2014年1月7日火曜日

アタマの中に聞こえてくる歌


せり、なずな、ごぎょう、はこべら、ほとけのざ
すずな、すずしろ。
これぞ七草。

春の七草は節をつけて、必ず言える。

アタマの中では父の声が歌っている。

小さいころ、千葉大の裏手にあったと思うのだが
原っぱによく遊びに連れて行ってもらった。

家には植物だの昆虫だの人体だの
いろいろな図鑑があり
小指ほどの小さな花をつけた
のっぱらの草を見つけては
名前を確かめた。

あのころの図鑑は、写真などではなく
イラストだったはずだ。

そんなわけで、七草粥など食べたことはないが
ホトケノザやナズナ、ゴギョウ(ハハコグサ)などは、馴染みの深い草だ。

以前、七草の歌がアタマの中で聞こえてきて
スーパーで七草セットを買って
食べてみたこともあったが
一つも美味しいとは思わなかった。

私が好きだったのは
七草の歌を歌う豊かさであり
七草に選ばれた小指ほどの花をつける
のっぱらの草たちであったのだ。

実際、もう実になって
いかにも食べがいのありそうな
スズナ、スズシロより
草っぱらの花たちのほうが好きだった。


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歌といえば、
JR品川駅で電車に乗るとき
発車メロディで鉄道唱歌が流れると
いつも祖母の声が聞こえる。

   汽笛一声新橋を・・・

明治生まれの祖母は、
何不自由ない家に育ちながら
結婚後、まもなく夫を亡くし
息子2人を亡くし、2度も火事に遭った。

2番目の息子が6歳の頃だったか
「母さん、さよなら」
と言ってから亡くなった話は幾度となく聞いた。

ごはんを作るなど
家のことは何もしなかったから
母親はずいぶん苦労したと思う。

ただ
ボクシングやプロレスが好きで
爬虫類展や映画に連れていってくれたりする
好奇心旺盛なところはあった。
着物を着て、いつもきちんと化粧もしていたと思う。

「みいちゃん(私のこと)は、医者か、寺へ嫁に行くといい」
が口癖であった。

そんな祖母と私は、小さい頃からずっと同じ部屋に寝ていた。

高校生くらいになると
「みいちゃんや、プロレスがあるから夜中の1時に起こしてくれや」
と頼まれたものだ。

  汽笛一声新橋を・・・

の歌を私は2番までなら、逆に言うと
泉岳寺を通り過ぎる2番までしか
間違いなく歌えない。

そのあとは、教わったのだったか、どうだったのか。

あの歌に明治生まれの祖母が
どんな体験を重ねていたのか
いまは知る由もない。



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