません。
すぐに別の部屋にいた家人の元にすっとんでいきました。
当時、義父母は兵庫県内に住んでいたし、
当時、義父母は兵庫県内に住んでいたし、
音楽を通じて知り合った方も大勢いた神戸は身近な街だったことも衝撃を大きくしました。
家人はその日に大阪入りするはずでしたが
家人はその日に大阪入りするはずでしたが
前の日にこたつに潜って寝たきり、いくらおこしても起きようとしませんでした。
それで私は機嫌をそこねていたのですが
何もかも吹っ飛びました。
あのころは携帯電話も、インターネットのような道具もなく
テレビを観て、おろおろするしかありませんでした。
テレビを観て、おろおろするしかありませんでした。
家人も含め、友人のために、また見知らぬ人のために
奔走した人たちのことも含めて
いろいろなことを思い出します。
奔走した人たちのことも含めて
いろいろなことを思い出します。
それから数年後、山陽電鉄沿いの駅を降りたときに見た
どことなくちぐはぐな光景も私には印象的でした。
どことなくちぐはぐな光景も私には印象的でした。
テレビでは復興した神戸を紹介することも多くなったころです。
ところどころにぽっかりと生まれた空き地。
まっすぐな道路。建築中のマンション。
昔から地元の人が通っていたであろう商店の間に生まれた、
どこでも見かける真新しいチェーン店。
まっすぐな道路。建築中のマンション。
昔から地元の人が通っていたであろう商店の間に生まれた、
どこでも見かける真新しいチェーン店。
街が生まれ変わる途中だったのかもしれないし
現状はわかりません。
ただあのとき、復興とは元に戻ることではないんだな、と、
感じたあの感覚は、今もときどき思い出します。
現状はわかりません。
ただあのとき、復興とは元に戻ることではないんだな、と、
感じたあの感覚は、今もときどき思い出します。
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