渋谷にて、30年来音楽関係でお世話になっているKさんとお会いした。
学生のころから可愛がっていただき
私の悪いところも、悪いこともよくご存じのはずの方である。
(今もって善いところとは言えないのである)
発売を準備している(パスター)ミッティ・コリアの
ゴスペルCDの音源をいただき
ランチを食べながら、あれこれ話す。
私の口から出るアイディアは
昔から変わっていないような気がする。
でもあえて言うなら、少しだけ
自分の実感に自信が持てるようになった。
いや、年齢を重ねた分、それにしがみついているのか。
そうだとしたら、気をつけなきゃ。
リアルなものに逢いたい。
これが、今の気分だと思う。
小さい子でも、テレビにはプロデューサーがいて、スポンサーがいて
仕掛け人がいると知っている時代。
歌声を簡単にデジタル処理できる時代。
整形の時代。
電源引っ張ってアンプを通さなくても
ストリートで歌は歌える。
キャディラック・レコードでエレキに目覚めたマディの例とは逆に
それでも喧噪を打ち破るような歌声はあると思う。
いや、絶対ある。
帰ってCDを聴いた。
若人のような弾けるような声ではないけれど
何か歌うことを覚悟しているような歌声だ。
CD(DVDもという話)楽しみである。
はぁ~と肩の荷をおろしたいとき
やっちまった~! と落ち込んだとき
ゴスペルを聴くと、自浄作用の働きが高まるのがわかる。
めちゃくちゃに振れていたメーターのハリが
少しずつ元に戻っていく感覚を味わうことがある。
ジーザスは見えない。それだけはごめんなさい。
それでも不思議な音楽である、ゴスペル。
最近アップされたシカゴにある自分の教会でのミッティ・コリアの映像があった。
前半は説教だけど、一度ご覧ください。
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