2016年6月19日日曜日

浮気のブルース


テレビでは連日、不倫だ、浮気だとそんな話ばかりだ。

放射性廃棄物の公共物での利用
ありえん大臣の復帰
JASRACと美容室の件
原宿駅解体に、中野サンプラザ跡地にできる1万人(!)のホールと
いくらでも、とんでもない話はあるのに。


不倫を肯定するわけではないが
ちょっと他の人になびいてしまう
あるいは、道ならぬ恋に歩を進めてしまうなぞ
今に始まったことではない。

人間って、考える力を身に付けたばかりに
間違える。

間違えて悔やんだり、
あわてたり
暴れたり
いじけたり。

じたばたして
みっともなくて滑稽だ。

それを見て笑うのも人、
ため息をつきながら、手を差しのべるのも人。

人生には一人の人間には、どうにもならないことがあるようだ。

それは理性とやらのこともあれば
もっと大きな運命のようなものののこともある。

件の不倫であれば
おさえきれず人を好きになってしまうことも、
結ばれることは不可能だと泣くこともまた
そうかもしれない。

そして私は
そのどうにもならないことに
ブルースという音楽の根っこを感じる。



だが、まちに空き地や遊びが減っていくのと
同じスピードで
そういうこともあるよな、とつぶやける
余白が人々の心から少なくなっている気がする。


学校ではどうしているのだろう。

文学やアート、あるいは芝居には
どうにもならないことや、どうにもこうにもといった人たちが
たくさん描かれていた。

私はそれを愛したが、もはや共感すらしてもらえないのかもしれない。

男と女がいる限り
ブルースはあるのだと
先人たちは言った。
だからブルースはなくならないのだと。

Yくんらを見ていると
女に腹をたてることはあっても
女に恋焦がれることはないようだ。


彼らのような人が増えていけば
ブルースほどの強烈なパッションは
だんだん必要なくなっていくのだろうか。


6/11記

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