2016年6月26日日曜日

気づいたり・学んだり。


気づき、学び、という名詞は
いつから盛んに使われるようになったのだろうか。

なんとなく居心地が悪い。

気づく。
学ぶ。
とはちょっと違うニュアンスみたいだな。

英語でなんというのだろう?と
英辞郎で「気づき」を検索したら

「色気づき始める」
be just reaching the age of adolescence

しか出てこなくて少しおかしかった。

そこには、気づいて、学んで
あなたって成長したでしょう
という他人からの期待感がこめられている。

気づくこと、学ぶことが
目標で
その結果はいつもポジティブ。

優等生なんだな。

地べたでのたうちまわって
もんどりうって
タマゴを産むような肉体が感じられない。


そこに、気づきとか学びという
言葉が入る余地はない。


ピュアに生きようとしている人は
生きづらい。

でも、そういう人ほど
日々、悩み、苦しみ
あるいは、一見ぼんやりと過ごす中で
何かをつかみとろうとしているものだ。





一時、仲のよい友人が
自己啓発セミナーにはまった。

久しぶり~とわざわざ訪ねてきたときは
だいたい怪しい。

どんなに自分が明るく前向きに生きられるようになったか。
目を輝かせて語ってくれる。

素晴らしい出会いがあるから
おいでよと。

私には、悩みを抱えていない時期などない。
変わりたい気持ちは常にある。

しかし不思議と、その手の話には
まったくこころを動かされなかった。

それはおそらく
いつも立ち位置がブルースにあったからだ。

ブルース、といわず
音楽に教えてもらったことが
私の血肉になってきた。

笑うかもしれないが、本当にそうだ。

そこんとこだけは揺るぎない。

幸せなんて簡単に口にしちゃいけない。
人生そうそう、うまくいくもんか。

自分のやりたいことはわかってる。
あとは自分がやるだけだ。





自分史セミナーで他己紹介とでもいうのだろうか。

2人1組になり、短い時間でインタビューしたことから
相手の良さを引き出して発表するというワークがあった。


そこで相方となった男性に
ここまでくるのに、
「せのおさんは
ブルースを相当勉強し、努力されたのだと思います」
と言われた。

考えたこともなかったな。

確かに時間はかかっているけれど。

そう言われればそうなのかもしれない。

ありがとうございます。

胸にとめておきます。




















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