2017年1月2日月曜日

男はつらいよ

熱のせいで目覚めてしまった夜中から
Gyaoで男はつらいよを観始めた。

第一作から
ほぼ毎日見つづけたがようやく48本中半分だ。

正直に言おう。
しっかり観たのはこれが生まれて初めてだ。

小林信彦が渥美清について書いた本などは読むくせに
国民的映画という、うたい文句が苦手で
つまみ食いしていただけであった。
やっぱり駅前シリーズの方が面白いよね
なんてうそぶいていた。

しかし、これがやはりというか見飽きない。

寅さんは、ろくでなしだ。
まともじゃない。

だが、トランク一つで
虚と実の間を揺れ動きながら
生きていく寅さんを邪険にはできない。
身内という実の部分で関わるのはカンベンでも
しがらみの外で出会うなら
磁力を持った人物であることは
少なくとも私にとって、まちがいない。

わたしは虚の世界で
勝負する人が好きなのだ。

テキヤという道に近いところでの
商いもいい。

そういう寅さんの人生を
俯瞰しながら眺められるのだから
これ、悪いはずもない。


とらやの事情は、近所に駄々漏れである。
いつも窓や戸口があけっぱなしのとらや。
炬燵だけでは、冬などさぞ寒いであろう。

恥ずかしいことの数々を駄々漏れにしながら
生きていた時代の人間模様である。

周囲の人たちも、冷ややかな目を浴びせることはあっても
恥ずかしきことを
お互い様と認め合っているようなところがある。

身分の違い、あたりまえ。
見目の違い、あたりまえ。
都会と田舎の違い、あたりまえ。

逆に言えば、違うところから
人と人がいかように交じり合うのか。
その心のやりとりに
面白みがある。

あとは、電話かな。

公衆電話で10円玉の落ちるテンポが
物語によい具合のリズム感を醸している。

考えたら、メールって冗長だ。
ここまでとしなければ
いつまでたっても関係に終わりというものがない。

ひといきつけない時代になってしまったんだなあ。

他にもいろいろ感じることはあるけど
まずはまだ休み気分の間に
続きを観るとしよう。

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