2011年3月21日月曜日

すっぴんを見せた渋谷で

節電中の渋谷駅前スクランブル交差点。

いつもより格段に人が少ない。

ぶつからないように細心の注意をはらいながら、逃げるように渡る必要なんてない。

でっかいスクリーンがすべて消えている。

四方八方から、おかまいなしに流れていた音楽もすべて止んで

欲望が渦巻いていたようなあの一画に

風がながれているように感じた。

街は、厚化粧を落とし、少しだけすっぴんに近づいた。

何もかもが過剰だったのだ。

みんな、それにどこかで気づいていた。

あのカオスのような渋谷が少し懐かしくはあったが

でも、それでなければ渋谷がパワーを出せない理由はどこにも見つからなかった。



夕暮れ時。歩道にはメニューを手にした居酒屋の呼び込みのお兄さんたちが

ぞろぞろと現れた。

居酒屋いかがですか! 今なら30%オフですよ!

いかがっすか!

残念ながらこの状況で、立ち止まる人は少ない。

いつもなら、道端で邪魔だなぁと思ったりもするのだが

ふと思う。

彼らは、これが仕事なのだ。歩合制かもしれない。

本来なら年度末、卒業シーズンで、居酒屋はかき入れ時のはずだ。

少しずつ客足は戻るだろうが

日銭を稼ぐ商売にとって

ここは踏ん張りどころである。

フリーランスしかり。

みんなと言いきるのは無責任かもしれないが

まぁいいや。

みんな、一所懸命、仕事している。


節電のため、パチンコ屋を締めろという意見がある。

私も最初はそうだな、と思った。

でも、ある人がパチンコ屋で働いているパートのおばちゃんが困るんだと、言った。

そういう想像力はなかった。

だれかが犠牲にならざるをえない。

必ず傷つく人はいる。

そういう見方もある。

でも、何かが動いているところには

必ずだれかの生活がある。

そのことは、忘れてはいけないのだと思う。


あまり政治のことは書きたくないが

政治家の発言でなんだかなぁと思うときは

必ず言葉に体温がない。

経済企画庁経済研究所所長も務め1969年に『情報化社会』を著した

今年95歳になろうという林雄二郎さんのお話を伺ったとき

一番はっとさせられたのは

数字で物事を見てはいけない、

ということだった。

数字は強力だ。

有無を言わせぬ目安になる。

でもそれにとらわれると本質を見失う。

特にあの地震以後、正しい数字を必要とする反面

数字に惑わされてはいけないと思う場面が多い。


本質とはなんだろうか。

すっぴんを垣間見せた渋谷を歩きながら

そんなことを考えていた。

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