本棚から『人間臨終図鑑』(山田風太郎/ 徳間書店)を持っていった。
十代で死んだ人に始まり
二十代、三十歳、三十一歳・・・と
その人の最期のときを綴っている。
上下巻あわせて東西の著名人およそ700人!
今日は五十歳で亡くなった人の項目を読んだ。
四十代~五十代は、年代が近いので
もはや人ごとではなく、ページをめくるごとにいくぶん緊張が走る。
芭蕉が旅の途中、大坂で亡くなったのは五十のときだったのか。
旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
は辞世の句として知られるが去来が辞世の句を問うたとき
それは辞世のつもりではないが、辞世ととれないこともない
といった返答をしたそうだ。
さらに
「昨日の発句は今日の辞世、今日の発句は明日の辞世だ。
近ごろよみすてた句は、どれも辞世だと思ってもらいたい」
と答えたとか。
句を詠むにも命がけである。
しかし、自分にあてはめると、これは困った。
しかし、自分にあてはめると、これは困った。
思い返しても、昨日、しゃべったのはユニクロの店員さんと
電話をかけた弟だけである。
とても辞世のなにがしに、相当するとは思えない。
そして気がつけば、今日だって、問い合わせの電話を一件かけただけで
誰ともしゃべっていない。一つも明日への辞世の句を残せていないのである。
「毎日を人生最後の日であるかのように生きていれば、いつか必ずひとかどの人物になれる」
は、先日亡くなったスティーヴ・ジョブズのスタンフォード大学でのスピーチ。
私はどうにもこの上もなく平凡である。
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