2014年2月17日月曜日

友人がご主人を亡くして。

高校時代の友人から携帯にメール。

同級生Yさんのご主人が亡くなったという。

にわかに信じられず。

彼女は2~3年前に再婚したばかり。
前のご主人とは、くも膜下だったか
突然の別れを強いられている。

よくわからない。わからないが行かねばなるまい。

色校の準備をしつつ
黒のワンピース、バッグなど引っ張り出す。

新宿駅から通夜の会場であるお寺まではタクシーだ。

パートナーを突然亡くして呆然とした日々を送っていたYさんと
ご主人は、その寺で出会った。

ご主人は住職ではなかったが、永年寺の仕事をしていたのである。

西新宿で高校の同級生が集まり
ごはんを食べていたとき
再婚が決まったYさんが
わざわざお寺まで皆を案内してくれたことを思い出す。

そのときも車でこの道を通った。

寺の前には「●●●●儀 葬儀式場」 とあった。

やはり、Yさんのご主人である。

案内されてお経の聞こえる本堂への階段を上がる。

お寺さん縁の人ということもあってか
10名以上のお坊さんによる読経だ。

禅宗ということもあるのか
口語調のお経はとてもわかりやすい。

遺族席のYさん、時折ハンカチで涙をぬぐう。
時折、遺影に目をやる。
大泣きしているわけではないが、やつれていると思う。

遺影は、結婚式のときのものだ。

互いにひと目惚れだと、前のご主人のことを理解してもらった上での
再婚だったと幸せそうだった顔を思う。

何かと愚痴の多い私にも
「いつか一緒にビルボードに行ってくれる人が現れるわよ」
と肩を叩いてくれた彼女。

お釈迦様だか、神様は無情ではないか。

震災で突然家族と引き裂かれた人のことも思う。

一番中心にいらした格の高いであろう住職が
「釈迦の言ったことは、言葉にすると、ある意味残酷です。
生まれた者は死ぬ、ということです」
という話をされた。

人生に救いはねぇ。

あの歌そのまんまだ。

死ぬだけだが、死ぬまでそれでも生きていく。

だが、言葉は虚しい。


友人たちと通夜ぶるまいの料理をいただいていると
Yさんが、ご主人の顔を見ていってほしいという。

笑みを浮かべているような顔であった。

Yさんは饒舌であった。

それがまた哀しかった。

昨年夏余命宣告されてから
亡くなるまでのことを
祭壇の前で話してくれる。

ごはん、食べてるわよ。泣くとおなかがすくの。

抱きしめたかったが
何かそれを無意識のうちに受け容れようとしていない空気を感じ
むりやり手をとり握手してきた。

人生に救いはねぇ。

ねぇのか。

また新宿駅までタクシー。

行くときからワンピースの裾のおりてきたのが気になって
ピンで止めていたのだが、
式場に着くと明らかにまずい状況だと気づいた。

お焼香のときも、無様であったろうが
帰りの電車で、裾はもっと無様になっていた。

まぬけである。

まぬけでも生きていく。








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